小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第6話 『北関東グレイヴディガー』



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◆◇◆ 1 ◇◆◇

 
 
  おそらく彼は、私の悩みを正確に察知していたのだろう。
 
「変身と変装、どちらがより高度な技術だと思う?」
  不意に彼は、グラスをすすめながらそんな事を聞いた。なぜ私にそんなことを聞くのか、と問い返すと、彼は当然のように、もちろん君だから聞くんだよ、とそう言った。今更そんな事を、と抗議の声を上げかけて、ようやく私は彼の気づかいに思い至った。
  だから私は態度を改め、真剣に回答した。変身だと思います、と。
「なぜだね」
  当たり前の話である。私は自論を述べた。変身とは、何かに成ること。変装とは、何かを装うことだ。変装で形だけ誰かの真似をしてみせたところで、その人間に本当に成ることはできない。どれほどハチミツで味をごまかしてみたところで、メロン味のキュウリが本当にメロンになるわけではないのだ。
  変身は違う。それは、キュウリをメロンにしてのける技術。誰かに本当に成ってしまう技術のことだ。私のような凡人になせる業ではない。だからこそ、結局私は彼からその技を授かることが出来なかった。
  当の本人に述べ立てているうちに、次第に私は激昂してきた。彼に対してではない。自分に対してだった。なぜ私には素質がなかったのか。能力がなかったのか。努力などは前提条件。置かれた環境も申し分なかった。だが、普通の人に腕は三本ないように、目が三つはないように。私には”異能力”の素質がなかった。彼に近づこうとすればするほど、その差異は明確になった。飛んでいる鳥も、跳ねているバッタも、写真に撮ってみれば宙に浮いている事にはかわりない。しかし、自分はそれ以上高く飛ぶことが出来ないことは、当のバッタが一番良く解っている。
  グラスを前にして心の奥の劣等感をぶちまけ続けた私を――すでに回答どころか、ただ私が一方的に喋っているだけだった――彼は無言で見守っていた。やがて私の体力と言葉が尽きた。すると彼は、喘ぐ私に、こう声をかけた。
「私は、変装の方がより高度な技術だと考えている」
  最初は侮辱されたのか、と思った。自分より優れた者から、いやあ君の方がすごいよ、などと慰められるのは、屈辱以外の何物でもない。だが、同時に、彼がそんな見え透いた世辞を述べるような人間では決してない事も知っていた。自然、私は彼の言葉の続きに傾聴する。
「変身の行き着く先は、その人の持つデータに己を近づけること。変装は、自らの裡にその人間を写し取ること。変身も変装も、まずは自分を他人に似せてゆくことから始まる」
  その通りだ。顔を似せる、声を似せる、癖を知る。髪の色を変更する。身長を合わせる。
「より高度な技術を求めていけばいくほど、自分と他人の境界は狭まってゆく」
  口調を真似る。思考を真似る。価値観を真似る。骨格を変形させる。遺伝子を複写する。記憶をコピーする。
「だがここで、変装の場合は物質的な限界が訪れる。男は女にはなれない。白人は黒人になれない。指紋も免疫も、まず変更するのは無理だろうし、遺伝子を書き換えるわけにはいかない」
  そう。だから私はその能力に憧れたのだ。他者の記憶と遺伝情報を読み取り、皮膚組織から筋肉、必要であれば神経系、脳細胞やそれが生み出す記憶まで、完璧に他人を模写できるまさしく最高の役者アクターとしての力を持つ彼に。だが彼は、ゆっくりと首を横に振った。
「そこが分岐点なのだ。足りないからこそ工夫をする。たとえば女形おやまの役者は、女を演じるために実に様々な工夫を凝らしているだろう」
  それは、事実だ。私も異性を演じるために、彼らの技術を勉強したことがあった。本当に彼らは『女』というものをよく観察している。おそらくは、大多数の女性よりはるかに。
「他方、私のような変身の力を持つ者は、近づいていこうと思えば際限なく対象に近づいていくことが出来る。だが、それだけだ。行き着くところはその個人の劣化コピーに過ぎない。百のものに対して、九十、九十九に迫ることは出来るが、それだけだ」
