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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第5話 『六本木ストックホルダー』



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◆◇◆ 1 ◇◆◇

 
 
  成田空港の到着ロビーを抜けて外に出ると、冷涼な空気が『ニョカ』の肌を刺した。その感覚に、微かに眉をひそめる。湿度も随分低いようだ。空港の売店で買い求めたミネラルウォーターの栓を開け、微量を口に含む。
 
 
  少しだけ期待していた。ニューヨークを離れる仕事は久しぶりだったのだ。拠点としている無機質で寒々しいコンクリートの森は、ビジネスには実に都合が良いが、『蛇』の生まれ育った地に比べれば余りに寒く、乾いている。今年の東京は大層暑く、蒸していると聞いていた。『蛇』がこの仕事を引き受けた一因に、久しぶりに寒くて無機質な住処から這い出したいと思う気持ちがあったことは否めない。だが。
 
  手配してあったレンタカーに乗り込んだ『蛇』は、そのまま新空港自動車道に進み、成田ICから隣接する東関東自動車道に乗った。東京へと向かって延びるアスファルトの両脇には、なだらかな日本の山々が広がっている。そのいくつかには既に、ぽつぽつと赤や黄の点が混じり始めていた。
  十月の日本は、長かった夏を卒業しようやく秋に入り、九月までの熱気が嘘のように涼しい日々が続いていた。『蛇』の愛する季節は、既に過ぎ去った後のようだった。
 
  仕方があるまい。
 
  『蛇』は首を一つ振り、ささやかな楽しみを諦めた。そうであれば、やるべき事は決まっている。
「『銀杏ギンゴ』、『メイプル』、『ゼルコバ』、『七竈チェッカーツリー』……」
  唄うようにリズムに乗せて、唇の間から言葉を押し出す。今、『蛇』は自分自身でレンタカーのハンドルを操っている。当然ながら、他に車内には誰もいなかった。
 
  だから。
  今呟いた名前が、『蛇』の駆るこのレンタカーの遥か先、高速道路の向こうに広がる山の、点にしか見えないはずの僅かに紅葉を始めた樹木を差したものだと気づいた者など、いるわけがなかった。
 
  東京か。
  『蛇』は運転席のカップホルダーに置いたミネラルウォーターのボトルに、掌を添えた。ボトルの中に収まった水が、うごめいた。それは決して、運転の揺れによるものではない。だが、やはりそれを目にした者は、誰も居なかった。
 
  だから。
  その車が東京方面に向けて姿を消したそのしばらく後、成田空港周辺の山奥に点在する、銀杏の木と楓の木と七竈ナナカマドの木がそれぞれ一本づつねじ折られた事など、当然誰にも気づかれるはずもなかった。
 
 
 
 

◆◇◆ 2 ◇◆◇

 
 
