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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第6話 『北関東グレイヴディガー』


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◆◇◆ 14 ◇◆◇

 
 
「ンで。悪戦苦闘一時間、なんともならずオイラ達を呼んだってワケだぁね」
  畳の上にふくれて正座する清音の前に、ちゃぶ台を挟んで土直神と四堂が座っている。今三人がいるのは、彼らが今夜の宿と定めた、元城駅前にあるウルリッヒ保険御用達のビジネスホテル……とは一応名乗ってはいるものの、どうやら元々は旅館だった建物が、出張客を当て込んでホテルに転身したというのが正直なところのようだった……である。畳、ちゃぶ台、押し入れ、床の間。部屋自体は多少古いものの、清掃が行き届いており快適である。お値打ち価格で手足もゆっくり伸ばせてその上なにより自分でご飯を炊かなくてもいい!ので、そのことについては清音は全く異存がない。問題は。
「だって。線がつながらないんですよっ」
  ぶうぶうと文句を言いながら、テレビ台に据え付けられたPCと、土直神に借りたLANケーブル、そして壁に取り付けられた差し込み口を順番に指さす。事件について調べてみます、と言ってはみたものの、まさかネットに繋ぐことすら出来ないとは思ってもみなかったのである。
「徳田サンに聞けば良かったのに」
「さすがにもう帰ってしまいましたよ。自宅で書類仕事をしなきゃいけないそうです」
「土曜だってのに社会人は大変だねぇ。ま、いーけどサ。清音ちゃんがメカ音痴ってのは今さらだし。……ってうわぁ、これモジュラージャックじゃないか!」
  珍しい昆虫でも見つけたように、呆れ半分はしゃぎ半分の声をあげる土直神。
「ひっさしぶりに見たなー。ってか、ビジネスホテルでダイヤルアップとかISDNいそでんってアリなのか!?でも徳田サンはブロードバンドは使えるって言ってたし……あー」
「ワイアレスが導入されているようだな」
  清音にはさっぱりわからない会話を交わす男二人。こちらはすでに一風呂浴びて、浴衣に着替えている。自販機で買い込んできたビールを片手にあぐらをかく土直神と、対照的に膝を開いた正座の四堂。鉄の棒でも入っているのではないかと思わせる伸びた背筋は、例え今この瞬間に敵が乱入してきても、即座に叩き伏せる気構えであることを伺わせる。
「んだね。じゃあアンテナを優先にして……ほい、これでOKだぁよ」
  ケーブルが引っこ抜かれたPCの画面を確認すると、確かにネットに繋げられるようになっていた。なんでケーブルを抜くとネットにつながるのか。清音からすると、術法などよりよほど魔法じみている。
「まあ、いいです。つながったら後は私でもわかりますから」
  ウルリッヒの社員用ページへのアクセス自体は清音も慣れている。任務をこなす度に、このページから報酬を請求しているので嫌でも覚えざるを得ないのだった。自宅にPCなんかない清音は、一時は学校の視聴覚室から授業中にアクセスしていたこともあった。
「ここ数年、この元城市で起こった事故と事件……」
  徳田から借りた仮パスワードで、ウルリッヒ保険北関東支店のデータベースにアクセスする。あの”幽霊”の正体は本当に小田桐剛史なのか。それを確かめたかったのだが。
「……うう、全然情報が載ってません」
「あちゃあ。まーそーだとは思ってたけど」
  ウルリッヒ保険はあくまでも保険会社であって、興信所や調査事務所ではない。彼らに必要なのはあくまでも自社の契約者が死亡、被災した際の情報であり、いちいち街で起こった事故や事件を記録してもあまり意味はないのだった。
「ここにあるのはあくまでも、この街でウルリッヒ保険に入ってた人に関するデータだからなぁ。清音ちん説の”小田桐さんじゃない誰か”が仮に居たとしても、他社の保険に入ってたりそもそも保険に入ってなかったらお手上げだぁよ。新聞の方を調べてみた方がいいんじゃね?」
  新聞社と契約を結ぶと、かなり昔の記事にまでさかのぼって記事を検索することが出来る。再びウルリッヒの仮パスワードでアクセスし、『元城市』や『事故』『事件』といったキーワードで記事を絞り込んでいく。だが、今度は数が多すぎてとてもすぐにチェックできるものではない。
「こうしてみると、一つの街でも小さな事件は毎日起こっているんですね」
  それでも一つ一つヒットしたデータを調べていた清音だが、さすがに限界を感じたらしく、座ったまま大きく伸びをする。
「あんまり今から根詰めてもしゃあないやね。これでも飲みなよ清音ちん」
「ありがとうございます……ってこれビールじゃないですか!」
  今さら固いこと言ってもはじまらないじゃん、とプルタブを押し込みながら土直神。ちゃぶ台の上を見てため息をつく。
「あーあーこんなに菓子なんかたくさん買い込んじゃってまあ」
「いいんですよっ。昨日と今日はほとんどお金を使ってないんですから」
  一日山歩きをしたら甘いものが食べたくなったのである。と、その様をしげしげと眺めて、土直神がぼそりと呟く。
「……清音ちん、もしかしてダイエットする度にリバウンドするタイプだろ」
  マウスをクリックする音がはたと止まり、ぎ、ぎ、ぎと清音の首がこちらを向く。
「ナ、ナゼ、ソレ、ヲ」
  土直神は頭を抱える。
「……二回節約したから三回目はお金を使っていい、って考えるタイプの人は、朝昼抜いたから夜は豪華に食べていい、って考えちゃうんだよねー。一番太るパターンなのに」
「ほ、ほっといてくださいよ!」
「怒らない怒らない。ストレスためるとまーた太るよ……って痛ェ!き、清音ちんマウスを投げるのはよくないな……ちょっと!ディスプレイはだめだろディスプレイは!?」
「問答無用ッ!!」
 
 
 