  彼は何もわかっていない。私は反論した。それは貴方がコピーする能力を持っているからこその言い分だ。彼らにもし貴方のような、性別を超えて肉体を変化させる超常の力があれば、あのような面倒くさい技術は必要なかったはずだ。
  私の頑迷な主張に、彼は少し困ったようだった。
「では質問を少し変えてみよう。そうだな、警察が指名手配の犯人を捜す時、ポスターを作って街中に貼るだろう?」
  話が急に飛ぶ。今の今まで女形の役者を脳裏に思い浮かべていた私は、咄嗟に警察官の映像を思い浮かべることが出来ず、返事に詰まった。
「君はあのポスターに、犯人の顔写真を載せるのと、似顔絵を載せるのと、どちらが効果があると思うね?」
  今度の質問には、容易に答えることは出来なかった。私自身は職務上、追われることはあっても、追う立場にはあまりまわったことがない。同僚達なら答えられるのかも知れないが……。私はごく常識的に考え、顔写真だろう、と答えた。すると彼は、私のグラスにワインを注ぎながら笑った。
「はずれだ。答えは似顔絵。顔写真のポスターよりも、見かけた人が犯人と気づく確率が高いんだ」
  ……それは。本当なのか。
「もっとも、私が正確な統計を取ったわけでもないがね」
  警察関係者ならおおむね同意してくれるはずさ、と彼は付け加えた。何故です、と私は問う。問わざるをえなかった。
「似顔絵とは、他者の持つ顔の情報を写し取るためにある。となれば、もっともデジタルに映像を記録出来る写真が、他人が手動で写し取った似顔絵に劣るはずがない。君はそう考えたのだろう?」
  頷く。
「ところがな。実際のところ、写真で見た映像というのは思ったよりも印象に残らないものなのだ。特にその犯人が髪型を変えていたり帽子を被ったり、逃亡生活でやつれていたりすると、気づく可能性はぐんと低くなってしまう」
  私は時々街中で見かけたポスターを思い出してみた。……確かに、そうかも知れない。
「対して、似顔絵というのはいわば、デフォルメされた画像だ。目がキツネのように吊り上がっているとか、耳が大きいとか。そういう情報が、一度描き手によって”濃縮”されて絵にされる。すると面白いものでね。それを観た人間というのは、自然と『実際の顔はどんなのだろう』と、あれやこれやと想像を巡らせはじめるのだよ。一枚の絵からね」
  私はいつしか、彼の話に聞き入っていた。
「そうして、いつのまにかその人間の頭の中には『その人の候補の顔』が幾つも脳内に蓄えられていることになる。だからこそ、髪型や表情、年齢による変化に惑わされず、その人間を見つけることが出来るんだ」
  ……私は彼の言わんとすることを、おぼろげながら理解し始めていた。私は控えめに意見を述べた。つまりは人間は、正確な情報よりも、誇張された情報を記憶するということなのか。
「そのとおりだ」
  彼は満足げに言った。
「真に”似せる”という事は、ただ模写をするということではない。当の本人以上に客観的に本人の特徴を捉え、それを自在にデフォルメしてのける技術。それこそが”似せる”ということなのだ」
  極論をしてしまえば、私が演じようとする当人の容姿と、私自身の変装がデジタルに同一である必要はない。私を観る人間の脳内の”当人”の映像に、私自身の変装を合わせればいいということだ。……気がつけば当たり前のことではある。舞台の役者なら最初に覚えるような事項だ。幸か不幸か、この単純な事実にも気づかぬほど、私は彼という人間に近過ぎたということか。
「確かに君には私のような力はない。だからこそ、君には私を越えていく力がある。私は百のものに九十九までしか歩み寄ることは出来ない。今の君はまだ九十、いや、八十にも達していないだろう。だが究極的には、君は百二十に辿り着ける可能性がある」
  彼はそう言うと、ついぞ私の前では見せたことのない表情を見せた。今でも時々思い返す。それは、自嘲、だったのか?
「……そう。私には結局、模写しか出来ないのだ。模倣以上のものを産み出すことは、決して出来ない。だからこそ、君に託したいのだ」
  彼はそう言って、私との、結果として最後になる会見を締めくくった。
 
