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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第6話 『北関東グレイヴディガー』


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◆◇◆ 4 ◇◆◇

 
 
「事故で行方不明、ですか」
  清音が米粒一つ残さず食べ終わった弁当をテーブルに置きそう答えると、対面に座っている土直神となかみ安彦やすひこ が、携帯ゲーム機から目を離さないまま応じる。
「そ。生きている可能性は低いだろうけど、ホトケさんはまだ見つかってないのよ」
「あ。というと、この間の板東山の崖崩れ?」
  そうです、とこちらは背広を着込んだ穏やかな表情の中年男性が答える。
「その崖崩れに巻き込まれたと思われる方の消息を確かめ、必要であれば将来の生命保険支払いに必要なレポートを作成するのが、今日のあなた方のお仕事ということになります」
  男の名前は徳田とくだ紳一しんいち 。なんでも本社の正調査員で、今日の仕事のためわざわざ東京から出張してきたのだそうだ。
「生命保険では、災害による特別失踪の場合は一年後に正式に死亡と見なされるのですが、時間が経てば経つほど立証が困難になりますからね。証拠が消滅してしまう前に確証をとっておくわけです。我々新興の『ウルリッヒ損害保険』が日本でお客様を獲得するには、何よりサービス第一しかないのですよ」
 
 
  保険会社ウルリッヒ・グループ。
 
  最近海外から進出してきた新興の保険会社で、生命保険や海上火災自動車もろもろの損害保険をまとめて扱う大手である。
  保険の原理は、「何かあったときのために」みんなが少しづつお金を出しあい貯めておき、事故や病気、死亡など「何かあって」困っている人に、そのお金で補償をするというものだ。これは感情面を抜きにして考えると、ある意味でギャンブルの要素を含んでいると言える。そしてギャンブルには、不正を監視したり、点数を判定する審判役が必要となる。それが、徳田達のような調査員なのだった。衝突事故で、どちらにより過失があるかの判定、火事で燃えてしまった家が、いったい金額で幾らに相当するのかの計算、そしていわゆる保険金詐欺の調査。保険にまつわる幅広い業務を担当している。
  そしてウルリッヒ保険のユニークなところは、この調査員としてフリーの異能力者を雇っている事にある。調査の仕事が入ると、徳田のような正社員が、保険会社に登録している清音達のようなエージェントをその案件ごとに雇うのだ。現在彼らは失せ物探し、現場検証、あるいはヤクザとの示談に遺憾なくその力を発揮しており、ウルリッヒは急速に日本国内でそのシェアを伸ばしてきている。
  そして清音達が現在いるのは、埼玉と群馬の境に位置する地方都市、元城市。この街を南北に縦断する国道17号沿いのマクドナルド。徳田の要請により、土曜日の朝に清音達……『ウルリッヒ損害保険』所属の非正規調査員である三人はここに集まり、ブリーフィングを兼ねた早めの昼食を摂っているのだった。
 
 
「あの事故の時はウチの学校でも休校になったり、結構大変でした」
  一月ほど前、この元城市の面積の大半を占める板東山で、トンネルの崩落事故があった。もともと長雨で地盤が緩んでいたところに、長野を中心に発生した大地震がとどめとなったらしい。山の中腹で発生した土砂崩れはそのまま板東川の流れる谷底へ向けて一直線に滑落し、途中にある県道432号をわずか数秒で膨大な量の土塊の下にうずめてしまい、同じく南板東トンネルを崩落させてしまったのである。県民にしてみれば十数年ぶりの大事件だったが、同日、もっと大規模な土砂崩れが長野県で発生していたため、幸か不幸か全国ネットにはほとんど流れることはなかった。余談だが、後日その長野の土砂崩れは人為的な手段で再度引き起こされ、某製薬会社の研究所が押し流されることとなる。
「規模自体は確かに小さかったのですが、こちらは人が一人行方不明になっています」
  そう言うと徳田は持参のスクラップブックを広げた。地元の新聞の記事を切り抜いたもので、当日の土砂崩れについて克明に記されているそれを、清音は眼で追った。
  「えーと、なになに……。『先日の土砂崩れの後、機械メーカー『昂光』社員、小田桐おだぎり剛史つよしさんの消息が不明となっていることが判明した。小田桐さんは土砂崩れの発生した時刻、商用にて板東山にある昂光の工場から車で出かけており、警察は小田桐さんが車で県道を移動中、南板東トンネルの崩落事故に巻き込まれた可能性が強いとして調査を進めている』。……やっぱり巻き込まれたんですか?」
  それを確認するんです、と徳田。
「その後の捜索で、崩落したトンネルの下を流れる板東川で乗用車が発見されました。車種とナンバーから、小田桐氏の乗っていた乗用車と断定されました。ところがここからが妙なところでしてね」
  次々と資料が並べられていく。ファンタジーの巨人が何発も殴りつけたように無惨に変形している乗用車だったスクラップ。改めて土砂崩れの恐ろしさを思い知らされる。
「車内に小田桐氏の姿はなかったんですよ」
  なにやら妙な話になってきた。
「土砂に流されて、車内から外にはじき出された……とか?」
  徳田は首を横に振る。
「車体は完全にひしゃげてしまっていましたが、ドアも窓も閉まったままで、車内に土が侵入した痕跡はありませんでした」
  既に説明を受けていた土直神が後をつなぐ。
「つまり、土砂崩れの時、小田桐って人はトンネルの近くに車を停めて外に出ていたってことになるわけだあよ」
  清音は想像してみる。その会社員、小田桐氏とやらが車で県道を運転している。理由はわからないが、トンネル側で車を停めて外に出た小田桐氏。そこに唐突に起こる大地震、そして崖の上から迫り来る大量の土砂。重くて頑丈な車は崖下の河へ流され、もっと軽いものは抗うすべもなく……。
「じゃあ、その小田桐さんが今居るところは、」
「一番可能性が高いのが、分厚い土砂の下、ってことだあね」
  清音はそれでようやく、朝早くに己が呼び出された理由に納得がいった。
「ああ、それで私に声がかかったというわけですか」
「まーねー。ウチの家はソッチ方面の能力は退化しちまったしよ。今日の仕事は美少女貧乏巫女たる清音ちゃんの力を借りようと思っておいらが徳田さんに推薦したのよ」
「貧乏は事実ですが余計です」
「じゃあ美少女貧乳巫女」
「貧乳も余計です!!」
  ああそう、と清音の抗議をあっさりと聞き流しまた携帯ゲーム機に視線を落とした土直神を横目でにらみつけつつ資料に目を通し、清音……ウルリッヒ損害保険調査部門所属エージェント、風早かざはや清音きよねはなぜ自分がこんなことをしているのかという疑問について深刻に考え込まざるを得なかった。
 