  ……それでも根気よく清音は調べ続け、たいしてやることのない土直神達がそれを交代で手伝った。結果として、深夜までかかったものの、ヒットした全ての事件に目を通すことは出来たのだった。だが、そこで得られたものは。
「いなかった、なぁ」
  ビールの空き缶をべこべこともてあそびながら土直神。すでに空き缶がいくつも畳の上に転がっている。
「うう、私の見込み違いでしたか……」
  応じる清音の声には疲労がにじみ出ている。実際に疲れていたし、何より無駄骨に終わったという事実が堪えていた。事故や失踪事件をしらみつぶしに調べてみたものの、いずれも交通事故や、海外旅行中の失踪が大半で、少なくともデータで検索できる十数年の範囲では、板東山のあの場所と関わりのありそうな情報は見つからなかったのである。
「ま、巫女さんのカンが百発百中だったら、そもそもおいら達がここに来るまでもなくどんな仕事も片付いちゃうかんね。当たんないのが普通、くらいで考えときゃいいんじゃないの」
「でも、それじゃあ明日はどうやって動けばいいんでしょうか」
  また板東山に登っていって神下ろしをしたところで、上手くいくという保証はない。死亡の確認が仕事である以上、何はなくとも遺体の場所がわからない限りは手の打ちようがないのだ。
「あー。そのことについてだけんどね。ちょっとバクチっぽいけど方法はある」
「え?あるんですか?」
「いやまあ分の悪い賭けかも知れんけど、やってみる価値はなきにしもあらずかなー、ってとこだぁね」
  妙に歯切れの悪い返答だった。その態度に不審を抱いた清音が問いただそうとしたその時。
「いたぞ」
  不意にそんな声が届いた。慌てて後ろを振り返る。
「シドーさん?」
  そこには、立ち上がってディスプレイを覗き込んでいる四堂がいた。いつも通りの寡黙な表情だが、その左目には常以上に強い光が宿っている。
「いたって、……何がです?」
「行方不明者だ」
「い、いや……今まさに、”いない”って証明されたばっかりなんだけど?」
  四堂は大きく首を横に振る。そして、ディスプレイ上にいくつも広げられたウィンドウの一つ、ウルリッヒ保険のデータベースを指し示す。
「確かにこのデータを見る限り、ウルリッヒ保険の依頼人には不審な失踪や死亡を遂げた人間は居ない。……依頼人には・・・・・
「え?」
  四堂が指さすデータ。それは、ウルリッヒ保険の営業日報……いわば、企業の日記だった。指の動きを目で追うと、そこには、シンプルな文字列が一行、無機質に躍っていた。
 
 
  『昂光タカミツ社元城工場に派遣中の社員、帰還せず。連絡途絶』
 
 
「こりゃあ……」
「日付は、四年前ですね」
  PCの画面を、三人が覗きこむ。八畳あるはずの部屋の片隅に、人間三人が窮屈に身を寄せ合っている様は滑稽に見えたかも知れないが、当事者達はそんな事を気にしてはいられなかった。
「……四年前っつったら、まだウルリッヒ保険が日本に出てきたばっかり。北関東支店も出来たてだったはずだぁよ」
「私はもちろん、土直神さんもまだ派遣登録してない時代ですよね」
「シドーさんが入ったのはつい最近だしな。誰も当時は知らないってか」
「どういう事なんでしょう?」
「清音ちん、この当時の情報を片っ端から出してみてくんない?」
「今まとめます。……『昂光』って、小田桐さんの勤め先……あの板東山の上にある大きな工場ですよね?」
  そうだ、と応えたのは四堂だった。
「日本ではそれほど有名ではないが、海外では非常に評価の高い企業だ。そして、」
  そこで四堂は、言葉を選ぶように一度沈黙した。
「俺が従事していたような仕事では、とても・・・有名だった」
「へ?シドーさんがやってた仕事って言やぁ――」
  そこまで言って、土直神も気まずそうに口をつぐむ。
「『昂光』自体は非常に優秀で誠実、立派な企業と聞いている。だが、その製品が」
「良くない?」
  またも首を横に振る四堂。
「良すぎる、のだ。『昂光』が作っているのは精密測定器。研究所や大学、企業の開発室の依頼を受けて世界最高レベルの装置を作っている。しかしその技術はひとたびテロリストの手に渡れば、容易に核の製造へと転用できる」
「へぇ。核に使えるんすか。――って、かくぅ!?」
  土直神が素っ頓狂な大声を張り上げ、慌てて声のトーンを落とす。
「かくって、核ミサイルとか核爆弾の”かく”?」
「の、製造装置の一部だ」
「……な、なんか急に話がでっかくなってついてけないんだけんども」
  そうでもない、と四堂。
「もともと核兵器の理屈自体はそう難しいものではない。小型のもので爆発さえすればよいレベルのものなら、個人が台所でも作れる程だ。重要なのは材料と、そして理屈通りにモノを作ることの出来る装置。特に高威力のものを作るには、物理学の理屈どおりに反応が起きるよう、精密な球体や楕円状に物質を成形する事が不可欠だ」
  それを実現するのに『昂光』の装置は最適なのだという。
「そ、そんなもん日本のこんな田舎の工場で作って売りまくってていいワケ?」
「日本国内なら大丈夫だ。あの測定器を使用しなければ、携帯電話も液晶テレビも作ることは出来ないからな。だが、海外に輸出される際は非常に強い規制がかかる。政情不安定な国や、外交上問題のある国には輸出できないし、研究用に作成するとしても大幅なスペックダウンが要求される」
  当然、買い手側の身元も何重にもチェックされる。だからこそ、核兵器を持ちたがるものにとっては、『昂光』の精密測定器は、プルトニウムと並んで喉から手が出るほど欲しいものの一つなのである。
「……そーいやおいらがガキの頃、プレステ2が核ミサイルの弾道計算に使えるから輸出禁止だー、なんて話もあったっけかね」
  うなずく四堂。
「ヒロシマに原爆が落ちてから数十年、世界の技術は信じられぬほど急激に進歩を遂げている。携帯電話やカーナビ、車を作ることが出来るだけの技術があれば、核ミサイルを作るなど全く難しい事ではないし、作り方だけならネットで誰でも見ることが出来る。だから今、国際社会は、核の拡散を防ぐために、材料と装置を中心に規制を行っているのだ」
「そ……そーなんすか。まさか国際情勢の勉強をすることになるとは。――ってちょっとシドーさん、そんな工場にウチの社員が派遣されたってぇ事は!?」
「出ましたよ、たぶんこれだと思います」
  清音がディスプレイを指し示す。そこには四年前のウルリッヒの資料から、関連すると思われる情報をピックアップした項目が並んでいた。
「日報には任務の詳細な情報までは書いてありませんでしたが、依頼主は……」
「そこなら知っている。NPO法人で、出資の大本は国連のはずだ」
「さすが詳しいっすね、シドーさん」
  四堂が操作をかわる。任務に使われたとおぼしきいくつかの事務的なドキュメントをネット上から呼び出して、そこにある定款や契約内容を確認した上で、判断を下した。
「ウルリッヒはこの法人と、有事の際に核不拡散のフォローを行う保険契約を交わしている。おそらく四年前に、それが履行されたのだろう」
  淡々と語る四堂。その内容を整理するうちに、土直神の顔から笑いが消えていく。
「……と、いうことは。要約すると?」
  対する四堂の声は、変わらす冷静だった。
「四年前。この元城市で、核兵器の密輸に関するなんらかの事件があった可能性が高い」
  土直神の表情が真剣さを帯びることで、ようやく清音は、これが冗談や茶飲み話ではないという事を実感できた。核兵器を巡る冒険物語など、それこそクラスの男子が読んでいる漫画の話である。
「そ、それで。一体ウチから誰が派遣されたんですか!?」
 
  ”――帰還せず。連絡途絶”
 