ついばめ。『鶴』」
  『折り紙使い』門宮かどみやさんのしゅとともに放たれた折鶴は、百に千にその数を増す。刃のように鋭い翼を持った純白の鶴の群れはたちまちのうちに剣呑極まりない剃刀の嵐と化し、蹴りを放つため跳躍しようとしていた七瀬真凛を包みこんだ。
「なんのっ!」
  直前にその攻撃を察知し、咄嗟に真横に飛び退く真凛。こう言葉で表現すれば単純だが、思い切り助走をつけた幅跳びを、踏み切りした瞬間に横跳びに変えたようなものである。人間離れした反応の良さと、それを吸収する体や腱の柔らかさがなければ出来ない芸当だ。一瞬前に真凛が存在していた空間をずたずたに切り刻む折鶴の紙吹雪。
  敵の攻撃モーションや殺気から、想定される攻撃範囲を描き出し、これを事前に避ける事で身をかわすのが真凛の得意技である。だが、『事前に攻撃を読む』と『読んだ攻撃をかわす』という行為は必ずしもイコールではない。「わかっていても避けきれない攻撃」というものもあるのだ。特に、この門宮さんの折り鶴のような、『線』ではなく『円』の範囲攻撃は尚更だ。跳躍で間合いを広げてもなお、逃れきれない白い嵐。咄嗟、両腕両脚で顔と腹をかばう。残り時間はわずか。今を逃せばもうチャンスは無い。おれは舌打ちするのももどかしく、我がアシスタントをフォローすべく精神をシフトする。
「『門宮ジェインの』『攻撃は』『七瀬真凛に』――っと危ねっ!」
  アップに叩きこんだ精神のギアが急速に元に戻される。咄嗟に地面に転げまわったおれの背後の壁で、壁に叩きつけられたゴム弾が鋭い音を立てて弾けた。
「ハッハー。Saintに二度同じ技は通じマセンネ!」
  右腕のサイレンサーつき銃身からゴム弾を吐き出しおれを牽制しつつ、すばやく真凛と門宮さんの間に割って入る、『スケアクロウ』。二人の背後では今まさに、今回のターゲットを乗せたBMWがエンジンを始動させ、この駐車場から発進しようとしていた。
「待ってください、水池さん!!話を……」
  おれは唸りを上げるエンジンの音に負けないように声を張り上げるが、運転席まで声が届いたかどうかは怪しいものだった。いや、どの道意味がない。声をかけた程度で話を聞いてくれる相手ではないからこそ、こうやってスマートでない実力行使に訴えているのだから。
「ええい!真凛、そのでかぶつを何とかしてくれ!」
「合点承知!」
  いつぞや戦いでもそうだったように、真凛にとっては門宮さんよりも、銃弾という『線』の攻撃を扱うスケアクロウの方が相性がいい。サイレンサーから撃ち出されるゴム弾をかいくぐり接近する真凛。だが、今回『スケアクロウ』は、それに応じようとはしなかった。かわされる事を前提としつつ、真凛の進路を塞ぐように銃弾を浴びせ、回避のために足が止まった隙をついて巧みに距離を取り直す。
「ヤラセワセン!ヤラセワセンゾー!」
「このっ……!」
  そうして時間が過ぎるにつれ、確実に勝利の天秤はあちらに傾いてゆく。そう、これが警備会社『シグマ・コーポレーション』本来の姿である。彼らの仕事はあくまで『守る』ことなのだ。前回とは異なり、向こうにこちらの手の内がバレており、しかも守りに徹している。今の状態の彼らを制することは、おれ達にとっても容易なことではなかった。ラストチャンス、おれは交戦している真凛とスケアクロウを横目に突っ切り、BMWに向かう。だが、残念ながらこれも読まれていたようだ。
「塞げ。『紙風船』!」
  門宮さんの手には、四角い箱状に折り上げられた紙。いかなる原理によるものか、それは彼女の手から離れると空気を吸い込み、瞬く間に直径二メートル以上の巨大な『紙風船』と化し、おれに襲い掛かってきた。
「へぶっ」
  擬音で表現するならまさに、『ボヨヨン』であろう。重く、巨大で、柔らかな紙風船に横から吹っ飛ばされて、おれはほとんど反応すら出来ず無様に地を這った。鼻を打って泣きそうになるところに、真凛の鋭い声が飛ぶ。
「陽司!車が!」
  遠ざかるエンジン音。慌てて顔を上げると、駐車場の出口をBMWが悠々と通過してゆくところだった。今のおれ達に自動車を追う手段はない。……タイム・アップ。戦闘は終結した。
  つまりは、おれ達の負けだった。
 