 
  清音は埼玉県内のごく普通の公立高校に通う女子高生である。
  だが、彼女自身を『ごく普通』と呼ぶには多少無理があった。彼女の家は奈良県の龍田神社の流れを汲み、 天之御柱あめのみはしら なる神を祭る由緒ある神社で、彼女はその神に仕える巫女でもあるのだ。ところがこの神社、由緒だけはあるものの、歴代の神主が軒並み商才に恵まれていなかったらしい。清音が継承した時はすでに神社の修繕の費用にもまともな資金が払えず、本殿の一部にはシロアリ一家が大帝国を築いているという有様だった。かくして清音は神楽を舞う暇もなく、神社を存続させるため新聞配達にウェイトレス、道路工事とアルバイトに精を出す日々を送ることになってしまったのである。……ある意味ではこれ以上もないほど神様に奉仕してはいるのだが。
  転機が訪れたのは一年ほど前。バイト代でもいよいよ首が回らなくなり、水商売を本気で検討しなければならないか、いやいやそれでは本末転倒ではないか、と葛藤していた彼女の目に『ウルリッヒ損害保険北関東支社オープン。調査員募集、高報酬をお約束します』なる広告が飛び込んできた時からだ。それから彼女は、女子高生にして巫女にして保険調査員のエージェントという、普通とはほど遠い生活を送るハメになったのである。
  そして紆余曲折を経て今日も自分はこんなところにいる。決して本意ではないのだが。
 
「……ほ・へ・と・ち!っしゃ!八連コンボ!全消しッ!!」
  そんな苦悩する彼女をよそに、携帯ゲームを片手に快哉を叫ぶ青年が、土直神安彦。彼も清音と同じウルリッヒ損害保険の調査員であり、すでに何度か一緒に仕事をしたこともある。群馬県の在住であり、北関東を中心に仕事を請け負っている。細身の体格に細い目、童顔に見られるのを嫌って顎に無精髭を生やしているが、そもそもあまり髭が濃くないようであまり成功していない。こざっぱりとした古着を好んで着込み、ファッションには彼なりのこだわりがあるそうなのだが、正直なところ、良くも悪くも気のいい田舎の兄ちゃんという印象が拭えていない。基本的には善人なのだが、なにかにつけてセクハラまがいの言動で清音をからかうのはどうにかならないものだろうか。
「よっしゃ今日こそはレベル85突破目指すー!」
  土直神がプレイしているのは、なんでもバラバラの水道管をつなげて水を流すとかいうパズルゲームらしい。が、清音が知る限り、半年前から土直神はも延々とこれだけをやっている。どこが面白いのかと聞いたところ、水が流れる時の音が良いのだとか言っていた。
  ふと気がつくと、当の土直神がこちらを見ていた。
「それにしても、いくらなんでもソレはねぇんじゃねぇの清音ちゃんよ?」
  何がです、と問い返す清音に、ソレだよソレ、と卓上の弁当箱を指さす。
「一応ここ、天下のマックなの。マクドナルドなのよ。ハンバーガーショップなのよ?おいらぁ二十年以上日本人やってるけど、マックに弁当持ち込む女は初めて見たよ?おかげで注目の的じゃんよおいら達」
  確かに周囲の客の視線は彼らの卓に集中している。だがそれは決して自分のせいだけではない、と清音は声を大にして言いたい。いい年をした大人がさっきから携帯ゲーム機を前に絶叫してる光景も充分に人目を惹くものである。
「いいんです。ただでさえ今月は苦しいのに、お昼に五百円も使う余裕はありませんから」
「しかしおめぇこの空気のイタさはよぉ。……ねーシドーさん、何か言ってやってよ」
  そう言って土直神は、今まで一言も発していなかった最後の一人に声をかけた。
 
  清音の隣、徳田の向かいにその「シドーさん」なる男は腰掛けていた。そしてまず間違いなく、店内の客の視線を集めている一番の理由が、この男、四堂しどう蔵人くろうどだろう。まず単純に、デカい。長身と言うこともあるが、それ以上に骨の太さと筋肉の厚さ、そして居住まいがこの男を大きく見せている。陳腐だが、『戦士』という言葉に相応しい男だった。個性のない安物の背広にノーネクタイが、かえって四堂自身の禍々しさを剥き出しにしている。日本人離れした彫りの深い顔立ちも印象的だが、何よりも目を惹くのはその右目である。黒い左目に対して、右の目は酷い火傷を負ったかのように白く濁っていた。四堂本人は知ってか知らずか、その目を隠そうともしない。異相と体格が醸し出す威圧感は生半可なものではない。いわばマクドナルドに虎が一匹放し飼いにされているようなものであり、周囲の客は恐れつつも目を離すことが出来ないという有様である。
  そして一番の問題は、その食事量だった。マクドナルド期間限定商品、メガマック。肉とバンズが塔のように積み上げられ、何か宗教的な威容すら感じさせる巨大なハンバーガー。たいていの人が面白半分で注文して、半分食べた時点で後悔するというそれを四つ、卓の上に積み上げていた。先ほどから清音達の会話に一切混ざることなく、黙々と食事を繰り返していた。すでにそのうちの三つを食い尽くし、最後の一つの攻略に取りかかっているところだ。四堂は土直神の言葉に、黒い左目をぐるりと回し、一言ぼそりと呟いた。
「腹」
「……腹?」
  脈絡のない言葉に、思わず清音と土直神が顔を見合わせてしまう。四堂は渋々と口を開いた。もったいぶっていると言うより、どうやら喋るのが面倒くさい性格らしい。
「前回の任務で出会った時に比べ、彼女の胴囲ウェスト は一.二センチ増加している。彼女ほどの年齢の女性の相応の心理として、食事を制限することで体脂肪を燃焼し、胴囲を縮小しようと考えているのではないだろうか。だから無理に高カロリー食を勧めるべきではない」
  淡々と、まるで機械が読み上げるかのように無感情に自説を披露する四堂を、呆気にとられて土直神が見つめる。反射的に腹部を庇った清音の姿勢は、根拠のない誹謗に対しての怒りではなく、明らかに事実を指摘されたことによる狼狽だった。
「……あのさシドーさん。ウェストが増えたって……わかんの?服の上から」
  異な事を言う、と四堂が視線だけで語る。
「相手の体格は戦いにおける貴重な情報源だ。初見でその程度の差異を見破れなくては問題にならない」
  いやそれ凄いんだけど、ある意味異能力だよと呟く土直神。ふと思いついた表情になり、余計極まりない事を聞いた。
「んじゃあ、胸囲バストもやっぱり増えてるワケ?」
  四堂はじろり、と黒い左目で清音を見つめる。三秒ほどの沈黙の後、やはり無感情に言った。
「いや、増量は認められない」
  瞬間、超音速で飛んできた資料の紙束と弁当箱が、四堂と土直神の顔面を直撃した。
「ほっといてくださいっ!このセクハラコンビ!!」
「……食べ物を入れる箱を投げるのはよくな、」
  い、の言葉を発しようとする四堂の口に、手裏剣のように飛来したトレイが突き刺さった。
「四堂さん!たまに口を開いたら余計なことしか言わないのやめてくださいっ!」
  顔を真っ赤にしたまま清音は勢いよく立ち上がった。それを契機に、土直神と四堂、そして徳田もランチタイムは終わりとばかりに立ち上がる。
「ま……、まあともかく。本日は皆様、よろしくお願いします」
  この中では正調査員である徳田が、一行のリーダー格となる。清音が丁寧に、土直神が鷹揚に挨拶を返し、四堂は一つ頷いた。
「とにかく、まずは首根っこを押さえてしまいましょう」
  首根っことはなんだ、と視線で問う四堂に答えたのは、徳田ではなく清音だった。
「板東山のトンネルです。土砂の下に、……その、小田桐さんがいるのかどうかの確認ですね」
 