  ディスプレイの隅の文字列が、急速に不気味さを帯びてくる。
「日報に本名を書いてあるはずはない。あったとしても二つ名コードだが……ああ」
  急に四堂が珍しい声を出した。それは、驚きの声だった。
「知ってるヤツなんすか?」
  土直神の質問に、四堂は頷いた。
「知っている。だが、直接に会ったことはない」
  日報の一カ所をクリックする。英語で書かれた専門的な契約書の文面の中に、”actor”という場違いな単語が一つ、混じっていた。
「アクター?」
  またも頷く四堂。
「『役者アクター』。一昔前には、業界の中では知らぬ者無きほどの凄腕だった。戦闘能力はないが、あらゆる場所や組織に潜入し、重要な機密をいとも容易く持ち出してのけた」
「……そりゃあまた、ゼロゼロセブンも真っ青な凄腕スパイだぁね」
  清音も土直神も、どちらかと言えば戦闘や追跡、それも屋外が得意なタイプである。屋内や組織への潜入、機密奪取の事となるとどれだけ凄くともあまり実感はわかない。
「どんな能力を持っていたんですか?」
  四堂はそれについて、あくまでも伝説だが、と付け加えた上で述べた。
「一度会った人間には、まったく同じ顔、同じ声、同じ体つきに化けることが出来、完璧に当人のように振る舞うことが出来たらしい。業界には同じような能力者は多々いたが、それらの追随を許さない、超一流の変身能力者だったそうだ」
「……へんしん、」
「のうりょくしゃ!?」
  清音と土直神が、思わず顔を見合わせた。
 
 
 
 

◆◇◆ 15 ◇◆◇

 
 
「それにしてもとんだ食わせ者でしたね、小田桐って野郎は」
  元城駅のそばにある、歓楽街とも言えないほどささやかな飲み屋街。そのさらに裏通りにあるごく小さな酒場『アリョーシャ』を出ると、おれはチーフに言った。アルコールで微妙にハイな声のおれと対照的に、チーフは一向に酔いが回ったとも思えない表情で頷いた。
「人の印象や感想というものは、書類やデータベースで検索してもそう引っかかるものではないしな」
  コートから取り出した手帳に、今までの聞き込みで得た情報を手早く書き込んでいくチーフ。さすがに元刑事らしく、その仕草は実にサマになっていた。
「しかしさすがに、これは飲み過ぎたかな……」
  若干ふわふわする頭に手を当てて、おれは独り言をつぶやく。なるべく飲むよりも飲ませる側にまわっていたが、四時間も飲み屋をハシゴしていれば、何も飲み食いしないというわけにはいかない。思わず出てしまったげっぷを掌で押さえると、腹の中にたまっていたウォッカとビールの炭酸ガスと唐揚げの油の臭いが鼻をさした。
「こういうときに喫煙者は間の取り方が上手くていいですよねぇ」
  普段はどちらかというと訥々としたしゃべり方で、積極的な会話というのは苦手なチーフだったが、テーブルの上にボトルとグラスと灰皿とライターが揃うと、実に自然な寡黙さが演出される。すると、それがまた磁力のように、相手の会話を自然に誘い出すのである。おれがおっちゃんやサラリーマン相手に必死に話の糸口を探っている傍らで、悠々と集まってくる情報をチーフが吸い上げていくサマを見せつけられると、さすがに実力と年季の違いを感じないわけにはいかない。
「ならお前も吸えばいいのに。というか吸え。吸ってくれ。喫煙者同盟だ」
「金と健康の両面から謹んで同盟は辞退させていただきます。まだ酒の方がマシです」
  おれはタバコは吸わないが、酒とはごくまっとうなつきあい方をしている。すなわち、自分の気が向いたときや気の合う友人との集まりのとき、つきあいの浅い奴の内面をもう少し知りたいとき、それなりに飲む程度だ。下戸でも酒豪でもないので、残念ながら面白いエピソードというのはない。
「しかしさんざん連れ回しておいて言うのも何だが。お前もう二十歳になったのか?」
「……ああ!」
「なんだその”ああ”ってのは」
「いやぁ。……自分が未成年だってのを忘れかけてまして」
  そう、まだおれは十代。夢と希望に溢れたセイショウネンなのである。
「飲み屋でジョッキ片手に情報収集をする青少年がいるとは知らなかったな」
  冗談とも本気ともつかない表情で、チーフが呟く。その台詞を聞かなかったことにしつつ手帳を横から覗きこみ、おれは先ほどまでの情報収集の成果を頭の中でまとめ直していた。
 
 
  同じくらい栄えていても、東京都内の街と地方の街では大きな違いがいくつかある。そのひとつとして、酒が飲める場所が限られる、という点が挙げられるだろう。都内なら電車や地下鉄で何駅か移動すれば、銀座の一流の店から隠れた名店、財布に優しいチェーン店までよりどりみどりだし、深夜まで飲んでも終電やタクシーがあるので帰り道には困らない。
  他方、地方の街で飲むとなると、どうしても街の中心部や駅前の飲み屋にならざるをえない。終電の時間は早いし、もちろん車で帰るわけにはいかないので、事前にタクシーを予約しておいたり、旦那や奥さんに迎えに来てもらえる立地でなければならなかったりする。こうした事から、どんな街にも必然的に『地元の人たちがいきつけにする飲み屋』というものが発生することとなる。
  予約を入れたホテルへチェックインした後、チーフとおれは元城市内のその手の店に片っ端から顔を出していたのだった。なお、真凛はホテルに待機させてある。例によって散々ぶーたれたものだが、さすがに「お酒が飲めない子は連れていくわけにはいかないよ」というチーフの説得は聞いたらしい。今は出前で頼んだホテル近くの店屋物をかきこんでいるところだろう。真凛を外したのは我ながら賢明な判断と言わざるを得ない。あやつの酒癖の悪さと来たら極めつけで、以前おれはひどい目にあったことがある。
  地元の人向けの飲み屋と、観光客や商談客用の酒場を見分けるにはちょっとしたコツがいるのだが、かつて現場をかけずりまわった刑事であるチーフにしてみれば「ここだろうなと思う場所に行けば、まずここだろうなという飲み屋がある」らしく、まったく店選びには迷わなかった。若者向けのチェーン店、大きいがひなびた飲み屋、そこはかとなく昭和の香り漂うバー。それぞれに一時間ほど逗留し、『地元の店に迷い込んでしまったビジネスマンと、そこにくっついてきたバイト作業員』を演じる。多少酒をおごったりカラオケを入れてやったりしながら、「ところで今日聞いたんだけどさ。この街にオダギリとかいう人の幽霊が出るんだって?」と話を振ってやると――まあ引っかかる引っかかる、呆れる程の入れ食い豊漁っぷりだった。
 