 
  おれはたっぷり五秒間突っ伏した後、起き上がろうとして面倒臭くなり、そのままごろんと仰向けになった。
「……ちっくしょー、バリエーション多いっすね、攻撃パターン!」
  地下駐車場を照らす蛍光灯の鈍い明かりが目に飛び込んでくる。おれ達が今いるのは港区某所の超高級マンションの地下、住人達の所有する車(当然ながらほとんどが高級車、それも外車である)が停められている駐車場だった。どうにかセキュリティを騙くらかして忍び込むところまでは上手くいったのだが。まさかこの二人がターゲットの護衛についているとまでは予想していなかった。
「大した事はしていません。一枚の紙片を手折る事で無数の形を作り出せるように、基本の術法をいくつか組み合わせているだけですよ」
  門宮さんがこちらに歩み寄り、手を差し伸べてくれた。無骨な『シグマ』の制服に身を包んでいるのはイタダケナイが、すらりとした長身と、欧米系の血を引く主立ちに浮かぶ日本美人特有の表情が変わらず美しい。そして長く垂れる艶のあるポニーテールがよい。すごくよい。ものすごくよい。イタリア人的表現ならベネではなくてディ・モールトだ。おれは差し伸べられた白い手をしっかと握って上半身を起こした。
「立てますか?」
「ええっと、ちょっと腰が抜けたみたいで……」
  おれは右手で門宮さんの手を握ったまま、努めて痛そうな表情を装う。過剰労働に従事するこの身、せめて鼻を打った分くらいは役得が欲しいところである。
「門宮さん、コイツを起こすときはこうやるんですよ」
「ひぎぃ!?」
  いつの間にかやって来た真凛がおれの左手首をヤバイ角度に極めていた。激痛から逃れようと、おれは反射的に肘と肩を上方向に逃がそうとし、結果として弾かれるように立ち上がる。
「真凛、お前何するんだよ!?」
「腰は抜けてないみたいだね」
  いやに冷たい目でこちらを見据える真凛。くっ、猪口才な。お子様が余計な知恵を身につけおって。かくなる上は、
「いやその。スイマセン」
  謝るしかあるまい。そんなおれ達を見やって門宮さんがあのアルカイックスマイルを浮かべる。
「相変わらず中がよろしいんですね」
「……まあ、こんなんでもアシスタントですしね」
「こんなんって誰のことだよ!」
  残念ながらすでにその手は離れている。憮然とするおれの視界の端で、『スケアクロウ』が大げさに肩をすくめて見せた。
『ンだよ。なんか言いたいことでもあるのかよ』
「Oh!ワタシは今アウト・オブ・カヤでスネー。コチラにファイア・パウダーを飛ばさナイデクダサーイ」
  おれの英語に野郎は日本語で返答してのけた。ったくどいつもこいつも。と、門宮さんが表情を改める。
「今回は私達の勝利。これ以上潰しあっても無駄でしょう。ここは一旦退いていただけますか?」
「仕方ありませんね」
  すでにターゲットは去ってしまった。今頃は自分のオフィスに向けてBMWを走らせている真っ最中だろう。ここでこの二人と戦っても勝てる気がしないし、勝ったとしても、次にまた新たな護衛が立ちふさがるだけだ。
「そーいうわけだ。ここは退くぞ、真凛。……そんな不満そうな面をするな」
「わかってるけど。やられっぱなしは性に合わないなあ」
  おれは眉間に指を当てて首を振った。これだから戦闘フェチは手に負えん。
「腐るなって。次にきっちり勝てばそれでいいわけだから。……ですよね?」
  最後の台詞は真凛に向けたものではなかった。
「そのとおりです。しかしお忘れなく。時の天秤は常に私達『シグマ』に味方するものですよ」
  門宮さんは悠然と微笑を返した。
 
 
  おれ達の見ている前で、二人はシグマ社の所有するクソごついステーションワゴンに乗り込み、去っていった。おそらくは、ターゲットのBMWと合流するのだろう。取り残されたおれ達は、なんとなく次の行動を決定する気になれず、ボケっとその場に突っ立っていた。
「行っちゃった」
  真凛の間の抜けたコメントに、おれも鼻息だけで気のない返事をした。
「……じゃあ、帰るか」
  盛り上がらなかった飲み会の後のような台詞を吐くと、おれ達は撤収にかかった。毎度毎度の事ながら、この虚しさを味わうにつれ、どうしてこんな事をやっているのか、と自省したくもなってくる。
 
 
 
 

◆◇◆ 3 ◇◆◇

 
 
「まだ恥ずかしくもなく生き永らえておるかね亘理氏?」
「のっけから名誉毀損で訴えたくなるような失礼な質問ですね羽美さん」
  いやまあ、恥ずかしくも生き永らえてる、ってあたりは事実ではあるけどさ。上からこちらを覗き込んでいる声の主、人災派遣会社として名高い我らが『フレイムアップ』の理系全般を担当するマッドサイエンティスト石動いするぎ羽美うみ女史に返事をすると、おれはペンを走らせる手を休め、事務所の自分のオフィスチェアから身を起こした。
 