 
 
 

◆◇◆ 5 ◇◆◇

 
 
  国道17号線を北上し、元城市に入る。
  交差点を西に折れて道なりに三キロも進むと、すぐに板東山の裾野にたどり着いた。そのまま山中へと伸びる道路をひたすらに登っていくと、やがてなだらかな、大きく拓かれた山の中腹に出る。
  板東工業団地。
  もともと板東山は、森にうずもれた小高い里山だった。その一部を元城市が開放し、企業の工場や官庁の研究施設を誘致した一角がここである。整然と舗装された二車線の道路、立ち並ぶ無個性だが最新の建築物の数々。毎朝この工業団地に駅からの送迎バスや自家用車で通う従業員は、実に一万人を越える。そしてこの一万人の昼食をまかなう社員食堂や飲食店がある。小さいながらも医療施設や消防設備、土地には事欠かないのでレクリエーション用のグラウンドもあり、まさに元城市の郊外に出現した、もう一つの小さな街と言えよう。
  その工業団地の一角に、機械メーカー『昂光タカミツ』の工場はあった。なんでもこの昂光、業界では超有名な精密機械装置のメーカーだそうだ。精密機械装置と言っても種類はさまざまだが、要は化学や物理の実験に使う装置の親玉のようなものを思い浮かべてもらえればいい。ああいう装置の、はるかに大がかりで、はるかに精密性や耐熱性が必要とされるものを、大企業や研究所から依頼を受けて作成しているらしい。なんとアメリカの依頼でスペースシャトルの開発に必要な装置を作ったこともあるのだそうで、『昂光の装置』と言えば、産業界では絶対の安心と最高の性能と同義となっている。取引相手が限られており、CMも流していないので一般人はほとんど誰も知らないが、知る人ぞ知る、日本の優良企業の一つなのだった。
  早朝に須江貞チーフのミニクーパーで東京を出発したおれ達三人は高速道路で北上し、無事予定通りの昼前に今回の依頼人、昂光の稲葉工場長と面会することが出来た。
「街に出現するという幽霊は、その土砂に埋もれた御社の社員……小田桐さんなのではないかとお考えなのですな」
  事情を一通り聞き終えて、須江貞チーフはそう結んだ。おれ達がいるのは、工場の一角にある事務棟の応接室。実用性重視のソファーに、チーフ、おれ、真凛が腰掛けている。今日は休日のため工場は稼働を停止しているが、わざわざおれ達に会うために工場長自らが出勤してくださったのだとか。
「ですが何故また、幽霊が小田桐さんだと思われるのでしょうか」
  とつとつとした口調のチーフ。うちの男連中のしゃべり方は、どうも皮肉っぽくなってしまうおれ、キザったらしい直樹、声がデカイだけの仁さんと、揃いも揃ってロクでもないのだが、おれ達の上に立つチーフはというと、少々気怠げなことに眼をつぶれば、真面目過ぎるほどに真面目な口調だった。いつものとおりのくたびれた背広姿ではあるが、胡散臭さが少ないのは多分ここら辺にも由来するのだろう。
「行方がわからないのは確かですが、まさかそれだけで幽霊の正体だと決めつけるわけはいかんでしょう。……と、灰皿ありますか?」
「すいません、ここは禁煙なので」
  工場長の控えめなダメ出しに、しぶしぶ懐から手を離すチーフ。最近は各社の応接室でも禁煙が進んでおり、実に結構なことである。工場長は話を続けた。
「厳密に確かめたわけではありませんが、元城市で初めて幽霊騒ぎがあったのは、土砂崩れが発生して小田桐が行方不明になってから数日後のことだったようです。それまでは市内でも、この工業団地の中でも、幽霊を見たなんていう話は全くありませんでした」
  ふむ。偶然にしては出来すぎているってことか。
「今はこの工業団地の食堂でも、元城市内の飲み屋でもこの噂で持ちきりなんです。で、その目撃した人の話をまとめていくと、どうもウチの小田桐に似ているような気がしてならんのですよ」
「ご本人の写真なんかありますかな?」
  事前に準備していたのだろう。工場長は手元のファイルから一枚の写真を取りだした。おれと真凛は横から覗き込む。そこに写っていたのは、三十代後半から四十歳くらいの、頑健そうな壮年の男だった。学生時代はラグビーをやっていました、てな感じのがっちりした体格。癖の強そうな髪を整髪料で固めてオールバックにしている。太い眉、大きなあご、そして何より、強い意志を感じさせる眼。本物のエリート・サラリーマン……企業内でどんどん出世していくタイプ。おれが抱いた印象はそんなところだった。
「背筋を伸ばして肩で風を切って歩きそうな人ですね」
  おれの冗談交じりの言葉に、工場長は苦い笑いを浮かべる。
「その通りです。私と彼が並んで歩いていると、若い彼の方が上役に見られることもありましたよ」
  さもありなん。こちらの工場長は、どうみても人の良いおじさんとしか思えない。
「ところで、あなた自身は実際にその幽霊を見たんですか?」
  チーフの質問に、工場長は脅えたように首を振った。
「私は見た事なんてありません。見たくもない。ですけど、私の友人は実際に見たそうなんですよ。夜に元城の駅前で一杯引っかけましてね。ほろ酔い気分で帰ろうと思ったら、駅のタクシー乗り場の前にね、なんか背広姿の男がじっと立ってこっちを見つめているんだそうです」
  夜だったので顔も良くわからない。だがなでつけられたオールバックと、がっちりとした体格、伸びた背筋などが強く印象に残ったのだという。その人はなんとなく不気味に思いつつも、ようやくやってきたタクシーに乗り込み……そして、車内からもう一度駅前を見たとき、その男の姿は影も形もなかったのだという。こんな話が今、元城市のあちこちに転がっているのだ。
「その友人は長年市の職員をつとめている物堅い男でして。いくら酒が入っていたとは言え、ホラを吹いたり見間違いをするような事はない、と私は思っています」
「ふぅん。『出るだけ』の幽霊かあ」
  ペンをつまんだまま首をひねる真凛。ちなみにこいつ、実家で書道も仕込まれたとかで、字面そのものはやたらと上手かったりする。だがせめて幽の字くらいは漢字で書け。
「では、質問を変えさせてください。その小田桐剛史さんというのは、どんな方だったのですかな?」
「……優秀な、そう、優秀な男でしたよ」
  言葉を選ぶように、工場長。
「もともと彼は外資系の商社からの転職でしてね。海外との強い人脈を見込まれて営業部門に入社しました。それまでは海外の市場はドイツやアメリカの競合メーカーに握られていたのです。日本国内にしか販路の無かった我が社の機械が、アジアを中心として世界に広く普及するようになったのは、間違いなく彼の功績です」
「仕事の出来る人と言うことですな。ご結婚はされておられるのですか?」
「三年前に取引先の社長の紹介のお見合いで結婚しました。結婚を機に元城駅前のマンションを引き払って群馬県に自宅を購入して、去年子供が産まれたばかりだったのですが……。運が悪かったのでしょうか」
  仕事に家庭にマイホームか。絵に描いたような順風満帆のサラリーマン人生、非の打ち所も見あたらない。しかし突然予期せぬ不幸が訪れる。事故当日、度重なる大雨の中、小田桐さんは車で工場を出かけたのだそうだ。もともと普段からあちこちの取引先を営業で飛び回っており、席に居ることの方が珍しい人だった。だから社内でも、すぐには事故に巻き込まれたとは気づかなかったらしい。翌日になっても出勤せず、電話も繋がらないという事態になってから、もしかしたらと思ったのだそうだ。
「しかし、まだ小田桐氏は見つかっていない」
「はい。当然捜索願は出して、警察の方にも国道から板東川にかけて一通り捜索してもらいました。ですが結局、遺体は見つからず、一旦捜索は打ち切りになりました」
「車は見つかったんですよね?」
「はい。しかしそれが問題でして。先ほど申し上げたとおり、引き上げられた車には小田桐は乗っていませんでした。警察は、もしかしたら小田桐は土砂崩れから車を降りて逃げたのかも知れないと考えているそうです」
  つまりは、『普通の』行方不明であり、災害には巻き込まれていないかも知れない、と言うことか。今後の明確な方針が定まらぬまま、より地中深いところにあるのかもしれない小田桐氏の遺体の捜索の予定は立っていないのだそうだ。
「それで、私をお呼びいただいたと言うことですね」
  チーフは己の右腕にわずかに左手を添える。実は今回のお仕事の依頼は、どちらかと言えば人材派遣会社フレイムアップよりも、こちら関係のお仕事ではそれなりに評判のある、須江貞俊造個人を指名しての依頼なのであった。もっともそうでもなければ、この人が前線に出張ってくるような事は滅多にないのだが。
「そうです。……その、あなたは、霊がいるかどうかを確かめる事が出来るとか」
「もちろん法的な証拠にはなり得ませんよ」
  そう、『私の霊能力で交信しました。小田桐さんは間違いなく死んでいます』なんて警察署で供述でもしようものなら、ヘタすれば警察からそのまま病院に搬送されかねない。
「かまいません。そこで小田桐が死んでいることがわかったのなら、たとえ我が社が費用を負担してでも土砂を撤去します。この業界でのフレイムアップさんの評判は伺っておりますから、法的な証拠にはならなくとも、上を説得する材料にはなるのです」
  なるほどねえ。確かに筋は通っているが。おれはちょっと口を挟みたくなった。
「一つ質問してもいいですか」
「何でしょう?」
「いえ。小田桐さんの死亡が確認できた場合は今の話の通りでいいんでしょうが。確認出来なかったら、どうすればいいんでしょう?」
  おれの質問に、工場長は面食らったようにも思えた。
「その時は、改めて街に出る幽霊の正体を調べて下さい。それが順序でしょう」
「そうですね」
  おれは出してもらったお茶をすすった。
 