  その後、私は何かと忙しく、彼ともあまり連絡を取る機会は得られなかった。だが、彼の一言はまるで要石のように確と私の底に埋め込まれており、私が任務を続けて経験を積んでいくほどに、より強固な、揺るぎのないものとなっていた。今の私はどの領域に達しているのだろうか。九十か。百か。それ以上であればよいのだが。
  この世は広い。彼と同じような不可思議な力を持つ者も数多くいると知った。そんな連中に混じって、私も何とか日々の仕事をこなしている。
 
  そして今、彼の言葉を得て、今では私はそれなりに食い扶持を稼げるようにはなった。
  私は私でありながら、誰をも装うことが出来る。
  さながら舞台に上がる役者アクターのごとく。
 
 
 
 

◆◇◆ 2 ◇◆◇

 
 
  土曜日の午前六時。
  十月の下旬ともなれば日の出の時刻も随分遅くなっている。
  かすかに白み始めた紫色の空のもと、澄みきった空気は肌寒く、街はまだまだ眠りから覚めていない。おれはようやく目的の場所にたどり着き、ひとつ白い息を吐いた。天気予報によれば、今日は暖かさを感じる秋晴れとのことだったが、それも全ては太陽が昇ってからの話らしい。羽織ったジャケットの袖から両の掌を引き抜いてこすり合わせ、おれは喫茶店『ケテル』の重厚な樫の扉を押し開いた。
  からんころん、と平仮名で表現するのが相応しいレトロなドアベルの音と、暖かさを保った室内の空気がおれを包む。高田馬場駅から二十分、ここまで冷え込んだ薄闇の中を歩いてきた身体のこわばりが解れていくのがわかった。店内には三人の人間が居た。テーブル席に向かい合わせで掛けている二人と、カウンターの奥にたたずむ老紳士が一人。
「おはようございまーす……」
  おれが寝ぼけ声でカウンター向こうの老紳士に挨拶をする。
「おはようございます亘理さん。何になされますかな」
「あー……じゃあモーニングセット。眠気覚ましにキツイ奴つけてください」
「早朝に濃いコーヒーを飲むと胃に良くはありません。カフェオレにしましょうか」
「お願いします桜庭さん」
  相変わらずの細かい心遣いに感謝しつつ、おれは席に向かった。
  この老紳士は桜庭さくらば重治しげはる さん。この喫茶店『ケテル』のオーナーにして、おれ達が所属する人材派遣会社フレイムアップの会計担当。そして所属するメンバーのうち最後の一人でもある。もともと海外のあちこちを渡り歩いていた人なのだが、数年前にそれまでの仕事を引退し、ここに店を構えて落ち着いた。浅葱所長とは遠縁の親戚にあたり、学生時代は後見人になっていたらしい。会社を設立する際にも何かと桜庭さんが支援をしたのだそうで、あの所長が唯一頭の上がらない人物でもある。一応フレイムアップに所属し、喫茶店の経営ついでに会計もしてくれているが、おれ達からしてみれば同僚と言うよりOBのような存在である。この人が前線に出てくる事は滅多にない。まあ、そうそう出てこられると他のメンバー(特におれ)の存在価値がなくなってしまうので、何事もほどほどが一番と言うことだ。
  年の頃は詳しくは知らない。賢者のような老成した雰囲気は七十を超えているとも思わせるし、背筋が伸び、統制の完璧に取れた佇まいはまだ五十歳と言っても通るだろう。ほとんど白くなった頭髪をオールバックにして髭を蓄えた姿は日本人離れしており、冬のスコットランドの暖炉の前でパイプをくゆらせている姿が容易にイメージ出来てしまう。加えて、『理性と良識』という概念を固めて圧縮成型したようなその人格から、おれ達ヒラメンバーの寄せる信頼度ははかりしれない。桜庭さんが『この仕事は危ない』、あるいは来音さんが『今月は苦しいです』と発言した時こそが、我が事務所における真のボーダーラインとされている。
  テーブル席に向かうと、そこには二人の少女が向かい合わせに座っていた。いずれも知った顔であり、おれは軽く手を挙げて挨拶する。
「おはよ!ってなんか暗いなあ。キアイ足りないよ?陽司」
  おれに向けて手を振っているのは、ショートカットの黒髪と大きめの瞳が印象的な高校生(あえて女子高生とは呼んでやらん)、七瀬真凛。一応この仕事ではおれのアシスタントという事になっている。そういえばコイツとのコンビも、すでに半年近くになるのか。
「黙れストレスフリー娘。こちとらレポートが再提出くらって寝る間も惜しいんだよ……」
  寝ぼけた頭で応じる。まったく、午前六時だというのにやたらとテンションの高いお子様である。
「それはそうだよ。いつもは朝稽古の時間だしね」
  そーですか。勿論、おれはいつもは絶賛睡眠中の時間である。麻雀でも打っていればそれこそ今から寝に入ってもおかしくはない。ていうか正直今すぐ回れ右して布団に潜り込みたい気分である。
「亘理さん、ここどうぞ」
  と、真凛の向い側の席に座っていた女子高生が奥にひとつ詰めて、おれに席を作ってくれた。やあありがとう、とおれは上の空で礼を述べ、ジャケットを脱いで腰を下ろす。そこでようやく寝ぼけ頭が違和感に気づいた。
「……涼子ちゃん。涼子ちゃんじゃないか。こりゃ珍しいところで会ったもんだ」
「ごぶさたしてます、亘理さん」
  そう言って、律儀にぺこりと頭を下げる。その動きにつられて長めのポニーテールがひとつ跳ねた。この少女の名前は 金沢かなざわ涼子りょうこ。彼女については以前どこかで少し触れたことがあったかも知れないが、真凛のクラスメートである。やや明るい色の髪と瞳の、すっきりとした面立ちと、ひとつひとつリズミカルな動作が印象的な少女だ。真凛のようにバカみたいにエネルギーが有り余ったオーバーアクションというわけではなく、小さくとも内に秘められたうねりの大きさを感じさせる、海の波のようなリズム。