  三日前の午後のことである。
 
  十月に入って大学の授業も再開したと言うのに、哀れなおれは今日もこうして授業が引けた後は事務所に顔を出している。貧乏だ、みんな貧乏が悪いんだ。
「チーフ殿が貴公を召集しておるぞ」
須江貞すえさだチーフが?」
  珍しい人から声がかかったものだ。うちの事務所のシステムは、多くの案件を、割り振られた各自がバラバラにこなしていく形式である。そのため、現場の取りまとめ役であるチーフといえども共に行動する機会はあまりないのだ。いぶかしがるおれがペンを置くと、その机に羽美さんが目を留める。
「ほほう。書類仕事かね。貴公の脳のような貧弱な演算回路に出力を求めるとはまた、無駄な行為を要求する輩もいたものよ」
  分厚いメガネを揺らして羽美さんはくけけけけけ、と笑った。
「レポートですよレポート。こっちは忙しいんですから向こう行ってください」
  しっしっと野良猫を追っ払う手つきで、相変わらずの蓬髪に擦り切れた白衣という態のマッドサイエンティストをあしらう。冷たいようだが、この人は自分が没頭しているときは人の話など聞こえもしないくせに、自分がヒマな時は他人の迷惑など顧みず、あちこちにちょっかいをかけずにはおられない。扱いとしてはこのくらいで丁度いいのである。
「あら、陽司さんの任務報告書はもう頂いていたはずですが?」
  事務所の奥から声をかけてきた黒髪の美女。こちらは文系全般を担当する笠桐かさきりリッチモンド来音らいねさんである。この事務所に文理の双璧が揃うのは、実は結構珍しい。
「ええ、来音さん。任務報告の方はさっき提出した通りで。今やっているのは大学の課題ですよ。うちの学部は休み明けには確認テストとレポートが山と出ましてね」
  とは言っても、一応ブンガクに魂を捧げている(はずの)文学部生たるおれは、数学や物理の小問題からはすでに解放されている。只今おれに課せられているのは、もっぱら受講している第一、第二外国語の読解および翻訳。そして文化人類学や哲学、心理学についてのレポートである。なお、文学なんて受講してないじゃないか、というツッコミは認めません。と、来音さんがこちらにわずかに顔を寄せてささやく。
「そうですか……。ところでその後、腕とお腹の傷はいかがです?」
「おかげさまで。あの真凛に見抜けないくらいまで治りましたよ」
  いつも助かります、と来音さんに頭を下げる。任務中の戦闘はいざ知らず、プライベートの方のそれは激烈だ。というより、そもそも命の価値や概念が極端に薄くなる。戦闘終結後に腕や足が片方ずつ残ってれば儲けもの、ということもざらである。その度におれはこの美しい吸血鬼の姫のお世話になっていたりする。
「そういえば亘理氏は文学部生であったか。小生としたことがすっかり失念しておったわ。そのスレた態度、まさに在学中に遊び尽くした挙句就職浪人した法学部生の如しッ!」
  ……まだ居たのかこのヒト。
「純朴な少年がそんなスレた態度になったのは誰の責任でしょうね一体?」
  某工科大学をドロップアウトした人に言われたくはないわい。だいたい法学部生に失礼だっつうの。何か身近な元法学部生に怨みでもあるんだろうか。
「羽美、いつまでも与太話をしていないで、本題に入ってください」
  不毛なやりとりを見かねた来音さんが割って入る。
「何だね、在学中に遊び尽くした挙句就職浪人した元法学部生ッ!」
「あ、あれは休学です!実験でキャンバスごと研究棟を吹き飛ばして放校された貴方と一緒にしないでください!!」
「くはははははは!奨学金を食費に使い果たして休学とは片腹どころか両腹痛いわ!!」
「んなっ!?貴方がそれを言いますか!?私は貴方の放校処分に巻き込まれて奨学金を減らされたのですよ!?」
  ……なるほど。意外なところで判明した我が事務所の双璧の因縁であった。それにしても方やイギリス、方やアメリカに在住していたはずなのに、どこで交流があったのやら。
「で、その」
  火花を散らす二人に向かっておれはおずおずと尋ねた。
「須江貞チーフの元に向かえばよろしかったんでしょうか……?」
 
 
 
  いつもの応接間に入ると、そこには二人の先客が居た。一人は我がアシスタント七瀬真凛。そしてもう一人、真凛の隣に座っている、よれよれの背広の男におれは声をかける。
「お呼びですか、須江貞チーフ」
「ああ。また連荘レンチャンさせてしまってスマンな。新たな任務だ」
  そう言って、彼、我らがチーフたる須江貞すえさだ俊造としぞうがおれに席を勧めてくれた。
 