  この街での小田桐剛史の評判は、それはもうひどいものだった。
 
  昼に工場長から聞いた、別の会社から転職してきたエリート・ビジネスマンという肩書きは、確かに事実だった。だが、仕事についてはともかく、人格についてはまた別の側面がある。この街にやってきた当時から、元城市内での彼の素行の悪さは有名だったようだ。
「確かに仕事は出来たんだろうけどさ。ああはなりたくないって思ったね」
  これは、たまたまチェーン店で捕まえた昂光タカミツの若手社員の弁である。
「部下にも取引先にもゴリ押しの一手でさ。俺の同期なんて自宅の鍵を取り上げられて、契約取れるまで家に帰らせてもらえなかったんだぜ」
  次の店ではこんな話も聞けた。
「ウチの叔父さんの車が駅前であいつの車に追突されてさ。抗議したらものすごい勢いで逆ギレしやがって。出るとこ出たっていいんだって脅されて、いつのまにか叔父さんの方が弁償させられるハメになったんだよ」
  バーにもよく部下を引き連れて飲みに来ていたらしいが、『こんな田舎の店に金を払ってやって居るんだからありがたく思え』と放言し、実際に女の子に絡むは大声で騒ぐは備品を壊すは、いまどき学生サークルでもやらないほど無様な飲みっぷりだったらしい。あまりにしつこく小田桐に絡まれて店を辞めてしまったホステスの子も、一人や二人ではないとのことで、店の子からは、
「こないだの土砂崩れで死んだんでしょ?お客さんの事は悪く言っちゃいけないんだけど、正直いい気味だって思ったわね」
  などと実に率直なコメントを頂いたわけである。
  聞き込みに回ったいずれの店でも「小田桐なんて知らないな」というコメントが無かったあたり、マイナス方向だとしても相当に有名ではあったのだろう。憎まれっ子世にはばかる、という事らしい。とはいえ、先ほど述べたように、営業マンとしての彼が会社の成績を伸ばしていたのは事実である。『敵だろうが味方だろうが、馬力にものを言わせて押して押して押しまくる』体育会系タイプだったと推測するべきだろうか。
  そんな街の嫌われ者の小田桐氏が行方不明になり、街のあちこちで彼の”幽霊”が目撃されている事件は、この街の人々に大小様々な波紋を巻き起こしているようだった。
「小田桐の幽霊?冗談じゃないね。こっちが恨むことは沢山あっても、アイツに恨まれる筋合いなんかあるものか」
  という声もあれば、
「大人しく地獄に堕ちていればいいのに。死んでまで未練がましく迷い出てくるなんぞ、つくづく強突張りだな」
  という意見もある。
「幽霊なんているわけないさ。みんなアイツにビビってたから見間違えたんじゃねぇの?」
  というごくまっとうなコメントも多かったのだが、実際に幽霊と遭遇した身にしてみればこれはあまり参考にならなかった。しかし、
「きっとアイツ、死んだふりしてまた何かロクでもないこと企んでるのかもよ?ああイヤだイヤだ」
  というバーのママさんの話には、一つ無視できない単語が含まれていた。
「”また”何か企んでる、って。前にもなんか企んでたってコトですか?」
  気前よく水割りの追加を頼み――久しぶりのアシスタント業務、経費を気にしないですむ特権を利用しない手はない――いかにも”こういうお店は初めてです”風を装っておれが訪ねると、故人相手ならばもう義理立ての必要もないと思ったのか、ママさんは気前よく話してくれた。
「そう……何年前だったかしらね。アイツが全然お店に来なくなった時期があったのよ。――結局、二ヶ月くらいしたらまた戻ってきたんでウンザリしたんだけど。その時は、私もウチの子達も正直ほっとしたものよ。でも、そうならそうで、どこで飲んでるのかが気になっちゃうのよね。最低の客とはいえ、他の店に取られたならそれはそれで悔しいし、でもまたそこで絡むんじゃその店の子が可哀相だし」
  ママさんの言葉には水商売の複雑なプライドがにじんでいた。
「でね。たまたまお店の外に買い出しに行ったとき、通りでアイツを見つけたのよ」
  余談ながら、この手の飲み屋ではお酒やフルーツの類が足りなくなって、急遽お店の人が裏口から八百屋やコンビニに買いに走る、ということは結構あるんだそうだ。五百円で買ったスナック菓子やあり合わせの果物が、裏口から店のカウンターを通って出撃するときには二千円や三千円になっているのがこの世界なのである。
「普段肩で風切って歩いているようなアイツが、妙にコソコソしてたのよねぇ。で、これは何かあるな、と思って。そしたらアイツら、『アリョーシャ』に入っていったのよ」
「アリョーシャ?それに、アイツ”ら”?」
  我ながら芸のないオウム返しの質問。さすがに不自然かなとも思ったのだが、ママさんは何年か越しの秘め事を打ち明けられることにすっかり心を奪われているようだった。
「その時は、なんか体格のいい外国人が何人か一緒にいたの。で、アリョーシャっていうのは、ちょっと奥の通りにある酒場なんだけど、昔日本人と結婚したロシアの人がマスターをしててちょっと珍しいお酒が飲めるのよ。だから、たぶん一緒にいたのはロシアの人じゃないかしらね。いつもと違ってやたらと挙動不審だったし。あれは相当、後ろ暗いことやってたハズよね」
  そう言われてしまえば、『アリョーシャ』へ向かわないわけにはいかない。幸い、店自体はすぐに見つかった。歓楽街というにはささやかすぎる通りの、店と店の隙間の通路に体をねじ込む。通常の店の従業員用の通用口の隣にある安っぽいスチールの扉を開けて中に入ると、雑居ビルの一室を改装したのだろう、小さな酒場がそこにはあった。恐らくは内装のチープさを照明を暗くすることでごまかしているのか。鈍いライトの光が無骨なカウンターを照らし出しており、その後ろのラックにはウォッカをはじめとして幾つもの酒が無造作に並べてあった。カウンターから出てきたひぐまのような巨漢のマスター、オレグさんに話を聞くと、
「四年前の夏だな」
  と、彼はあっさりと答えてくれた。もちろん、高めのウォッカを一本ボトルキープさせてもらった効果も大きいだろう。
「ずいぶんはっきり覚えてるんですね」
「その一ヶ月後に女房が出て行った」
「……そ、そうですか」
  というようなやり取りはあったものの、マスターは当時のことをよく覚えていた。四年前に来た常連でもない客の事を覚えているのだろうかとも思ったのだが、むしろ今はほとんど常連相手にしか商売をしていないため、一見の客、しかもロシア人というのは相当珍しかったらしい。
「まして、マフィアと来ればな」
「マフィア?……というといわゆる、ロシアンマフィア?」
  マスターは苦々しげに首を縦に振ったものだった。
「ハバロフスクに駐在していたときにあの手の奴らは何度も見たからな。においでわかる」
  照明の下でよく見ると、しかめ面をしているマスターの長年の飲酒で灼けた頬に、うっすらと刀疵が浮かんでいるのが見て取れた。となるとこの御仁も、前職ではテッポーやらドスやらを扱っていたのかも知れない。
「その時の様子に、何か変わったことは無かったかい――ああ、俺もボトルを入れさせてもらおう。ブランデーとウォッカのブレンドスタルカはまだ飲んだことがないんだが、お勧めの飲み方は?」
  根本まで吸い終えたゴールデンバットを灰皿に押しつけ、チーフが問う。
「ストレート以外あるわけなかろうが。――四年前の客の様子なんぞ、さすがに覚えておらんよ」
  と言いつつ、マスターはしばし考え込み……ふと思い出した表情になる。
「ああ。そう言えば、マフィア共は随分と日本人をせっついていたようだったな。『装置』だの『納期』だのなんてロシア語を聞いたのはずいぶんと久しぶりだった」
  へぇ。『装置』に、『納期』ね。隣の席を見やると、チーフの目が、鷹のそれを思わせるほど鋭いものとなっていた。
「ああいう手合いが紛れ込んでくるから、俺達が白眼視される。小樽に流れて漁師の家に婿入りした俺の同期も、ずいぶんと差別を受けているんだ」
  とにかく鬱陶しい連中で、早く帰ってもらいたかったものだ、とマスター。一通り聞けることを聞き出した後、おれ達は勘定を済ませ、「キープしたボトルは他の客に出すなりアンタが飲むなり好きにしてくれ」とお決まりの台詞を投げて出てきたのであった。
 
