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涼しい。
涼しい。なんていい言葉だろう。だいたい字面からして良い。水と京という清爽なイメージがまた素敵だ。清涼、涼風、涼雨。女性の名前でも涼子ってのがあるし。おれは前金を崩して買い込んだハーゲンダッツのアイスクリームの裏ぶたを舐めまわしつつそんなことを思考した。ただいまエアコンの設定温度は18℃。電気会社のマスコットキャラクターに怒られそうな最大出力である。
「なんかビンボーくさいなあ」
そんなおれの様子を眺めやってつぶやくは真凛。いやまて、みんなやるだろう?ショートケーキの周囲を覆っているフィルムに付いてるクリームを舐めたりとかさ。
「やんないと思うなあ」
馬鹿な。人としてのごく自然な所作のはずなのに。
「じゃあせめてフタをスプーンで掬ったりとかは」
「五十歩百歩だと思うなあ」
そんな会話を応酬しながらフローリングの床に座り込み、ハーゲンダッツのバニラをひょいひょいと口の中に放り込む。胡座をかくおれとは対照的に、対面の真凛はフローリングに直に正座している。さすがに夏休みにまで制服は着ていないようで、本日の服装はサイズの一回り大きいワンポイント入りTシャツとショートパンツ。ストリートバスケに向かう中学生のような出で立ちはますます性別の判定を困難に……まあ、視線がなんか冷たいので省略。ともあれ、アイスクリームが体内に残留している熱気を次々と討伐してゆく様を味わいながら、おれは至極幸せな気分に浸っていた。近場の学生向けの食堂でがっちり巨大メンチカツセットを平らげてきた今、エネルギー充填も完璧である。
「で。とりあえずはこの快適な部屋の中で居座っていればいいってわけだな」
おれは周囲……とあるマンションの一室……を見回した。
「快適な部屋、って言っていいのかなあ」
こちらはハーゲンダッツのチョコレートを口に運びつつ、真凛が呟く。
「まあいいんじゃないか。少なくともこいつらのおかげで冷房つけっぱなしなわけだし」
おれは手元にあった丸いものをぽむぽむ、と叩く。それは、バスケットボールほどの緑の玉に黒いスジが入った果物。いわずとしれた夏の名物、スイカである。夏の部屋にスイカ。珍しくも何とも無い光景である、本来は。
問題が二つ。
一つは、それが冷蔵庫に入っているのでもテーブルに乗っているのでもなく――床に無数に置かれたプランターから『生えて』いるということ。
二つ目は、その数であった。
「七十はあると思うけど。ちょっと数えられないよ」
空になったアイスクリームのカップを、持参したコンビニの袋にしまいこんで一つ息を継ぐ。真凛が言うのもムリは無い。煌々と照らされるライトの下、おれの手前にはスイカ。右にもスイカ。左にもスイカ。真凛の周りにもスイカスイカスイカ。視界上下左右、全てスイカ。床一面を埋め尽くし、さらに層をなして山となっている無数の大玉のスイカたち。おれ達は今、マンションの一室の中ではなく、スイカの海の中に居るのだった。
「なんていうか。こうも現実離れしてると快不快の問題じゃないような気がするよ」
確かに。おれは空カップをコンビニ袋に放りつつ頷く。至近距離からのシュートだったのだがあっさり外れて、隣のスイカにぺこん、とぶつかった。シュール極まりない光景を見るにつれ、改めて何でこんなことになったのやら、と思い返さざるを得ない。
『東京都千代田区のマンションの一室にて、依頼人『笹村周造』氏が帰宅するまで留守を預かるべし』
オーダーシートにはその一文と、依頼人の名前とマンションの詳細な住所、そして合鍵が同封されていた。おれ達は昼を高田馬場で済ませたあと、高田馬場から地下鉄を使って指定の住所にやってきたのだ。
そこは秋葉原に程近い、千代田区外神田にあるオートロック式の新築高級マンションだった。外壁はぴかぴか。塗料の匂いが漂ってくるほど真新しい。