 
 
  その後、工場長と具体的な経費や期限その他の細かい打ち合わせを行った。今回おれはチーフのアシスト兼、真凛の研修担当みたいな立場なので、チーフの交渉の条件を真凛にメモさせてそれをチェックする、なんて事をしていた。これは後々任務報告書の作成に必要なスキルなのである。そして昂光の工場を辞して三人で駐車場へ戻る途中、チーフがゴールデンバット(多分今日本で買えるうちではもっとも安いタバコ)に火を付けながらおれに問うた。
「……で。どう思う、亘理?」
「どう思う、真凛?」
  おれは飛んできた質問を華麗に横パス。
「は?え!?何を?」
  不意打ちを受けた真凛がうろたえる。ったく、気構えのなってない奴だなあ。
「さっきのチーフと工場長との話し合いだよ。何か気づいたことはなかったか」
「ええ!?気づいたこと……?」
  実際のところ、真凛が答えられるとは思っていない。まあ、ちょっと意地悪なレクチャーである。こういうところでただ依頼人の話を聞くだけでなく、観察眼を発揮できるようになると、今後何かと仕事が進めやすくなるワケだ。
「わからんか?じゃあ答えは――」
「えっと。同じ会社の人が死んだにしては、工場長さん、ちょっと冷たいんじゃないかなあと思った」
  おれは口を「は」の形に開いたまま、間抜けに硬直してしまった。真凛はそれにも気づかず、メモを取った手帳に目を落とし、自分の考えをまとめなおすように説明をする。
「小田桐さんは行方不明だけど、まだ土砂に埋まったとも、死んだとも決まったわけじゃないんだよね。そんな人の幽霊が出たんだったら、普通、同じ会社の人なら『生きているかも知れないから確かめたい』とは思っても、『死んでいるかどうか確かめて欲しい』なんて言わないと思う。そこがヘンだと思ったんだけど……。ハズレ、かな?」
「……いや。当たりだ」
  正直、驚いた。生物ってのは知らぬ間に進化するもんである。
  そう、工場長の態度は明らかにおかしかった。仮にも自分の部下である。例え彼が部下の面倒など一切見ない冷徹な性格だったり、日ごろ小田桐さんの事を嫌っていたのだとしても、仕事中に自分の部下を死なせたとなれば責任問題になる。間違っても「死んでいてくれ」などと考えるはずはないのだが。
「鋭いな真凛君は。この仕事、ひょっとしたら単なる幽霊騒ぎでは終わらないかも知れんよ」
  ゴールデンバットを吹かしながらチーフ。工場長との会話時に比べると若干テンションが高い。つくづくこの人の脳細胞はニコチンで回転しているのだと思う。
「もう君がうちに来てから半年経ったのか。早いもんだな」
「すいません、仕事おぼえるのが遅くって……」
「全然そんなことはないさ。むしろ早いくらいだ。亘理なんか独り立ちするまで一年以上も手間がかかったからなあ」
「ええ?そんなに……すごかったんですか?」
  真凛がおれとチーフの顔を交互に見やる。ンだよこの野郎。
「それはもうアシスタント時代のこいつと来たら、生意気だわ口答えするわ人の言うこと聞いたフリして全然従わないわでね。前に『野沢菜プリン事件』てのがあってそん時の亘理は、」
「ところでチーフ」
「何だ亘理」
「この敷地内、全面禁煙です」
「……」
  チーフはまだ半分近く残っているゴールデンバットをしばし見つめると、悲しそうに携帯灰皿にねじ込んだ。なんだか悪いことをしたような気分になるのは何故だろう。
「とにかく、これで最初の方針は決まりましたね」
  やや力技で会話の流れを変えて、おれは駐車場の柵に大きく身を乗り出す。その下にはなだらかな下りの斜面が広がっており、山の裾野と元城市を一望することが出来た。
「まずは現場検証から、だな」
  チーフの言葉に頷く。おれの視線のずっと先には、山の裾野をぐるりと囲むように伸びる国道432号線。そしてその道路に斬りつけるかのように、今なお大きく鋭い土砂崩れの傷跡が残っていた。土砂の下には何があるのか、あるいは何もないのか。確かめることで、何かがわかるはずだった。
「それにしても、土曜のお昼に墓掘り人グレイヴディガーをやらなきゃならんとはねぇ」
  誰にともなく、おれは皮肉を込めて呟いた。
 
 
 