  一言で言って、くたびれた印象の男である。
  おれのような一般市民はさておいて、この事務所に所属する連中が良くも悪くも際立った印象を与えるのに比べると、基本的に平均的な日本人の男性の範疇を出ない。
  歳はまだ三十半ば。二十代の頃徹底的に鍛え上げたのであろう体躯は、今もなお贅肉を寄せ付けていない。短めに刈りこんだ頭髪と、薄く無精髭の浮いた顎。その顔はまあ、どちらかと言えば整っている部類に入るだろう。いずれのパーツも素材はそう悪く無いはずなのだが、年季の入った背広、しみついた煙草の臭い、やつれた頬あたりが、なんとなくうらぶれたオーラを醸成しているような気がする。有態に言えば、徹夜続きの刑事そのものである。それもそのはず、もともと須江貞チーフは本庁でも腕利きで知られた刑事だったのだ。紆余曲折を経て警察を去り、経理の桜庭さんの伝手でウチに就職したのが数年前。創立メンバーである所長と桜庭さんに次ぐ最古参である(と言ってもそもそも十人程しかいないわけだが)。チーフとは言っても先の理由により、あまり現場でおれや直樹とコンビを組む事は無い。普段はもっぱら外交――すなわち、他の派遣会社や依頼主、あるいはターゲットである企業との揉め事を、オモテ、ウラに関わらず処理している。実はいつぞやおれ達がザラスの地下金庫から金型を奪還したときも、ザラス上層部からの有形無形の圧力があったものだ。それをきちっと排除してくれたのが、他ならぬチーフである。
  そんなチーフが現場に出張ってくる場合は二つ。一つは、前に言ったかも知れないが、ウチの総力を結集するとき。実働部隊の文字通りチーフとして指揮をとる。そしてもう一つは、前職の経験を生かした任務。例えば、捜査、追跡、立証を中心とする仕事はチーフの独壇場である。また、おれ達ガキんちょ部隊には手の余る、ダークな要素が介在する案件。あるいはちょいと心霊風味の案件なども主に担当している。
 
 
「珍しいですね、羽美さん来音さんに加えてチーフまでが事務所にいるなんて」
  おれは真凛に軽く手を挙げて挨拶すると、ソファに腰を沈める。
「ようやくヤヅミの債権回収の件が片付いてな。今度は自分の机の上を片付けるために事務所に顔を出したというわけだ」
  管理職であるチーフの机には、おれ達の作製した任務報告書も含めて様々な書類が流れ込んでくる。事務処理のエキスパートたる来音さんがいるのでそれでも随分軽減されているが、チーフとしての決済を下さなければならないものも多いのだ。本来はそれらを捌きつつ自分の報告書も作らなければならない要職であるわけなのだが、そこは元叩き上げの刑事、現場と書類のどちらを優先させるかは言わずもがな。かくして主が不在のチーフの机の上にはマリンスノーのように紙の束が降り積もってゆく。羽美さんの研究室とチーフの机の上が、目下の所、我が事務所の二大カオス製造装置なのである。
「そろそろ処理しないと笠桐さんに怒られてしまうからなあ」
  この増税路線一辺倒のご時世でも手放さないマルボロを灰皿に押しつけ、チーフはぼやいた。一番事務所にいなければいけない人間の癖に、おれより事務所に顔を出したがらないというのはいかがなものだろう。
「ま、来音さんが怒るかどうかは別として、書類を何とかして欲しいのはおれとしても同感ではありますね」
  来音さんが怒るとしたら、多分それは書類が片付かないからではなくアナタが顔を出さないせいです。
「こないだの地震の時は大変だったよね」
  真凛がさりげなく灰皿から立ち昇る煙から身をかわす。
「ああ。あれは大変だったな。あのアイガーの北壁のような書類が大崩壊を起こした時はこの世の終わりかと思ったぜ、マジで」
「応接室以外を禁煙にしておいて良かった。灰皿から引火してたら大変だったよ」
「まさしく英断だったな。これはもう、事務所内完全禁煙にしろという天のお告げに違いないだろ」
「……お前達なあ、そうやって遠まわしに社会的マイノリティの喫煙者を追い詰めて楽しいか?」
  チーフが泣きそうな顔になる。ウチのメンバーで喫煙組はチーフと羽美さんだけである。仁サンも超人的な体力を維持する為に喫煙は避けているし、所長は『二十歳で卒業した』との事である。おれは吸えない事もないが、全く美味いと思えないので、カッコをつけるときだけ専門。直樹、来音さんにいたってはそもそも体がニコチンを弾いてしまうので効かないのだそうだ。世界的な禁煙の流れを受けて、とうとうウチも依頼人が訪れる応接以外は全面禁煙になった。
「「タバコは百害あって一利無し」」
  おれと真凛の声がハモる。チーフはその声に追いやられるようにソファの隅っこに座りなおし、寂しく天井の換気扇に向かって煙を吐いた。
「いいじゃないかよぅ、独り身三十代の日々で楽しい事って言ったらこれくらいなんだからよぅ」
  じゃあ結婚でもすりゃいいのに。テンパイしてるくせにリーチをしないとは何事か。と、おれは今さらながら、普段いない人がいる代わりに、よくいる人がいないことに気づいた。
「そう言えば所長はどうしたんですか?」
「CCCのマハタ社長って人と会食だって」
「……おいおい。そりゃ業界としてはちょっとしたニュースだな」
  派遣業界最大手と、派遣業界最問題児の会談となれば、何か色々勘ぐりたくなってしまう。
「ああ。そうだな、お前達には今のうちに言っておくか」
  吸殻を灰皿に押し付けたチーフが解説してくれた。
「ひょっとしたらもうすぐ大掛かりな仕事が来るかも知れんのだ。ウチだけでなく、CCCや、他の数社と共同戦線を張るような、な。今日の会食はその調整だ。いずれお前達にも色々頼む事があるかも知れん」
「へぇ……」
  もしそれが実現するとしたら、おれも経験したことのないビッグプロジェクトになるだろう。もっとも、それまで何人生き残っているかは知らないが。
 