「たしか君の家は埼玉じゃなかったか?」
  半年ほど前、おれは名門女子校にまつわるゴタゴタの解決のために派遣された事があった。そしてその学校に通う彼女達に初めて出会い、その際に涼子ちゃんの住所も調べたりしたのである。……そーいやあの時真凛に目玉を抉られかけてから、しばらく先端恐怖症になったんだっけかな。
「週末の早朝となれば……もしかして朝帰りとか〜!?」
  おれはオヤジっぽい表情をつくって意地悪な冗談を飛ばしてみた。と、
「ハイ、そうなんです」
  あっけらかんと答えられたものである。
「ちょ!?、本当?」
「池袋でライブをやって、そのまま打ち上げにいったんです。親に電話したら、無理に夜に帰ってくるよりは歌の先生のところに泊まっていった方がいいって」
「ああなんだ、そういうことね」
  と、向かいの真凛が冷たい目で睨んでいる。
「どういうことだと思ってたわけ?」
「イヤ別ニ」
  しかし、それならそれで早朝にわざわざ喫茶店に寄る必要はあるのだろうか。
「ついでだから借りてたマンガをまとめて返そうと思って。きのう待ち合わせしたんだ」
  真凛の席の隣には、なるほどトートバックにぱんぱんに詰まったマンガの単行本。確かにここまで膨れあがってしまっては学校に持ってくるわけにもいくまい。というかそもそもこうなる前にこまめに返せというに。
「けどなんというか、無秩序な……」
  トートバッグから覗くマンガは種々雑多だった。少女マンガに少年マンガ、青年マンガも一部ある。なんとなく女の子は少女マンガしか読まないものと思いこんでいたおれには、ちょっとした驚きだった。
「ふっふん、何をアナクロなこと言ってるんだよ陽司。今時は少女マンガだけしか読まない子の方がキショウなんだよ」
  アナクロに稀少ときたかい。ちゃんと言葉の意味を分かって使ってるんだろうな。
「とくにこれなんかね。最終巻で宿命のライバルが対決するシーン、行動の読み合いが凄いんだよね」
「そうだよね、二人がどれほどお互いのことを考えてるかが良くわかるよね」
「だよねー」
  仲が良くて結構なことだ。しかし微妙に二人の会話に齟齬があるような……まあいいか。
「それにしても多いな。そんな重いの引きずって帰るのは大変だろうに」
「あ。大丈夫です。ライブの機材よりは軽いですから」
  実はこの子、昼は名門女子高のお嬢様、夜はインディーズのバンドのボーカルという二つの顔を持っているのである。なんでも子供の頃から声楽を習っていたのだそうだが、そこの先生が面白い人で、クラシックとメタルを融合させてシンフォニック・メタル(……ものすごくぶった切って説明すると、ファンタジーRPGのボスキャラ戦のような曲)に傾倒し、その影響を受けて彼女もボーカルになったのだとか。世間では有名な音楽家の先生だそうなので、一人で帰らせるより確かに安心である。その教えを受けた彼女の実力も本物で、インディーズ業界でもめきめきと頭角を現しつつある。おれも社交辞令抜きでCDを買わせてもらい、『アル話ルド君』に突っ込んで良く聞いていた。
「そうそう、今度の新曲いいね。ソロでギターの代わりにバイオリンで早弾きするあたりがツボだったし。声も、初めて会ったときから凄かったけど、さらに綺麗になった。水晶みたいだ」
「本当ですか?」
  普段は優等生と言ってもよい子なのだが、こののんびりした子がひとたびステージでマイクを握れば、圧倒的な声量でライブのお客どころか会場ごと津波のように呑み込んでしまうのだから、人間というのはつくづくわからない。特筆すべきはその声で、高い音程で歌い上げる時に若干ハスキーが入ると、声自体は十六歳の少女のものでありながら、おそろしい程に威厳ある声になり、これが仰々しい曲と実に合う。
  バンド自体がシンフォニック・メタルで、特に北欧神話をモチーフにした曲が多いため、ファンの間では『ワルキューレ』のニックネームが定着しつつある。某バンドのカバー曲で、『 この血塗られた暁に我が魂を洗い清め、報復の誓いを刻みつけんIn this bloody dawn I will wash my soul to call the spirit of vengeance 』とか歌われた時は、おれでも少しゾクっと来た。
  ちなみにこのバンドのメンバーというのも、ギターにベースにドラムにキーボードと全員が全員面白人間だし、ボーカル仲間にも奇人変人が多かったりするのだが、その紹介は長くなるので割愛させていただく。
「ああ、本当も本当。惚れちゃいそうだね」
「嬉しいです。亘理さんにそう言ってもらえると」
「はは、『ワルキューレ』のお役に立てれば光栄だ。お世辞でもねー」
  おれはからからと笑った。何しろ既にファンクラブまであるとの話である。メジャーデビューも間近と噂される、ある意味おれごときとは違う世界の住人である。
「お世辞なんかじゃ――」
「そ、それで!今日の仕事のことだけど、どんな内容なのかな」
  真凛が声を張り上げる。人の会話に割り込むとは作法を知らん奴だな。
「ああ、その件だがな……。と、その前にメシを食わせてくれ」
  おれは肩越しに振り返る。一流のバトラーを思わせる動きで、桜庭さんがたいそういい匂いを立てているトレイを運んでくるのが目に入った。
 