今回おれ達が受けた仕事は『留守番』である。その仕事は文字通りの『留守番』。つまりは人が家や部屋を空ける時に代わりに居座って番をする、というものだ。何をしょうもないことを、と仰る向きもおられるかと思うが、おれ達の業界ではこれがなかなかどうして需要が多い。一番良くあるのは、ペットを室内で飼っているのに長期に部屋を空けなければならない一人暮らしの方の代理。この場合はペットの世話も必要になる(そう言えば、クロコダイルに毎日生肉をあげるハメになった奴もいた)。そして次に多いのが、空き巣や下着泥棒退治。依頼人には部屋を離れてもらい、ノコノコ部屋にやってきた犯人をとっちめる、というワケ。そして、その次に多いのが……アリバイ作り。
「それってもしかして、犯罪に使われたりとかするわけ?」
「いやあ。単身赴任の旦那さんが浮気で外に出ている間、ご近所に部屋にいるように見せかけたりとか。ウソの住所を彼氏に教えてる女の子の兄貴の役を演じたりとか」
「……密室トリックの偽証とどっちがいいか迷うよね、そういうの……」
道中、真凛が心底情けなさそうな表情で感想を述べたものだ。いい加減おれ達の仕事がそうそう格好良いモノではないという事がわかってきた模様。ザマを見さらせ。
「まっ。数ある仕事の中でもダントツに楽な部類に入るのは確かなことだぜ」
何せ部屋の中でごろごろしてれば金がもらえるわけだからな。熱中症でぶったおれていようが健康体であろうが、部屋の中にいればごろごろするだけ、というおれとしては願ったりかなったりの仕事である。間取り図にあるダイニングと部屋が引き戸で区切られた1DKの部屋は、おれと真凛が手足を伸ばしても充分過ぎるスペースがあるはずだった。その上新築で冷暖房完備とあれば言う事は無い。所長もたまにはいい仕事を回してくれるものである。おれはそんなことを考えつつ、鼻歌交じりで渡された合鍵でドアを開け……そして、絶句したのだった。
おれ達を出迎えたのは、ダイニングと部屋にあふれる生い茂ったスイカの山、山、山。ごろごろするどころか、ごろごろしている。
「……何これ?」
真凛の率直極まりない疑問にもおれは返す言葉がない。最初は本気でここは八百屋かと思ったほどだ。もしくは野菜冷蔵室か。ところがここは都内の高級マンションの一室に相違なく、部屋にあるのはただ無数のスイカと、それを冷やすためだろうか、全開で稼動しているエアコンのみ、だった。
それでも、こんな異様な光景も三十分ほど過ぎるとそれなりに慣れてしまったりするあたり、自分が怖い。文字通りのハウス栽培のせいか、スイカの蔓には虫などもついていないようだ。で、今おれ達は周囲のスイカどもをかき分けてスペースを作り、どうにか居場所を確保しているというわけである。アイスクリームを片付けてしまったおれはザックを枕にして横になった。
「……良くこんな所で寝れるよね」
「タフだと言ってくれタマエ」
「いつもごちゃごちゃした部屋に住んでるからじゃないの?」
「失礼な。おれの部屋は結構キレイだぞ?」
これはそれなりに自信がある。意外に思われるが、おれは割と部屋は片付いているほうだったりする。もっとも、ごちゃごちゃモノがあるのは好きなほうではないので、散らかっていないというよりは不要なものはさっさと捨ててしまう、という方が正しいのだが。
「むしろお前の部屋の方が散らかったりしてるんじゃないか?」
日ごろのガサツっぷりを拝見するに。
「えっと。お手伝いさんが時々掃除に来てくれるから」
……このお子様に世間の荒波を今すぐ叩き込んでやりてぇ。
「で。この部屋の持ち主……ええっと。笹村さんってどんな人なの?」
「どっかの会社の研究員らしいけど」
「ってことは。このスイカと関係が?」
「さあ。知らね」
率直過ぎるおれの返答を受けた真凛がのけぞる。
「し、知らないって、いくらあんたでも無責任すぎない?」
「無責任も何も。『依頼人の素性には関与しないこと』ってのがこの依頼の条件だからな。むしろおれは立派に責務を果たしているぜ?」