 
  そして今、おれ達はホテルまでの道すがら、集めた情報についての議論を交わしている。
「たしか、小田桐さんが昂光にやって来たのは、商社マンとして海外に強力なパイプがあることを買われたから、でしたよね?」
  頷くチーフ。午前中に工場長はそう言っていたはずだ。そして小田桐氏は海外に積極的な売り込みをかけ、昂光の業績に大きく貢献することとなる。
「となると、ロシアの顧客と相談をしていた、というのもあり得ない事ではないでしょうし、それで『装置』とやらの『納期』について、もっと早くしろと飲み屋でせっつかれていた、というのは十分考えられることでしょうが……」
  思考の検証のためあえて常識的な道筋をつけてみるが、チーフは首を横に振る。
「そういう交渉ならば、会社でやればいい。わざわざ人目につかない飲み屋を選んでやることはないさ。それにそんな連中を接待するなら、もっと女の子のいる派手な店にでも連れ込んで、懐柔をはかるのが普通だろう」
「ですよねぇ」
  ロシアンマフィア。『装置』。『納期』。その三つの単語は、頭の中でどう組み合わせてみても、あまり気持ちのよい回答にはなりそうになかった。ふと閃くものがあり、おれは午前中に工場長からもらったままの昂光のカタログをバッグから引っ張り出してみる。
「四年前、もしかして昂光に何か大きな動きでも……と。ああやっぱり」
「ビンゴか?」
  チーフとおれの目が一点に釘付けになる。企業のカタログの裏にはたいてい、その会社の略歴のようなものが載っており、昂光についても例外ではなかった。そして、ズバリ今から四年前の年末に、昂光の最新次世代測定器『TKZ280』なる商品が世界に向けて発表されたことが、誇らしげに年表の中に書き込まれていたのだった。
「……えーなになに。『この『TKZ280』は世界中の研究所、機械メーカー様より高い評価を頂いており、現在、測定器における弊社のシェアは国内一位72%、世界で一位45%となっております』……改めてみると、世界で45%ってとんでもない数字ですねえこれは」
  たとえばゲーム機ならA社もB社も両方そろえるという事はあるし、次世代機の性能次第ではあっさり乗り換えられることもしばしばだが、こういった業務用の大きな工業機械は、信頼性の面からも、A社ならA社のものだけを、何世代に渡って使う事が当たり前だ。すなわち昂光は、世界の精密機器メーカーのうち45%というお客をがっちりとつかみ、今後しばらくはその数字が大きく変わることはないという事になる。まず将来は安泰と言っていいだろう。
「昂光が全力を挙げて作り出した次世代機。……年末に公式発表されたとなれば」
  おれは今までの仕事で何回かお邪魔した機械メーカーさんのスケジュールを頭の奥から引っ張り出して逆算してみる。
その年の夏・・・・・頃には、さぞかし企業秘密を巡って色々とあったんじゃないでしょうかね?」
  おれの皮肉っぽい笑みに、チーフは仏頂面で同意する。
「亘理、お前は知っているかもしれんが、この手の製品というのは、非常に強い輸出規制がかかっていて、海外のあまり身元がまっとうでない相手には売ることが出来ないんだ」
  ふむ。おれはかつて手当たり次第に脳裏にぶちこんでおいた法律の条文に検索をかけて、該当するものを引っ張り出してみる。
「えーと、輸出貿易管理令。銃や爆弾、核兵器や毒ガス、細菌兵器などなど、物騒なモノやその材料となり得る品物は、政府の許可を得なければ輸出しちゃいけない、って奴でしたっけ」
「そう。だからこそ、何としても手に入れたいと考えている連中にはさぞかし高く売れるのだろうな」
「たとえばロシアンマフィア、ですか?」
  するとチーフは、肯定とも否定ともつかない表情を浮かべた。
「マフィアやヤクザというのは、経済に寄生する事で栄えるものだ。経済そのものをぶち壊してしまっては、彼らもまた生きてはいけない。核兵器なんぞ手に入れたところで、連中にとってはお荷物にしかならんだろう」
「……となると?」
「実際には転売だろうな。手っ取り早くテロリストなり某国なりに売り飛ばして多額の利益を上げる。マフィアというより武器商人と読んだ方が近いかもな。ロシア系と言えば最近は、新興勢力の『第三の目ザ・サード・アイ』という組織が…………うむ?…………となると、いや、まさか?」
  なにかがひっかかったのか、チーフがいぶかしげな表情を作ったまま虚空を見据える。その素振りはもちろん気になったが、その時おれは自分の仮説の方に気を取られていた。
「例えば、ですけどね」
  前置きして続ける。
「四年前にその、新型の測定器の企業秘密についてなにがしかのトラブルがあってですね。ロシアンマフィアが、小田桐さんを狙っていたとしたらどうでしょう」
  ……実のところ、おれ達が今ここでこうしているのは蛇足にすぎない。先ほどのスポーツクラブでの遭遇で、すでに幽霊騒ぎは解決している・・・・・・・・・・・・・のだ。
「そいつは執念深く小田桐氏から機密を奪う機会を狙っていた。四年越しの機会を手に入れたそいつは、まんまと小田桐氏を事故死に見せかけ、土砂で生き埋めにすることに成功する。でも、機密そのものは手に入れることが出来なかった。そう気づいたそいつは、慌てて小田桐さんの遺体を掘り起こそうとするが、すでに地の底にあってどうしようもなかった……とか」
  チーフが目を細める。本来、おれの意見は仮説と呼べるレベルのものではないが、チーフは黙っておれに先を促してくる。
「そうこうしているうちに、何故か小田桐氏の幽霊が現れるという異常な事態が起こった。当然、そいつは焦ったはずです。自分が殺したはずの相手が生きているかも知れないのだから。そして次に取り得る行動は……」
  チーフがおれの言葉を引き取った。
「確認、だな。自分で実際に埋められた亡骸を暴いてみる。つまり何か――」
  一つ言葉を切ったあと、おれの考えを正確に形にした。
 