 

◆◇◆ 6 ◇◆◇

 
 
  本当の顔が欲しいのだろう、と奴は言った。
 
  本当の顔、とはどういうことですか、と鸚鵡返しに問い返す私に、奴は実につまらなさそうに「言葉通りの意味だ」と告げた。
  ”Третийトゥリーチィглазグラース”の長たる奴は、この私からしても最悪の部類に属する人間だった。いや、本当に人間なのか。私は奴を何度となく殺してやろうと思い、その度に脳裏で思いつく限りの惨たらしい殺害方法を妄想した。それらを実行しなかったのは、もちろん良心が咎めたからではない。単に出来なかったからである。それほどまでに、私は奴に畏怖を抱いていた。
  ところが、その相手が唐突にそんなことを言いだしたのである。弱者への施しではない。対等な取引でも無論ない。恐らくはおぞましい契約。下級悪魔が踊り出しそうな、こちらの弱みにつけ込んだ、交換トレードの皮をかぶった一方的な命令オーダーのはずだった。サインをすれば、比喩表現ではなく、本当に命を捧げることになるだろう。それなりに修羅場を潜って培われた私の直感が、全力で『否』と警告していた。わかってはいる。……だが。
 
  欲しいのだろう、チャンスをやる、と奴は言った。
 
  図星だ。
  私は何としても、本当の顔が欲しい。
  そう、私には顔がなかった。正確には、失ったのだ。いや、もっと正確には。
 
 
  奪われたのだ。
 
 
  顔というのは不思議なものだ。それは、私が私であるという証明。
  顔を失ったとき、私は私ではなくなった。私であることを証明できなくなってしまった。
  その後、確かに別の顔を手に入れた。だがそれは、『私の顔』ではない。
  だから、私は私に戻れなくなった。今までの人生で積み上げてきた『私』が、消えて失せたのだった。
  いや。消えて失せるだけなら受け入れられたかも知れない。それは『死』だ。
  私は強欲だった。少なくとも、それを自覚している。強欲であればこそ、人生というゲームに果敢に挑んだ。強欲であればこそ、可能な限り楽しんだ。強欲であればこそ、『死』というゲームオーバーへの覚悟も出来ていた。
  だが、『私』は奪われたのだ。私が積み上げてきたものも、全て。
 
  それだけは。断じて受け入れるわけにはいかなかった。
  強欲であればこそ、奪われることは許せない。
  権力の階段を駆け上がるものが道を踏み外したとき、登った段の数だけ落下の痛みは増す。私は『私』でなくなった後、地の底を這いずるように生き延びてきた。堕ちた誇りを抱え闇に生きる私……いつしか私の生き続ける理由は、一つに収斂していった。
 
  本当の顔を奪り返す。
 
  奴は私に、その機会をくれるという。
  拒む理由は、なかった。
  命をかけることになるだろう。だが、一度は失敗し、泥にまみれ、『顔』を――全てを失う事になった、あの事件に。
  そして――私の顔を奪ったあいつに報復が出来るのなら。
 
  再び、私の本当の顔を、奪り返せるのなら。
 
  そのためなら、何だってやってやる。だから、私は。
  奴の契約に乗ったのだ。
 
 
 
 
 