 
「まあ、そう言うわけで、今日は俺が代わりにお前達に依頼を回すと言うわけだ。イズモ・エージェントサービスは知っているな?」
「そういや、依頼の話でしたっけね」
  いつまでもヨタ話をしていても仕方がない。おれは応接テーブルの上に置いてあった任務依頼書を手に取った。
「当たり前でしょ。この業界でイズモを知らなかったらモグリですよ」
「ボク、今日初めて知ったんだけど……」
  ああ、そりゃそうか。本格的に真凛が調査系の仕事に入るのは、いつぞやの偽ブランド事件以来、二回目だったっけか。
「イズモの仕事っつったら、やっぱり人探しですかね?」
 
 
 
 

◆◇◆ 4 ◇◆◇

 
 
  イズモ・エージェントサービス。おれ達同様の『派遣会社』である。
  その仕事は『調査』専門。人探し、失せ物探し、浮気調査、企業の信用調査などなど。世間で言うところの探偵事務所と思っていただければ間違いない。その社員数、実に五百人以上を誇る業界大手だ。ピンからキリ、有名どころから胡散臭いのまで幅広い『派遣業界』において、おそらく一般人にも最も有名な派遣会社であろう。
  資本や規模だけで言えば、千人以上の異能力者を有し、カリスマ社長が率いる新進気鋭の派遣会社クロスクロノスコーポレーション、通称”CCC”、日本企業御用達の老舗警備会社ブルーリボンガーズ、通称”BRG”などもある。だが、こと知名度と言う点であれば一位はダントツでこのイズモだ。何しろ彼らは堂々とテレビに出演しているのだから。
  誰でも一度くらいはゴールデンタイムの特番で”人探し”番組を観たことがあるだろう。芸能人や一般人の『幼い頃生き別れた母親に会いたい』、『初恋の人ともう一度話がしたい』というリクエストに応じてテレビ局が捜索し、その調査過程で話を盛り上げ、スタジオで再開するシーンでクライマックスに持っていくというあの手の番組。テレビ局から依頼を受け、実際に番組中で活躍する調査員達、実はあれこそが『イズモ・エージェントサービス』のスタッフなのである。
  よって、その構成員はほとんどが元刑事や警官、探偵である。特に探偵の技術については、メンバーのノウハウを社内に蓄積して新人に伝授するシステムが整っており、日本一の探偵養成所でもある。事実、ここから独立してフリーで活躍する私立探偵も多い。
  そういう意味では、少々社会的に特殊ではあるが、メンバーはあくまで一般人であると言える。しかし、時には”通常の方法以外での”調査が必要な案件も紛れ込んでくる。そういった案件に対応するために、異能力の持ち主も多数所属しているのだ。
  遠隔視能力者クレボヤンス。遺失物や、時には遺体を見つけ出すダウザー。サイコメトラーやテレパシスト。嗅覚や野外活動、行動心理学に秀でた追跡者達トレーサー。夏の心霊番組に備えて占い師や退魔師まで取り揃えていたりする。『エージェントが所属する探偵事務所』というよりは、『エージェント所属している探偵事務所』の方がイメージに近いだろう。遠隔視と言えば、かつて長野からのデスレースで共に戦った『机上の猟犬ハウンド・オン・テーブル』見上さんもここの所属である。
  また、異能力者で無くとも、調査や逮捕のプロであり豊富な人脈を持つ警察関係者はとにかく心強い。社会的にカオが利く、という長所は、この業界においては超能力や魔法の一つや二つを補って余りあるのだ。
  そんな失せもの探しのプロ集団イズモがおれ達に丸投げしたい案件となると、やはり人探しくらいしか思いつかないが……。
 