「お前は、今日遭遇した奴らの中に、小田桐氏を殺害した犯人が紛れ込んでいると思っているのか?」
 
「ええ。そしてそいつは、回収し損なった企業秘密を手に入れようとしている」
  これではさすがに仮説というより、妄想と取られてもしかたがない。だが、この推測であれば、の話と辻褄は合うことになる。チーフはそんなおれを見つめることしばし。やがておれの肩に手を置いて言った。
「……やってみるか?」
  その言葉の意味を、たぶんおれは正確に理解できたと思う。チーフは多分わかっているのだろう。わかっていながら、おれの好きなようにやってみろと言ってくれているのだ。
「スンマセン。ありがとうございます、チーフ」
  素直に感謝の言葉を述べる。もしおれがチーフの立場だとして、果たして自分のアシスタントに同じ事が言えるだろうか。ここらへん、まだまだおれは青二才だなぁ、と自覚させられざるを得ない。だが、これでおれの腹は据わり、方針も決まった。
「明日の朝、もう一度板東山に向かいましょう」
 
  歩き続けるおれ達の視線の先に、ようやく小さなビジネスホテルの看板が見えてきた。本当ならもう一、二時間は早く戻ってくる予定だったのだが。店屋物を食べ終えた真凛が不機嫌な顔をしてロビーに居座っている光景が容易に想像できて、おれは顔をしかめた。
「とりあえず、今日はシャワー浴びてゆっくり眠るとしましょうか」
  アルコールに少し霞んだ頭を振り、大あくびをして肺に酸素を取り込む。振り返ってみれば、今日は朝から早起き、車での長距離移動、山歩きから川流れに飲み歩きとずいぶん多忙な一日だった気がする。おれの予想が正しければ、明日もおそらくハードスケジュールになるだろう。
 
  どういう形になるにせよ、そこで今回の幽霊騒ぎについては幕が下りるはずだった。
 
 
 
 

◆◇◆ 16 ◇◆◇

 
 
  ものを作る人間と、それを盗み出して自分のものだと言い張る人間がいる。
 
  どちらの人間ももっともらしいことを延べ、素人目には容易に区別がつかない。
  それでは、どちらが本物の『作者』なのか。確かめるすべはあるのか?
 
  ――ある。
 
  古来あらゆる文献に載っているように、それはとても簡単だ。
 
  新しく、別のものを作らせればよい。
 
  偽物には、決して新しいものを作り出すことは出来ない。
 
  笑えもしない話だ。
 
  どれほどに精緻に模写コピーをしても。
  どれほどに精緻に擬態エミュレートをしてのけても。
 
  それは今という一瞬だけのこと。
  その人間が次に生み出す”新しいもの”を、真似る事だけは出来ない。
 
  生み出される新しいもの、とは別に作品には限らない。
  仕事であり、恋愛であり、人生そのものであるとも言えよう。
 
 
  そしてここに、一人の滑稽な道化ピエロがいる。
 
  他人の作品を盗む事に長けた者。
  誰のどんな作品を見ても、即座にそれを模倣してのけることが出来る。
  人はその技術のあまりの見事さに心を奪われ、人はその道化を職人と称えた。
  その道化も、一時は己の才に酔い浮かれたこともあった。
 
  そしてある時、道化は愚かな課題を見いだす。
 
  新しいものをつくれ、と。
 
  完璧な擬態エミュレートが出来るのならば。
  失われた原本オリジナルが”作れたはず”のものを。
  お前は苦もなく作ることが出来るだろう?
 
  最初は、当然だと思った。
  事実その道化は、完璧なまでの贋作を提供し続け。
  誰もがそれを原本オリジナルだと信じて疑わなかった。
 
  だが。
  月日が巡り。
  やがて道化は道をたがえた。
  それは些細な一歩。だがそれは何よりも致命的なもの。
  原本オリジナルよりも己を採った罪。
 
  わずかでもひずみが存在すれば、それはもう原本オリジナルではない。
 
  そして原本オリジナルは失われて久しく。
  道化はもう、”正しい答え”を確かめ修正することは永久にかなわない。
 
  失敗した試練から降りることももう出来ず。
  月日が巡るほど、道化は己の技に自信を持てなくなっていた。
 
  100%を目指した男。
  99.99%に近づくことが出来たが故に。
  101%の領域に踏み込んだとき。
  道化の傲慢な挑戦は、これ以上もないほどの重い罰を以て報われた。
 
 
 
 
 
 
  十月の早朝は昨日にも増して肌寒い。
  とくに板東川沿いから河原を遡って板東山中へと続くルートは、触れれば手が切れそうな冷水に大気の温もりが奪われて流され、凍えるような風が吹き抜けていた。
  昨夜の酒もまだ抜けない早朝に起き出したおれ達は、再び板東山へと向かった。今回は昨日の県道から直接坂道を滑り落ちるルートを避け、時間をかけて河原を登っていくルートを選んだのであった。昨日の戦闘からすでに半日以上経ってはいるが、板東川には未だ土石流の影響があるらしく、水はやや茶色に濁っている。
「ううぅぅ。寒い……。こんな事ならダウンと手袋も持ってくるべきだったぜ」
  ぼやくおれが今着ているのは、昨日と同じジャケットである。坂でズタボロに裂け、河で泥まみれになったそれを昨日コインランドリーで無理矢理洗った結果、お気に入りのジャケットは大層無惨な様子へと成り果てていた。なんだか喉も痛い。昨日川に落ちたし結構無理もしたので、もしかしたら風邪を引いたのかも知れない。
「そんな背中丸めてると余計に寒いよ!ほら、もっと手足を動かす!」
  ……朝からテンションが高い奴を見ると無性に腹が立つのはおれだけだろうか。
「お前、風邪ひいたことないだろ」
「うん。ないよ」
  そうだろうさ。
  わかりきったことを今さらながらに確認しつつ、さらに歩を進めていく。やがて周囲の木々が開け、多少なりとも見覚えのある場所に出た。
「陽司、ここって昨日の……」
「ああ。どっかの誰かさんが水洗式よろしく流された時の場所だよ」
「うぐ。って、アンタも一緒だったじゃない」
「そうだったか?」
  大量の土砂が板東川に流れ込んだ影響で周囲の地形はだいぶ変化していたが、確かにここは昨日おれ達が『清めの渦メイルシュトローム』土直神靖彦と遭遇した場所である。あのトラップは強力な分、即興で仕掛けられる代物ではないはずだ。おれ達と遭遇する前、奴らがここに色々と仕掛けを施していたということは……。
「とりあえず、ここまで来ればいいんじゃないですか?」
  おれの言葉にチーフは頷いて立ち止まる。そしてコートのポケットから取り出したのは、工場長から受け取っていた、小田桐氏愛用の万年筆だった。
「それではここで!元警視庁ヒミツ捜査官、須江貞氏による心霊捜査です!」
  おれはTVのよくある番組の司会の真似をして場を盛り上げてみたが、当の本人は一向に感銘を受けた様子がなかった。
「俺の術はそう便利なものじゃないぞ。よっぽど強い”縁”のある品物がないと、そもそも発動も出来んのだし」
「その代わり、”縁”のある品物さえあれば外部の雑音ノイズに影響されないじゃないですか」
  まあな、と言いつつ次に取りだしたのは、術の基点となる魔方陣を刻んだ銀のプレートと、同じく銀色に輝く一巻きの糸だった。銀の糸の上端を指に巻き付け、下端で器用に万年筆をくくる。そして銀のプレートを地面におき、手帳から破り取った白紙のページをその上に載せる。その少し上に掌をかかげると、ちょうど掌から糸でつり下がったペン先が紙に触れるか触れないかのところで停止する形になった。
  チーフが静かに目を閉じ、低く静かな声で呪文を唱える。