事実である。この手の留守番の仕事にはとかく後ろめたい依頼人が多かったりするので、素性や依頼の理由については知らされない事の方がむしろ多いのだ。もちろん、情報ゼロで契約を結ぶほどこの業界は阿呆ではない。『危険はない』事を示す高額の保証金を預かるかわりに、一切素性や理由に干渉しない、とか。あるいは依頼人と派遣会社の間でのみ守秘契約が結ばれており、おれ達のような下っ端実働部隊には詳細が知らされていない、とかが良くあるパターンだ。
「それって、実はすごく危険な任務なんじゃない?」
だからどうしてお前はそういう台詞を凄く嬉しそうに言うのか。
「スイカの番をするのが?」
「うぐ……」
とはいえ、確かに異常な状況ではあるのだが。
「高級マンションの室内で野菜を栽培するなんてのは、今日び珍しくない趣味だしな」
「趣味、なのかなあ」
「数が桁違いに多いことを除けば、な」
とはいえおれ自身も本当にそれで納得したわけは無いが。
「まあ、本当に危険な状況だったら留守をどこの馬の骨とも知れない派遣社員なんかにゃ任せないよ。警備なら警備で、こないだ会った門宮さん達の仕事になるさ」
例え何か途方も無い陰謀があったとしても、『何かをしなければいけない』のではなく、『何もなければそれでいい』のだ。そういう意味でも『楽な仕事』ということ。おれは寝そべったまま、ザックから雑誌や文庫を取り出す。これもハーゲンダッツと一緒にコンビニで買った物だ。何冊かと事務所から持ち出してきたクッションを真凛に放りやると、おれはこの間門宮さんから教えてもらったファンタジー小説を読み始めた。何でも異世界を舞台にして戦士、忍者、魔術師、武道家が戦う、というモノらしい。ジュースやスナック菓子も引っ張り出して完全にカウチポテトを決め込む。ちなみに水や電気は常識的な範囲内では自由に使ってよいとのお触れも頂いている。周囲から無言のプレッシャーを加えてくるスイカ君たちとその甘い香りにさえ慣れてしまえば、まったく天国のような仕事だった。ところが真凛はお悩みのご様子。
「うーうーうぅ。でもなあ、それだとあんまり意味がないって言うか」
そんなにこないだみたいなバケモノとガチやりたいのかねこのお子様は。
「それはそうだよ。フレイムアップと関わって、自分が今までいた世界よりはるかに強い人たちがいる領域を知ったからこそ、このお仕事を始めたんだから」
それまでは新宿ストリートでも実家の交流試合でもほとんど負けなしだったのだから、真凛にとってはそれは人生を一変するほどの一大事だったのだろう。かくて『ボクより強い奴に会いに行く』理論のもと、七瀬真凛はウェイトレスもレジ打ちもやらず、はたまたショッピングや部活動に明け暮れることもなく、女子高生としての夏休みをこんな所でスイカに埋もれて過ごしている。金に困っているわけではないのに。そういう屈託のなさが、少しばかりおれには好ましく、そして羨ましい。
「そう言えばさ」
難儀な顔をして文庫版『ガラスの仮面』を読んでいた真凛が顔を上げる。
「あんたは何でこんな仕事始めたの?」
あれ?言ってなかったっけか。
「よくあるだろ?社会勉強を通じた自分探しの旅だよ」
は?と真凛が呆け面をする。
「『おれがこの世に生まれてきた理由』を見定める、って奴さ」
「……冗談だよね?」
「冗談だよ」
カッコつけすぎ、と真凛は文庫本に視線を落とす。実際、仕送り無しの学生は何かにつけて金がいる。花の東京一人暮らし、決して楽ではないのだ。と、真凛が文庫を読み進めながら、でもそれならわざわざこの仕事でなくてもよかったんじゃない?などと問いかけてきた。
「まあ、出来ることから逆算してったらこうなったんだよ」
おれは素っ気無く答えてチョコレートに手を伸ばそうとして、その手は空中に止まることになった。
部屋の電話が、鳴り出したからだ。
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