 
 
 

◆◇◆ 3 ◇◆◇

 
 
  喫茶店『ケテル』は、おれ達が(仕方なく)出入りしているフレイムアップの事務所と同じビルに収まっている。『ケテル』が一階、事務所が二階という構成だ。観葉植物や壁紙でどうごまかしてみても殺風景な印象がぬぐえない事務所とは対照的に、『ケテル』の内装はとことん正統派のヨーロピアンスタイルである。適度に控えられた間接照明が漆喰とレンガの壁に映え、重厚だがいささか無骨な椅子と卓とを浮かび上がらせている。どちらも黒光りのするオーク材で、インテリアにこだわる人が見たら喜びそうな逸品だ。が、実はこれ、バルカン半島某国の資金源として密輸されかかっていたものが、紆余曲折を経て桜庭さんのもとに流れ着いたというイワクツキだったりする。
  この落ち着いた雰囲気に惹かれ、いつしか静けさを求める人々が集うようになった。今では賑やかな学生街の中にありながら、ある種の別世界を形成するまでになっている。おれもブンガク好きの女性の先輩と仲良くなるために、六人ほどご招待したことがあったりする。なお戦績は六敗だが気にしてはいけない。そして内装と並ぶもう一つの目玉が、マスター桜庭さんの提供する食事と珈琲なのである。
 