「――『盤石たる東司の皇。埋み朽つ色の即、逝きて還る縁の横糸を我が標と為せETHANIM-T-H-A-N-I-M』」

 詠唱が終わると同時に、プレートと、そして銀の糸が淡い輝きを帯びた。やがてかすかに、糸に垂らされた万年筆が振り子のように揺れ始めた。チーフがまったく掌を動かしていないのに、振り子のごとき揺れは次第に大きく、かつ不規則にぶれだした。そしてチーフがこころもち掌を下ろすと、揺れるペン先が紙に触れ、不規則な線を刻みつけてゆく。
  いや、不規則ではなかった。刻みつけられていく無秩序とも思える線の羅列は、だがやがて集まり重なり交わり、いくつかの意味ある象形へと姿を変じてゆく。五分ばかり時間が経過した後、チーフは目を開き掌を閉じた。すると、今までの激しい揺れが嘘のように、万年筆は元通りまっすぐに垂れたままとなった。
  プレートの上に置かれた紙を拾い上げるチーフ。そこにはたどたどしい、だがはっきりとした金釘文字で、
『 → 130m UNDER RED ROCK』
  と、記されていた。
  長年愛用したモノ、長年共に過ごしたヒトの間に繋がった、あるいは繋がるべく定められていた『縁』をたぐり、失われたものを見つけ出す失せ物探しの魔術。もともとこういった即物的でささやかな願いは、魔術のもっとも得意とする分野である。どうにも戦闘能力に偏った連中が多いウチのメンバーが、まがりなりにも調査や交渉の仕事も引き受けることが出来るのは、ひとえにチーフのバランスの取れたこの能力によるところが大きい。
「北東の方向百三十メートル、赤い岩の下。そこに、この万年筆の持ち主が眠っているってことですね」
  紙に描かれた矢印の位置をずらさないように注意しながら持ち上げ、指し示しながら目測で距離をはかる。ここからではうずたかく積み上げられた瓦礫と倒木、そして雑木林に遮られているため、獣道の向こう側から回り込むしかないようだった。目標ポイントを記憶し、頭の中の地図に見えないピンを刺す。
「それじゃあ向かうとしようか」
  手早く魔術の小道具を仕舞い込むと、森の奥へと歩を進めるチーフ。その後におれ達が続こうとした時。
「陽司、河原の雑木林の奥に気配がある!」
  真凛が小声で鋭い警告を発した。ああ。おいでなすったか。心身を戦闘態勢に整えていく真凛を軽く手を挙げて制し、おれはむしろのんびりとした声音で、雑木林の向こうに呼びかけた。
「おうい。そこにいるのはウルリッヒ保険の連中だろ。出てこいよ」
  しばしの沈黙ののち。
「……あっちゃあ。やっぱばれてた?」
  特に悪びれた様子もなく雑木林の向こうから姿を表したのは、昨日の連中。
  妙なファッションの兄ちゃん、巫女さん。そしてシドウ・クロードとあともう一人、微妙に冴えないスーツ姿の男の四人だった。
 
 
 