 
  おれの質問にチーフが頷き、配った資料をめくる。
「そう。俺の元上司が今はイズモで働いていてな。イズモに依頼のあった人探しの件を、うちに委託したいと言うオファーがあった」
  それって、つまるところ丸投げって言わないか。とりあえず資料をめくる。そこにあった名前を見て、おれは思わず小さく叫びを上げてしまった。
「依頼人は……露木つゆき甚一郎じんいちろう!?まさか。トミタ商事事件の伝説の弁護士?」
  チーフは頷く。おれは短く口笛を吹いた。
「こりゃまた大物ですね。あと十年経てば間違いなく歴史の教科書に載りますよ」
「あの、全然話についていけないんだけど。何ですかそのトミタ商事事件って?」
「戦後最悪と評される金融詐欺事件だよ」
  チーフが面白くもなさそうに呟いた。
 
 
  トミタ商事事件。
  二十世紀後半、バブル経済の末期に発生した悪質な相場詐欺である。
  おりしも世間では土地や株への投資が過熱し、様々な投資会社、商品が乱立していた時代である。その中のひとつ、新興の投資会社トミタ商事が、このような広告を打ち出したのだ。『今はダイヤモンドが買い時です、今買っておけば必ず値上がりして、倍以上の値段で売れます。私達にお金を預ければ、きちんとダイヤモンドを購入して運用します』、と。
  そして顧客から投資と称して巻き上げた金を、社長や数人の幹部が自分の給料として着服した。そして、ダイヤの値上がりを新聞で知った投資家達が、殖えたはずの自分の資産を引き上げようとすると、「もう少し待っていればもっと殖えますから」と言葉巧みに返金を拒むというものだった。最初からダイヤモンドに投資する気など更々無かったようである。当時のトミタの事務所内には”ダイヤモンドはちゃんとあります”とこれ見よがしにダイヤが積み上げられていたが、これも後の調査で全てガラス製のフェイクだったことが判明している。
  詐欺の手法としてはそう手の込んだものではない。むしろ疑ってかかればいくらでも怪しい点が浮かんでくる類のものだっただろう。そんな詐欺がまかり通ったのには理由がある。そして、それこそがこの事件が戦後最悪と評される所以だった。トミタ商事が狙い撃ちにした標的は、ビジネスマンでも学生でも主婦でもなく、一人、もしくは夫婦暮らしの高齢者……つまりはお年寄りと、彼らが蓄えた老後の貯蓄だったのである。トミタ商事は社員に接客マニュアルを渡し、その実行を徹底させた。その手法をいくつか上げると、このようなものだ。
 
  最初は絶対に投資の話はするな。
  会社の命令で仕方なくやらされていると言え。
  相手の部屋に仏壇があったら線香を上げて手を合わせろ。
  自分にも田舎に祖父母が居ると言え。
  「おばあちゃん、俺を息子と思ってくれ」
  「すき焼きの材料を買ってきたので一緒に食べましょう」
 
  ――こうして、息子や孫のように思われるようになった時点で、「実は俺、会社でこんな商品を売れって言われてるんだけど……」と切り出すのである。お年寄りはかわいい息子同様の若者のためならば、とお金を出すわけだ。
  赤字操業が発覚してトミタが破綻するまでの五年間で、全国の高齢者から巻き上げたその金額は、およそ一千億円とも推測されている。缶コーヒーが百円だった時代の一千億円だから、現在の物価に直せばさらに数割増える。とんでもない額だった。そしてそのほとんどが、トミタの社長と幹部連中の給料に消えた。後に詐欺罪で押収されたトミタ社内の裏帳簿を見て、検察関係者は愕然としたと言われている。……幹部の給料は、冗談抜きで毎月一千万円だったのである。
  詐欺罪によってトミタ商事は破綻したが、散々甘い汁を吸った幹部の多くは、検察の手が伸びる前に金を持って海外へ逃亡した。社長もその例に漏れず逃亡しようとしたようだが……うちらの業界関係者も随分裏で暗躍したらしい。結局、検察の手入れの数日後、惨殺死体として都内某所の排水溝に挟まっているところを発見された。
  刑事事件としては解決を見たトミタ商事事件だったが、金の多くは持ち逃げされ、あるいは幹部連中の冒険半分の無謀な投資で雲散霧消していた。結局の所、集めた一千億のうち検察が差し押さえたのは、ビルや家具などを押さえても二十億円程度だったため、投資者に返せる金など、どこにも存在していなかったのである。
  投資者達はここで、二重の苦しみを負う事になった。一つは当然ながら、老後のために蓄えてきた資金をごっそりと奪われた事。そしてもう一つは、『投資なぞに手を出すとは何事か』という家族や周囲からの冷遇である。
  二十一世紀になって、ようやくネット株やデイトレードと言った単語も随分身近になったが、それでもまだ日本では投資をするという事は賭博の同類と考える風潮は根強い。いわんや当時においておや。「おじいちゃんはそんな歳になってまだお金が欲しかったんですか、浅ましい」というわけだ。実際のお年寄りには、「孫みたいなあの人が薦めてくれるから、会社で成績を上げさせてやりたくて」という心情の者も多かったらしいが。その上、投資の基本は自己責任、という大原則がある。つまり投資が失敗しても、それはその商品を選んだ自分の責任、同情することは出来ない、と考える者も多かった。実際、資産と世間体両面で追い詰められて自殺したお年寄りも多かったと聞く。
  金が返ってくるあてもない、世間からも冷たい目で見られる。何より、人を信じるという気持ちを踏みにじられた……そういった人々の救済に立ち上がったのが、弁護士露木甚一郎である。
 