 
  たっぷりのマーガリンが塗られたきつね色のトースト。カリカリのベーコンと、対照的なふわふわのスクランブルエッグ、そして瑞々しいトマトとレタス。ありふれていながらどこにも死角のない朝食を、おれは女性陣の前でがっつかないよう注意しながら口に放り込んだ。一息ついて、真凛達の皿を洗っている桜庭さんに声をかける。
「いやしかし、相変わらずの腕前ですね」
「お誉めに預かり光栄ですな」
  日頃は朝食どころか昼食もろくに摂取しない生活を送っているおれだが、それは単に自分で作るのが面倒だからに過ぎず(決して食費が足りないからではない……と思いたい)、このように素晴らしい朝食を出されれば食べない理由はない。あっというまに平らげて、マグカップに注がれたカフェオレを胃に流し込んだ。糖分とカフェインが注入され、ようやく頭にエンジンがかかってくる。
「しっかしこういう基本の料理ほど、腕の差がはっきり出るんだよなあ。嫉妬しちゃうぜ」
  おれも食べるときはそれなりに自炊する人間である。一回桜庭さんの真似をしてこの手の朝食を作ってみたのだが、とても比べられるレベルの代物ではなかった。材料も同じ高田馬場の商店街で仕入れたものを使っているので、弁解の余地もない。
「やっぱり料理の加減もすべて計算通り、ってとこですかね?」
「残念ながら、それほど料理は底の浅いものではありません。計算だけではコーヒーの豆一粒さえ満足に挽けませんからな。要は練習です。毎日練習さえすれば、誰にでも出来る」
  そりゃまあそうなんですがね。毎日腹筋をすればお腹が引っ込むことは誰もが知っているはずなのに、なぜかお腹の出ている人は世の中にたくさんいるわけだし。と、なにやら心得顔をして真凛が言う。
「そうだよ陽司。やっぱり人間、毎日の練習が大事だって」
  ほほう。カップ焼きそばの湯切りに失敗して半泣きだったお子様がほざきよるわ。
「でも、前に亘理さんに作ってもらった朝ご飯はおいしかったですよ」
  そういやライブの合宿の時、メンバーの一人に頼まれてみんなの朝飯を作ったことがあったりしたなあ。
「フォローをありがとう涼子ちゃん。涙が出そうだ」
「え?朝ご飯?」
「っとと。もたもたしてるとチーフが来ちまうな。先に任務の概略だけ説明しちまおう。桜庭さん、ごちそうさまでした」
  桜庭さんが皿を下げている間に、おれは最近バージョンアップされて色々新機能がついた携帯通信端末『アル話ルド君』を懐から取り出し、タッチペンでデータを開いてゆく。
「あ、それじゃ私、そろそろ家に戻りますね」
  お仕事モードに入ったおれを察して、涼子ちゃんがトートバッグをかついで席を立つ。
「ありゃ、すまんね涼子ちゃん。気を使わせちまったかな」
「いいえ。亘理さん、お仕事頑張ってください。じゃあ凜、月曜にね」
「うん!今度はボクがマンガ持ってくよ!」
  元気よく手を振って扉を引き、涼子ちゃんは明け始めた街へと去っていった。その姿が通りの向こうに隠れるまで窓越しに見送った後、おれ達は改めて液晶画面の依頼内容に視線を落とす。
「えーと。うん。それで。ボクらはどこまで出張するのかな?」
「あん?妙に歯切れが悪いな。何か気がかりでもあるのか」
「別に」
  ならいいが。そう、おれ達が貴重な週末の朝早くに集合している理由は他でもない。今日の仕事先は少々遠いところにあり、これから街が動き出す前に現地入りしなければいけないのだった。
「埼玉県元城市。群馬県の境に位置する、国道17号沿いの街だよ」
  任務概要に記載された住所をタッチする。ネットの地図検索サイトと連動するようになったおかげで、すぐに衛星写真が表示された。