 
  板東山を北から切り裂くように流れ、元城市へ向けて注ぐ板東川。なんでも室町時代の文献には既に登場しているほど由緒正しいこの川は、上流と下流で大きくその姿が異なる。
  元城市内を流れるエリアでは洪水に備え、格子状のコンクリートにより整然と護岸工事がなされている。だが、上流へ遡り、板東山も中腹あたりまでやってくると、整備されていない剥き出しの川原が広がっているのだった。清音達四人は、その細い川原を歩き続けている。先に進むにつれ、砂は砂利になり、石は岩になる。現在彼女たちがいるのはもはや、川原と言うより岩場だった。無数に転がる岩と石。突き出た流木とガレキ。それらの隙間を埋め尽くす砂利と土砂を踏みしめ、ひたすら上流を目指すこと、かれこれ一時間。
  大きめの岩に足をかけ、一気に身体を引き上げる。その拍子にバランスを崩しそうになるが、とっさに横に張りだした太い木の枝をつかみ、どうにか身体を支えた。清音は岩の上に立ち、大きく息を吐く。
「……どうやら、着いたみたいですね」
  そこに広がっていたのは、清流を堰き止めるように横断する、膨大な土砂の塊だった。一月ほど前、急角度の斜面から滑ってきた土砂の塊は、道路とトンネル、そして斜面に生えていた無数の樹木を呑み込みながら落下し、この地点で板東川と衝突したのだった。当然板東川は堰き止められ、一時はここら一帯が溢れた水でずいぶん酷いことになったらしい。その後の復旧活動でどうにか最低限の土砂は除けられ、水が流れるようになったものの、そこで作業は一旦打ち切りとなってしまっていた。もしも小田桐氏が流されているのならば、ここが一番確率が高いはずだった。
「予想はしてたけど、これは想像以上にひどいですね」
  惨状を一通り把握すると、清音は岩の上に座り込み、背負っていたバックパックを下ろす。修行のためと称して割と本格的な山ごもりをさせられた経験もある清音だが、さすがに岩場を登り続けるのは疲れた。
「これは、完全に、トレッキングですねえ」
  その清音の後ろを背広姿で息を切らしながらついてきたのは徳田だ。すでに膝にきているようで、その様は岩を登るというより這い上がると言った方が正しい。清音は手を貸して、徳田を引っ張り上げてやった。もともとウルリッヒの正社員とはいえ、彼はあくまで一般人にすぎない。本来はここまで着いてこずとも、会社の支店に待機して清音達の報告を待っていれば良いはずなのだが。
「はぁやっと着いた。まったく、お客様へのサービスというのも楽ではありませんなあ」
  職務熱心と言うべきなのだろうか。元城市を車で川沿いに北上して板東山中に入り、行けるところまで進み、そこから徒歩で一時間というこのハードな行程に、結局最後までついてきてしまった。
「じゃあちょうどいい区切りですし、仕事に取りかかる前に休憩にしましょうよ」
  清音はバックパックを開いて中から水筒と紙コップを取りだし、二人分の麦茶を注ぐ。徳田は恐縮恐縮と手で拝む真似をしつつ、麦茶を飲む。清音も自分の分に手を伸ばす。
「お、清音ちゃん気がきくでないの」
  横合いからひょいとその紙コップを取り上げたのは、いつの間にか清音達に追いついていた土直神だった。そのまま清音が止める間もなく飲み干してしまう。
「ウム。ンマイ」
「ちょっと!飲むなら自分の飲んでくださいよ」
「おいら水筒持ってないもんよ」
「それだけ荷物に余裕があったくせに何言ってるんですか」
  大きめのバックパックを背負った清音とは対照的に、土直神は集合したときの服装そのままで、カバン一つ持ってはいない。それどころか、呆れたことに片手に未だ携帯ゲーム機を持ったままである。石の上や川の中に落とせば一巻の終わりだろうに、一向に本人は気にする様子がない。
「だっておいらぁシティボーイよ?そんな清音ちゃんみたいなセンスのない装備は出来ないじゃん」
  確かに清音の今の服装は、高校指定の運動用の分厚いジャージ上下だった。センスを云々する以前の問題だが、清音にしてみればせっかくの私服を、誰に見せる必要もない山奥の仕事で汚したり破いたりする気にはなれない。洗濯代というのはバカにならないものなのだ。
「……いいですけどね別に。本番ではちゃんと着替えますし。ところでシティーボーイってどういう意味ですか?」
「知らんの?そんなんだから田舎モンって呼ばれるのさ清音ちゃんはあ」
  もちろん清音には、彼女が生まれる前にとっくに死語になった言葉などわかるはずもないが、少なくとも時々買い物に出かける都内でシティーボーイという言葉を聞いた記憶はなかった。残りの紙コップを取りだして麦茶を注ぎなおす。今となっては癪だが、最初から四人分注ぐつもりだったのだ。
  一方の土直神はと言えば、携帯ゲーム機からタッチペンを引き抜くと、清音達の腰掛けている岩に触れ、なにやら小さな円を描くような仕草をしている。
「……『仕込み』ですか、土直神さん?」
「ああ。仕事には入ってないけど、こういうのを見ちまうとクセでね。しかしこりゃあひっでえなあ。脈がぐっちゃぐちゃだ」
  ぶつぶついいながらあちらこちらの岩や地面にタッチペンで細工をし始めた土直神から視線を外し、清音はようやく人心地を取り戻したらしい徳田に話しかける。
「徳田さん。すみませんが、小田桐さん……土砂に埋まっているかも知れない方について、もう少し詳しく教えてもらえませんか。何も情報がないと、 お話・・が出来ませんし」
「は?ええ。私などで分かることでしたら
「では。家族の事をお願いします。たしか三年前に結婚されて、子供も生まれたんでしたっけ?」
  徳田は背後のカバンに向き直り、書類を取り出す。
「そうですな。元々はお見合い結婚で、取引先とのパイプを強化するという意味合いが強かったのですが、そういう事を抜きにしても実際、非常に美人で気だての良い奥さんで、近所でも評判だそうですよ」
「ご夫婦の仲は良かった?」
「ええもうそれは。地元の方によると、御主人の方は物静かで控えめな性格なのだそうですが、記念日や奥さんの誕生日にはプレゼントを買って早く帰る、連休ともなれば揃って温泉、小旅行に出かけるという仲睦まじさだったそうです。一応ウルリッヒでも事前調査をしたのですが、群馬にある自宅の周りでは、ご近所から悪評どころか妬みそねみの類もほとんど聞かれませんでした」
「ふえー」
  清音はそれ以外にコメントのしようもない。清音のイメージする夫婦像の九割は、町内会の寄り合いで開かれる奥様方の井戸端会議に依るものである。
「そして昨年子供が誕生。長男ですね。いやはや、全てを手に入れた幸せな人生、と言うべきですかねェ」
  うらやましいものです、と徳田は遠い目をする。
  書類には奥さんの名前や長男の名前もあった。清音はあくまで徳田のチームに派遣された臨時メンバーに過ぎず、小田桐氏が行方不明になった後、この人達が今どれほどに悲嘆の底にあるかを直接知る立場にはない。もしも小田桐氏が生きているのだとしたら、何としても会わせてあげたいものだ。と、思考に没頭する清音に、徳田が遠慮がちに紙コップを差し出す。
「すいません、麦茶もう一杯いただけますか」
「あ、どうぞどうぞ。そうだ、四堂さんも飲みます?」
  清音は背後に声をかける。最後の一人が、やはりいつの間にかそこにいた。
  この一行において、しんがりを務めているのが四堂だ。徳田と同じ背広姿だが、猫科動物めいたしなやかな巨体はこの山中に完璧なまでに馴染んでおり、まさしく密林に放された人喰い虎のごとく。足音すら立てず、無造作に足場の悪い河原を踏破している。マクドナルドを出てから一時間近く、ここまでほとんど口を開いていなかった四堂だが、軽く手を振ると、麦茶には口をつけずぼそりと言った。
「近くに複数人の気配がある」
「え?」
  清音と徳田は顔を見合わせた。復旧作業もすでに打ち切り、警察の現場検証の予定もないはずだ。
「気配って……この現場にですか?」
  うなずく四堂。その視線は土砂崩れの落ちてきた方向に広がる森の中に向けられている。
「まさか山菜採りの人でも紛れ込んだとか」
「あるいは、上の県道は復旧していますから、もしかしたら興味本位の野次馬が崖を覗き込んで、そのまま滑り落ちてきたのかも知れません」
「いずれにしても迷惑な話ですね」
「では、警戒に当たる」
  そこで用を足してくる、と聞こえかねないほどの何気ない口調で踵を返すと、巨体をひらりと岩の下へと踊らせる。
「あ、ちょっと四堂さん、」
  止める間もなかった。両手に何も持たない背広姿のまま四堂は岩場を降り、斜面へと続く森の中へと溶け込むように入っていってしまった。
「行っちゃいましたなあ……」
「今回は戦闘系の四堂さんの出番はなさそうですからね。あの人の事だから、『少しは働かないと給料をもらう資格がない』とか考えているんじゃないですか」
「職人気質なんですな」
「まあ……ある意味では」
  清音は言葉を濁した。四堂が普段請け負う仕事の内容を考えると、確かにこれ以上ないほどストイックな職人と言える。徳田の麦茶が空になっているのに気づくと、清音はよし、と呟いて、両の手を打ち鳴らした。
「さて。じゃあ徳田さん。私も自分の仕事を始めちゃっていいですか?」
  紙コップをしまい、いくつかの道具が詰まったリュックを引き寄せる。心得顔の徳田が、恭しく一礼した。
「よろしくお願いします、『風の巫女』。ああ、土直神さん。着替えの間、我々は後ろを向いていましょうね」
「ちぇー。そこはおいらがボケてからツッコんで欲しかったッスよ」
  つまらなそうに、土直神が口を尖らせた。
 
 
 
 

◆◇◆ 7 ◇◆◇

 
 