 
  トミタ商事の破産管財人に就任した露木は、トミタの膨大な帳簿を一つ一つ調べ上げ、その金の流れを追い続けた。トミタの無謀な投資先、買い付けた後暴落した不動産やゴルフ場。トミタが破産寸前とわかっていて不良物件を売りつけた企業もあり、そこにも彼は責任を認めさせ、一部の返金に応じさせた。さらにはアクロバティックな論法で、トミタ幹部が納めた所得税すら国から取り返したのである。
  数年に及ぶ死闘の末回収出来たのは、それでも実際のところ二百億円、一割程度だったが、彼が確実に一つ取り戻したものがあった。国や関係企業、そして世間にトミタの被害者達の正当性を認めさせることで救った、被害者の尊厳である。
  後に、事件に関わった裁判官は、非公式ではあるがこうコメントを残している。『露木弁護士が取り戻したのは、お金だけではない。罪のない人々を守るためにこそ法があるのだという、法治国家の信頼もだ』と。
 
 
  チーフが語り終えると、応接間の雰囲気はお通夜みたいになってしまっていた。
「……それにしてもひどい話だね」
「ギリギリおれが生まれる前の頃だったかな。でもまあ、露木弁護士のおかげで、多くの人が救われた事は間違いない。大学の法学部にも弁護士目指してる奴は結構いるけど、この人に憧れて志したって奴は多いもんなあ」
「聞いた事もなかったよ」
  真凛が口を尖らす。おれは丸めた書類でやつの頭を軽く叩いた。
「いたっ」
「だからちゃんと新聞を読んでおけと言ってるだろう」
  最近のおれの第一課題は、こやつに一般常識を叩きこむことである。
「そう言うな。真凛君がわからないのも無理もない。法曹界の英雄とは言え、引退してもう十年以上経つからな。社会人だって知らない奴の方が多いよ」
「コイツを甘やかしちゃいかんですよチーフ。本気で仕事をやらすつもりなら、まずはキチンと業界の基礎知識を固めさせておかないと」
「わかったわかった」
  チーフは苦笑した。
「それで、な。この伝説の弁護士露木甚一郎がイズモに依頼したのはこうだ。十五年前に家を出てアメリカに渡った一人息子を探してくれ、とね」
「家出息子が居たってのは初耳ですねえ。まあ、でもそれならそれで、調査員と探知能力者が掃いて捨てるほど居るイズモの独壇場でしょう。何もウチが出張る必要はない」
  おれは任務依頼を丸めたままソファーに背を預けた。
「ああ。さすがにイズモの連中も優秀でな。その息子の存在自体はすぐに見つけ出したんだよ。アメリカの大学を卒業し、数年前に日本に戻ってきている」
「はあ。じゃあ依頼は無事解決ってワケですか?」
「いいや。問題は、見つけたその後に発生したんだ。そしてソレが、イズモがウチに依頼を投げてきた原因でもある」
  そう言うとチーフは、任務依頼書を数項めくった。
「これが、露木弁護士の息子……露木恭一郎の現在の姿だ」
  そこに添付されていた写真を見て、おれと、真凛までが声を上げていた。
「これ、水池みずち恭介きょうすけじゃないですか!」
「……あの”ドラゴン水池”だよ、ね?」
  いささか自信なさげに真凛が問う。おれは頷いた。
「なんだか今日は随分大物に縁がありますねぇ」
  おれはここ一年ほど散々テレビを賑わせている男の写真をつまみあげた。
 
 
 
 

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