「ずいぶん山に近いんだね」
「というより、山の麓に街があるといった方が正しいみたいだな」
  西北にどんと腰を据えるなだらかな板東山。その東の端を切り開くように、JR高崎線と国道17号が南北に通っている。その二本の交通網に挟まれたエリアが発展し、つつましやかな繁華街を形成しているようだ。そしてその周りには豊かな田園が広がり、ところどころに牛舎や町工場が点在している。典型的な日本の地方都市と言えた。板東山の一部は切り開かれており、官庁の施設や民間の工場が誘致されているのが見て取れる。
「今日はここで仕事だな。美味くて安い名産品でもあればいいんだがね」
「のんびりしたところみたいだね。で、今日は猿退治をするのかな?それともまた自動車レースとか?」
  おれはとびきり意地の悪い笑みを作って言ってやった。
「真凛、お前幽霊って信じるか?」
「ゆ、幽霊?」
「ああ。ここ最近、この街には幽霊が出るんだそうだぜ?」
  地図上の小さな街を指す。
「この街の住民いわく、ある夜、道を歩いていると、道ばたに一人の男が立っていた。近寄ると消えてしまった。また別の住民いわく、やはり夜、駅前で一人の男が歩いていた。こちらに近寄ってきたかと思うと消えてしまった……こんな報告が、なんと三十件近くも発生してるんだってよ」
「それはまたなんというか。ずいぶん多いね」
「怪談の季節はもうとっくに過ぎたと思っていたんだがな。で、街の人々は今ちょっとしたパニックらしい。最初は個々人が見間違いや気のせいだと思っていたらしいんだがな。ひとたび噂が広まり始めると、俺も見た私も見たと言いだして、一気に騒ぎになったらしい」
  おれは昨日の深夜に来音さんから送られていた任務概要を開いて解説する。もっともおれも受信した時には半分寝入っていたので、細部を確認しながら読む形になった。
「幽霊と言っても、別に誰かが呪われただの取り憑かれただの、といった被害は今のところ確認されていない。反対に、例えば幽霊に化けた犯罪者に殴られたとか怪我をしたとかといった被害もない。……ああ、農道でおじさんが驚いた拍子に田んぼに落ちたとか、そんな程度か」
「本当に、ただ『出る』だけ?」
「ああ。『出る』だけだ。ある意味一番幽霊らしいと言えばらしいな」
  幽霊に見せかけた犯罪者なら、まずは警察の領分だ。取り憑かれたのならとりあえず坊さんか巫女さんの出番である。だが、『出るだけ』となると、さてどうしたものだろうか。
「街の人からの依頼なの?」
「いんや違う。企業からだ」
  おれはタッチペンで板東山を指した。今回の依頼主は、この丘陵地帯に工場を設置した機械メーカー『昂光タカミツ』。なんでもその幽霊とやらが、やはり先日亡くなった、その会社の社員の一人によく似ているらしいのである。
「その会社員さんの幽霊ってことなのかな」
「それを確かめて欲しくて、おれ達に依頼してきたわけだ。会社にしてみれば、あまり田舎で変な噂が立てられる前に真相を知っておきたいってとこかねえ」
  それにしてもいきなりおれ達の業界を呼び出すってのは妙な話ではあるが。
「幽霊、かあ」
「お、ビビッたか?」
「ま、まさかあ!陽司のほうこそどうなんだよ。いつも暗いところはイヤだとか言ってるじゃない」
  おれは肩をすくめてみせた。
「ああ、ビビってるぜ。だって幽霊は怖いもんな」
  いきなりのおれの敗北宣言に、真凛が呆気にとられる。
「そ。怖いんだよ。もしかしたら幽霊はいるかも知れない・・・・・・・・、からな」
 