 
「ちょっと土直神さん!思いっきりバレてるじゃないですか尾けてたの!」
「ウン。まぁしょうがないでしょ。おいらとシドウさんだけならともかく、こっちには清音ちんや徳田さんまでいるわけだし」
  今日は最初から巫女服で、組立済みの弓を背負った清音の抗議に、こちらは昨日同様ラフな格好に携帯ゲーム機をぶら下げた土直神が応じる。その背後には背広姿の二人、一切の表情を遮断し沈黙を保ったままの四堂と、やっとのことで後についてきた徳田の姿があった。
「さりげなく責任回避してますけど。ゲーム機の音楽鳴らしっばなしでバレないと考える方が甘いんじゃないですか?」
  確かに土直神の携帯ゲーム機からは、この山中に相応しくない電子音が漏れていた。
「ありゃこいつは失礼。まあとにかく、見つかっちゃったものはしょうがないさね」
  憤る清音とは正反対に、一向に危機感のない土直神だった。
「だから私は最初から反対だったんです!あちらの術法の力に頼るなんて」
  今朝早くに宿泊した旅館を出発した清音達は、板東山の入り口付近で一度車を停め、フレイムアップのメンバーがやってくるのを待ち伏せし、そこから尾行していたのだった。昨夜土直神が言っていた、『小田桐の遺体を見つけるための方法』とは何のことはない、フレイムアップのチームに遺体の場所を探させてその後を尾けるというものだった。
「それくらいならいっそ、もう一度私にやらせてもらえれば……!」
  清音としても土直神の作戦の有効性は理解している。確かに手としてはアリだろう。だが昨日自分の術で遺体の場所を見つけることが出来なかった清音にとっては、これは屈辱以外の何ものでもない。
「まあそう言わんでよ清音ちん。昨日の旅館でもそうだったけどサ。こういうのは無線と有線の違いだから」
  広域での捜索が可能な反面、環境の影響を受けやすい清音の術と、範囲が特定され、手がかりとなるアイテムが必要とされるかわりに環境の影響を受けない相手の術。どちらが優れた術というわけではなく、使い方と状況次第と言うことだ。
「あのう……お二人とも、あちらの方々がお待ちのようですが……」
  控えめな徳田の声に土直神が慌てて前を向くと、挑戦的な視線をこちらに向けている青年と目があった。傍らに控える少女もすでに臨戦態勢となっている。奥のコートの男はまだ自分が出る幕ではないと思っているのか、こちらに背を向けたままだ。
「昨日は世話になったな、『清めの渦メイルシュトローム』、『風の巫女』、『粛清者パニッシャー』。ここら辺じゃあんたらは結構有名らしい。少し調べればウルリッヒ保険所属だって事もすぐにわかったぜ」
  口調だけは軽薄に青年が言う。三人の中で今ひとつ異能力が判然としないひとり……たしか亘理陽司、とか言ったか。
「それはお互い様。おいら達も兄サン達らの事はすぐ調べがついたよ。だからそこの聖者様の奇跡を当て込んでここまで尾けてきたんだし」
  こちらも口調だけはのんびりと土直神が返す。表情筋だけ笑顔のまま、油断なく視線を交える両者。三秒ほどの沈黙の後、口を開いたのは土直神だった。
「なあ兄サン、協力しないかい?」
「土直神さん!?」
「協力!?」
  清音と、あちらの女子高生、『殺捉者』が同時に眉をひそめる。
「兄サン達はどう思っているかは知らないけどサ。元々昨日の戦闘は、偶然お互いのメンバーに因縁があったから発生したもんだし。純粋にこの任務に限れば、おいら達が戦わなきゃいけない理由は、多分ないよ」
  語りながらさりげなく視線を横に向ける。隣の大男、四堂蔵人は亘理陽司を鷹のように鋭く睨みつけたまま。だが必死に自制しているのだろう、それ以上の行動を起こすつもりはないようだった。
「兄サン達が何のために東京からこの山奥まで来たかってのは知らないよ。でも多分、『幽霊騒ぎの正体を確かめにきた』とかってところじゃないの?そんなら、平和的に協力すれば、すぐにお互いの案件は解決するって話サ」
  亘理はその提案を聞くと、皮肉っぽい笑みを閃かせた。
「はっ!協力したいっつっても、遺体の埋まっている場所はもう判明したんだ。今さらあんた等に手助けなんぞ乞わなきゃいけない義理はないだろ?」
  その言葉を聞いて、むしろ土直神は安堵した。この青年は土直神の提案を否定しているわけではない。どうせなら恩を売って優位に立とうとしているだけだ。そうであれば後は交渉の世界である。
「へえ。じゃあ兄サン達は、地中深く埋まった遺体を手作業で掘り返すつもりなのかい?」
  手に持ったタッチペンを振ってみせる土直神。
「オイラの力なら、五分とかからず掘り出すことが出来る。そう悪くない話だと思うんだけどサ。――そうだろ、シドーさん?」
  水を向けられても、四堂は無言のままだった。己の激情と理性がせめぎ合っているのか。その眼は閉じられ、硬く握られた拳が細かく震える。だが、
「……そうだな」
  眼を開いた時には、すでに己の中で一つの決着をつけていた。
「今は任務が優先だ」
  絞り出された声は、鋼の塊をこじ開けたかのようだった。
「だってサ。ってのがこっちの提案なんだけど。そっちはどうするよ?」
「陽司……どうするの?」
  『殺捉者』が亘理陽司を見上げる。その亘理はと言えば、土直神達四人をなにやら意味ありげにじっと観察していた。そして四堂を一度だけ視線で薙いで、ひとつ息をつき――
「はぁ?冗談じゃねぇな。こちとらそいつに殺されそうになった恨みがあるんだよ」
  どぎつい嘲笑を浮かべて、そう言い放った。
「亘理、貴様――」
「おっと、お前にどうこう言われたかないぜシドウ。こりゃあ元々お前の方から売ってきた喧嘩だからな」
  四堂を睨み付けつつ、己の首筋を撫でる。
「ヒトを殺しかけておいてハイやっぱり無かったことにしましょう、なんて話が通用するわけ無いだろ。まずはテメェにきっちり落とし前をつけなきゃ帰れない。シドウ・クロード。二度と再生できないようバラバラに刻んでこの山奥に埋めてやるよ」
  相手の怒気を含んだ挑発。それに応じる土直神は、むしろ興醒めといった態だった。
「……兄サンはもっと頭の良さそうな人だと思ってたんだけどなー。残念だよ」
  土直神がタッチペンを掲げる。
「交渉決裂、ってことだぁね」
  すでに清音も弓を構え、矢筒に手を伸ばしている。そして、
「せっかく自制してくれたんだけどシドーさん、好きにやっていいって話らしいや。こうなりゃ例のブツも使っていいんじゃないの?」
  無言で頷くと、四堂は己の背中に腕を回し、シャツと背広の間に背負っていた一つの得物をシースから抜き放つ。それは刃物。だが、厳密に言えば”剣”ではなかった。
  オンタリオ社製、米軍公式採用の山刀マシェット
  分類上は”藪を切り払うために制作されたナイフ”ではある。だが六十センチに及ぶ黒焼き入り炭素鋼の刀身が放つ禍々しさは、もはや直刀と呼ぶ方がよほどに相応しい。そしてこの『ナイフ』のもう一つ恐ろしい所は、分類上はあくまでも『道具』であるがゆえ、日本国内でも比較的入手が容易であるという事だった。専用の得物を持たず、あくまで武器の現地調達を旨とする『粛清者』が、戦力の補強を期して、昨日ショッピングモールに入っていたキャンパー向けのショップで買い求めていたのがこの『道具』だった。だが殺気を総身に漲らせる四堂に握られたその姿は、もはや『凶器』以外のなにものでもない。もうこの男を制止する理由は何もない。その視線の先には、先ほどから挑発の薄ら笑いを浮かべている青年。
「土直神さん、徳田さん。ここは私達が食い止めますので、二人は先に遺体のある場所へ向かってください」
「いいの?清音ちん」
「ええ。あくまで一般人の徳田さんと、事前準備が必要な土直神さんの能力はここでは発揮できませんし」
  土直神は苦笑いをせざるを得ない。
「はっきり言うなあ。流石に女の子に正面切って役立たずって言われるとへこむさね」
「すみません。ここに居てもらって下手に巻き込むくらいなら、先に向こうで準備しててもらった方が助かりますし、それに――」
「それに?」
  清音が例の清楚で物騒な笑みを浮かべる。
「私たちがあの三人程度に遅れを取ると思いますか?」
「……了解。じゃあ任せたよ、清音ちんに四堂さん」
  頷く二人。しびれを切らしたように向こうからかかる声。
「能書きはもういいのか?それじゃあさっさと……」
「能書きを垂れているのは貴様だろう」
  四堂が青年の長広舌を断ち切る。
「……ああそうだな。それじゃあ始めるとしようか!」
  青年の言葉が臨界寸前の空気を発火させる。四堂が地を蹴り、『殺捉者』がそれに応じる。土直神と徳田は遺体のある方角へと向けて走り出し、清音が矢を取り出しつがえ、青年とコートの男が後方で詠唱に入る。半日前の戦闘が同じ場所で、だがより一層苛烈な戦意を以て再開されようとしていた。
 

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