「〜〜〜〜ぁいでででででででっ!!」
  二十メートルの高さから、地肌が剥き出しの急斜面を一気に滑落する。なかなか得難い経験ではあるが、もちろん、好きでやっているわけではない。
「陽司!手を離すと死ぬよ!?」
  上から響く真凛の声。おれは矢も盾もたまらず、斜面に垂らされた一本の縄――ワンアクションで縄バシゴや多節棍にも変形する万能縄バシゴ『ハン荷バル君』を必死でつかみなおす。落下で加速された体重が衝撃となって、腕、肩、掌に一気にのしかかった。掌に線状に走る熱い感覚。
「がががっ……って、お、落ちる!落ちる落ちる!!」
  とっさに斜面に足と膝をついて踏ん張るが、砂と土の脆い斜面は容易く崩れ、おれはさらに下へと滑り落ちてゆく。そのままさらに十メートルほど滑落し、
「ぐがっ!」
  盛大に尾てい骨を打ったところで、ようやくおれは一番下に辿りつくことが出来た。と、追いかけるように落ちてきた砂と小石が、シャワーとなって顔面に降り注ぐ。
「ぶぇっ!」
  口に入った砂を吐き出し、天井を遮る枝のカーテンの向こうに眼をこらす。崖の上、つまり先ほどまでおれが居た県道432号沿いのガードレールから、真凛がひょいと顔を出し、声を張り上げる。
「生きてる〜!?」
「……ああ。何とか大丈夫だ〜!」
  こちらも声を張り上げて手を振る。
「……びっくりしたよ〜!。そんなくらいで足を滑らさないでよ〜!」
  お前の基準で物事を判断するんじゃねーよ〜、と叫ぼうとして砂を吸い込んでしまい、おれはむせた。三十メートルの急斜面をロープ一本(安全ベルトなし)で降りるのは、救命レンジャーや軍人さんのお仕事である。運動嫌いの学生にはいささかハードルが高すぎるというものだ。ああくそ、ジャケットがボロボロになっちまった。
「お〜い!俺達も行くから、しばらくそこで待っていろよ〜!」
  降り注ぐチーフの声に、「了解〜!」と返事をして、おれは尻をさすりながら立ち上がった。ちくしょう、掌の皮がひどいことになってやがる。
  発生した土砂崩れは県道432号を横断し、そのまま下の森まで流れ込んだという。最も遺体が埋まっている可能性が高いポイントに向かうには、一度街まで戻って板東川を数時間かけて登るか、あるいは直接、県道の事故現場から崖を降りるかのどちらかしかない。結局、おれ達は『ハン荷バル君』だのみの逆ロッククライミングに挑戦することにしたのだった。
「沢登りなんぞ時間がかかって疲れるからイヤだ、と主張しやがった阿呆は……おれか、くそ」
  ここまで斜面が急だとは思っていなかったんだよなあ。
  改めて周囲を見回すと、そこは完全な森の中だった。本来は人が歩くのはかなり難しいのだろうが、土砂崩れに切り裂かれた箇所が、一本の道となって緩やかに坂の下へと続いていた。真凛達が追いついてくるまではやることもない。何の気無しに森の奥に目を凝らしていると、不意にがさり、と木々が鳴った。ネズミや蛇じゃあない。猿や犬、よりもさらに大きい。……おいおい。熊は勘弁して欲しいぜ?
  と、敵意の無さを示すかのように森の奥から姿を現したのは、熊、ではなく、安っぽい背広姿の一人の男だった。ただしその体格は、熊と見間違えそうに大きい。男もおれに気づいたようで、しばし視線が交錯する。
  片や、カジュアルな格好。片や、背広姿。どちらも荷物らしい荷物は持っていない。少なくとも、人気のない山奥の森で遭遇する相手ではなかった。
「自殺志願っすか?こういうところで首を吊ると地元に迷惑がかかるから――」
「学生か?ここはまだ崩落の危険がある。沢伝いに街へ――」
  おれ達は互いに言葉を交わそうとし。

 ――そこで。
  ようやく互いの正体に気づいた。
 
「……ワタリ。貴様、あのワタリ……か?」
「まさか……シドウ。シドウ・クロードか?」
  すでに正午を過ぎて、晴天に陽は高く。だが鬱蒼とおい茂る森の枝に遮られ、光はほとんど届かない。土砂崩れの傷跡を吹き抜ける風が、葉を枝を、ざわざわとかき鳴らした。
 
 
 
 
 
 
  物陰でバックパックから取り出した小袖と緋袴に着替え、シャンプーの宣伝にも出られるよと友人達からお墨付きをもらった自慢の黒髪を水引で束ねる。それだけでごく普通の女子高生は、霊験すら匂わす巫女となっていた。そのまま清音は楚々と進み出で、現場、つまりは土砂の崩れた場所に降り立つ。
「本来なら巫女というものは神社にあってこそ巫女なのですけれども」
  巫女というものにも様々あるが、もっとも一般的な『巫女さん』は、神様に奉仕する存在である。その神様が神社におわす以上、巫女が巫女として活動するのは、通常は神社の中だけだ。
「ウチは人が足りませんので」
  嘆く清音。つまりは、一人で何でもやらなければいけないと言うことだ。神楽からお賽銭の管理、託宣、お祓い、悪霊退散等々。
  次に清音が取りだしたものを見て、徳田が驚きの声を上げる。それは、何枚かの微妙に反った板だった。いずれも細長い。材質はそれぞれ異なり、アルミ合金、カーボン、それに竹で出来ているものもある。道具と言うより機械のパーツを連想させるそれは、
「もしかして、弓……いや、アーチェリーの部品、ですか?」
  頷く清音。そう、それは確かにアーチェリーの弓。正確にはリカーブボウと称されるものだった。弓道で使われる和弓とは異なり、パーツごとに分解して持ち運べるという利点がある。清音は慣れた手つきでパーツを接続し、ボウを組み立ててゆく。
「しかし……巫女さんが、アーチェリー、ですか?」
  徳田の疑問も無理はない。事実、巫女さんが和弓ならともかく、洋弓ボウを構えている姿はミスマッチこの上なかった。清音ははぁ、と遠い目をする。
「本当は、神社に代々伝わる御弓だったんですよ。でも、折れてしまいまして」
「高校の後夜祭で酔っぱらって石段踏み外して、尻餅でへし折ったんだよなー」
  茶々を入れる土直神。
「ほっといてくださいよ!で、結局、洋弓に再生することにしたんです」
  そう言って清音が指した弓の上端と下端の部品は、よく見ると確かに、和弓のそれを切り離したものだった。
  何しろ先祖代々の御弓は取り替えのきくものではないし、かといって折れた弓はどう接着してみても、とても実用に耐えられるものではない。試行錯誤の末、高校のアーチェリー部の顧問と商店街のスポーツ店と町内の鉄工所の協力を得て、折れてしまった胴部を切除し、鳥打から上をアッパーリムに、大越から下をロウアーリムに、それぞれカーボンで補強を施して仕立てた。これをアルミ合金から削りだしたハンドルに接続し、アラミド繊維のストリングをかける。ついでにスタビライザーとVバーもセット。こうして風早の神社に代々伝わる不浄祓いの霊弓は、最新技術を詰め込んだものごっついアーチェリーへと魔改造を施されたのであった。ちなみに経費は月賦五年払いである。
「まあ、見てくれは巫女らしくありませんが、ちゃんと祭具としては機能しますし」
  すいと背筋をただし、大の男でも引くのが難しい強さの弓を、流れるように引き分けドローイング 。筋肉ではなく姿勢フォームで引く、理想に近い射姿だった。
  そのまま矢をつがえずに左手を放すと、キャン、と鋭い音を立てて弦が鳴った。
「和弓より、こちらの方が何かと使い勝手がいいんですよね。とくに実戦・・では」
  物騒で清楚な微笑を浮かべ、清音はそのまま繰り返し矢をつがえずに弦を引き、放す。東北を向いてつる打ち。次に西南を向いてまた弦打ち。そして東西南北、四方へと。鋭く甲高い弦の音が、静かな森の中に響いていく。
「あの、一体何を、」
「静かに」
  徳田を小声で制したのは、土直神だった。
鳴弦めいげんの儀。弦鳴りで穢れを追い払って、神様を迎えるんだぁよ」
  上を指す土直神。そこでようやく、徳田も気がついた。
「風が……」
  びょうびょうと鳴り響く弦の音。その空気の震えが増幅するかのごとく、次第に清音の周囲に緩やかな風が吹き始めていた。次第にそれは強く、大きくなり、瞬く間に清音の周囲を巡る渦となる。そこで清音は弓を下ろし、袴が汚れることもいとわず土砂の上に正座をすると、
「御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の――」
  謡うように、祝詞を紡ぎだした。すると、その声に応じるかのように、周囲を巡っていた風の渦が一気に清音目がけて収束する。舞い上がった土砂が目に入ったのか、たまらず徳田が顔を伏せる。砂埃はなお強くなり、徳田は眼を開けていることが出来なくなった。
  どのくらいそうしていたのだろうか。
「――聞こしめせとかしこみかしこみもうす」
  祝詞が終わったとき、風の震えは既に収まっていた。顔を上げた徳田が見たものは、土砂の上に正座している清音。ただそれだけで、先ほどと何も変わっていない。だが。
「何か……居る?」
  清音の二メートルほど前方に、誰か・・がいた。眼で見る限り、そこにはただ土砂があるだけだ。だが確かに、そこに誰かがいる気配があった。別に音がするわけでも、臭いがするわけでもない。だが何故か、居るとわかる。その異様な感覚に徳田がパニックを起こしかけた時、見かねたのか土直神が解説した。
「徳田さん素人だと思うけど、わかるよねアレ?アレが、清音ちゃんとこの神さん。ま、名前は色々あるけど、いわゆる”風の神様”ってやつだよ」
「は、はぁ……」
「清音ちゃん自身の能力は、あくまで巫女として神様を呼ぶだけ。でも神様にお願いをすることで、様々な力を使うことが出来るってワケ。風を操ったりとか、あるいは、霊の声を聞いたり、なんてね」
「情報としては知ってはいましたが……実際に見ると凄いものですね」
  眼をしばたかせる徳田。
「今、清音ちゃんが神さんに話をして、このあたりに眠っている人がいないか探してもらっているから」
「それは……幽霊という奴でしょうか?」
「どうだろね。実際のところおいら達にも良くわからんのよ。会話の形をしているけど、実際は亡くなった方の焼き付いた思念を読み取ってるんだ、って主張する人もいるし、実際は鏡みたいに、話しかける形を取りながら自分の予知能力を発揮してるって説もあるしねー」
  のほほんとした調子で、専門的な事を話す土直神。
「しかし。当人が亡くなっている事は間違いないんでしょう?」
  今度は土直神が、眼をしばたかせた。
「そうだね。それは間違いないよ。清音ちゃんが話出来るのは、すでに亡くなっている人だけだから」
「なるほど」
  徳田は眼をくるくると回して成り行きを見守る。すると、今まで正座していた清音が、すいと面を上げた。
「……お休みのところを起こしてしまって本当にすいません。来ていただいてありがとうございます」
  丁寧に、目の前の誰もいない空間に向かって一礼。そして、土直神達に顔を向けて、まるで親しい知人を紹介するように声をかける。
「つい先日、この地で眠りにつかれた方がいらっしゃったのでお越し頂きました。ここ最近、この辺りで亡くなられた方は、この人お一人だそうです」
  そう、そこには。清音と、目に見えぬ清音の呼び出した”神様”なるものに加えて。
  さらにもう一人、誰か・・がいた。
「私はここから少し離れた風早神社に勤めております、風早清音と申します。貴方のお名前を教えていただけますでしょうか」
  丁寧に、だが儀式張ったものではない口調でその誰かに語りかける。すると、風がざわざわと細かく、だが激しく震えた。まるでノイズのようなその音は、チューニングを合わせるように、一つの音へと絞り込まれていき、すぐにはっきりと、一つの音声となった。
 