 
  おれ達の業界には魔術師、聖職者、霊能力者、はては死人使いまでもが当たり前のように在籍している。ところが極めて阿呆らしいことに、その彼らにしても『幽霊』というものを証明、あるいは否定することは出来ていない。彼らは死者の霊と会話したり、残留思念を解析したり、その亡骸を自在に操ることが出来る。だが、それだけなのだ。たとえその霊が鮮明な生前の意識を保持しているとしても、それが本人の『魂』であると証明することは出来ていないのである。
  幽霊の定義は諸説あるが、『未練や恨みを残した魂が、成仏できずに現世にとどまっている』という解釈を採用するならば、『霊はいるが、幽霊(=魂)はいるかどうかはわからない』となってしまったりする。
  ここらへんは突き詰めていくと、その能力者が背負っている宗教や思想ががからんできて大激論になってしまうので省略するが、ようするに、特殊な能力を持っていても、「死」の恐怖……いや、『死んだ後、人間はどうなってしまうのか』という疑問から逃れることは出来ないということだ。
  そう。一度死した者を生き返らせる能力だけは、この業界でも未だ存在が確認されていないのである。ゲームの中なら美少女神官のレベルを50くらいまで上げれば使えるようになるのだが、現実はそう都合良くはないらしい。存在すると知っており、その法則が分かっているのならば、魔術や呪術も脅威であっても恐怖ではない。ゾンビですら、結局は操り主が術で動かしているわけで、生理的な恐怖や嫌悪はあっても、それ以上ではない。だが幽霊だけは、未だに「いるかいないか」わからない。だからこそ、『怖い』のである。
「……はあ。わかったようなわからないような」
「今は気にしなくていいさ。これから現地に車で行って調べるんだからな」
  おれの言葉に真凛は頷いたが、やがて首を傾げる。
「あれ?でも、幽霊がいるかどうかなんて、どうやって調べるの?」
  おれはにやりと笑ってみせた。
「ほほう、気付きやがったか。ま、半年で少しは成長してくれんと困るしな」
  こういうとき自分のことを棚に上げられるのは、年長者の特権である。
「確かに幽霊がいるかいないかを証明するのはとても難しい。……実際のところこの手の調査の大半は、正体見たり枯れ尾花ってパターンが多い。人違いでした、とか勘違いでした、とかな。本当に幽霊の仕業でした、なんてことはまずないんだが」
  それはそれで依頼人を納得させるのが大変なのだ。「そんなはずはない。確かに霊の仕業なんだ、もう一度調べて欲しい」なんて言われると、幽霊のせいでないことを証明するための地味な調査が待っている。人違いなら当の間違えられた本人を捜し出さなければならないし、部屋の中から霊の声が聞こえるという現象が、近くに立っていた送電線の電磁波の影響によるものだと証明するために一週間を費やした事もあった。と、真凛はまたもやすっきりしない顔。
「どうした。今までの説明でなんか問題あるか?」
「いや、そうじゃないんだけど。……それはスゴク地味な仕事、ってことだよね?」
  ああ、そういうことね。
「そ。今日のメニューは地道な聞き込み、写真撮影、資料作りデス。殺促術次期ご当主たる武術家の出番はないというワケですよ七瀬君」
「……がっくり」
  急速にテンションが下がりカップをかき回す真凛に、おれはコーヒースプーンの先を向けて笑った。
「ま、何事も経験だ。早く一人前になりたいんなら、まずは一通りの業務を覚えないと。OK?」
  実は所長の意向もある。最初のうちは苦手な仕事ほど場数を踏ませるべきなのだそうだ。そう言えばおれも最初は戦闘系の任務に参加させられた気がする。真凛は口を尖らせたまま答えた。
「はあい。らじゃーです」
「ヨロシイ。早く仕事を覚えて正規スタッフになって、おれから独立していっておくれ」
「そう言われるとやる気なくなるなぁ」
「なんか言ったか?」
「ううん何も。それで、その亡くなった人って、事故、だったの?それとも……」
「いや。実はおれも昨夜の遅くにメールをもらったばかりだからな。これ以上ツッコまれると……と。丁度いいや。ここから先は当の指揮官殿に説明してもらうのが一番早いだろ」
  聞き慣れたクラクションの音が響く。おれは窓の外に目をやり、親指で指し示した。
「今回の仕切りはあの人。おれがアシストで、お前は研修ってわけさ」
  ガラスの向こうには、ミニクーパーの運転席から顔を出している須江貞チーフがいた。
 
 
 
 

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