  ……ワタシ……ハ……オダ、ギリ……ツヨシ……
 
  清音の前に居る見えない”誰か”は、風に乗せて、確かにそう言葉を紡いだ。
 
 
 
 
 
 
「もしもし?……ああ、所長、お疲れさん。どうしたの?……はあ。はあ。…………『ティエクストゥラ』?いや。特に心当たりはないけどね。うん。じゃあ」
  通話を終えて、チーフは携帯をコートの内ポケットにしまい込む。
「所長からですか?」
  ガードレールの支柱に改めて『ハン荷バル君』を巻き付け直していた真凛が駆け寄ってきた。
「ああ。事務所の方にどうもヘンな案件が回ってきたみたいで、俺にも情報がないか聞いてきた」
「もしかして、敵に強い人がいるとかですか?」
「いや。正確には依頼じゃない。派遣会社同士の間での情報交換だな」
  心底美味そうにゴールデンバットをくゆらせるチーフ。
「国内で新たな異能力者が現れたり、海外から厄介な『派遣社員』がやって来たときに、日本の派遣会社同士でそいつのことを知らないか、お互いに情報を持っていないか聞きあったりするんだ。戦うにしろ一緒に仕事をするにしろ、事前に相手の能力を知っていれば物凄く有利になれるからね」
  訥々と語るチーフ。こういったデータベースを利用できるのも、会社組織の強みである。業界最大手のCCCは、社長の方針もあって国内外合わせて一万人近い能力者のデータベースが揃っているのだとか。
「どうも海外から厄介な奴が入国したらしいんでね。日本中の派遣会社も一応警戒しておこうということらしい」
「強いんですか?その人」
  真凛の期待に満ちた問いに苦笑するチーフ。
「いいや。戦闘についてはそう強くはないらしい」
「あ、そうですか」
  それで興味を失ったのか、再びロープを固定しようとかがみ込んだところで、真凛の眼が鷹のように鋭くなる。
「チーフ」
「ん。どうした?」
「えっと……見間違いかも知れないけど、何か、下の方で……」
  三十メートル先、しかも森に覆われて崖下の様子はほとんど見えない。だが一瞬だけ、その枝葉のカーテンの隙間で、何かヒトのようなものが動いた、気がした。それだけである。根拠もなにもない直感に過ぎなかったが、一瞬の判断ミスが生死の境をわける武道家の本能が告げる。今見えたのは……なにかとても……そう、物凄く”ヤバイ動き”だと。
「すいません!ただのカンなんですけどチーフ、」
「わかった」
  真凛の表情を見たチーフの行動は早かった。ゴールデンバットを左手に待避させつつ、コートに右手を突っ込む。やがてたぐり寄せて取りだしたのは、トランプのカードを思わせる、一枚の銀色の薄いプレートだった。
 
「――『 駱駝の王の其の瞳。天を巡り虚を識る星を我に宿せALLUP LEIRU LIGIL URIEL PULLA』」

 不可解な言葉を並べ立てると、チーフは眼を瞑り、己の額に銀のプレートを当て、三秒ほど待つ。やがて眼を開いたとき。その表情は切迫していた。
「――真凛君」
「はい!」
「君の直感は当たりだ。亘理がかなりマズいことになっている!すぐ行ってくれ!」
  指示を聞くより先に、真凛は鮮やかに身を翻してガードレールを飛び越え、縄もつかまず急角度の坂を一気に駆け下りていった。
 
  結論から言うと、チーフの判断は全く正しかった。
  まさにその時、おれは死地にいたのだから。
 
 
 
 

 

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