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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第6話 『北関東グレイヴディガー』


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◆◇◆ 17 ◇◆◇

 
 
 
 
「――『手弱女が髪の如く縺れる束縛の銀よMARAK-A-R-A-K』」
 
  山刀マシェットを構え圧倒的なプレッシャーを伴って突進してくるシドウ。それにまず反応したのは、先ほどから黙して後方でおれに交渉を任せてくれていたチーフだった。プレートを掲げた詠唱に合わせて、ペンを操るのに使っていた銀の糸が水に溶けた塩のようにほどけ、目映く輝く蜘蛛の糸と化してシドウを捕らえようと迫る。そして真凛は迎撃の態勢。チーフが移動を封じて真凛が仕留める、即席のコンビネーションだった。
「私たちに二度も同じ手が――」
  そこに割って入る涼やかな声は、あちらの後方に控えていた『風の巫女』のものだった。前回の戦いで見せた疾風の魔弾は、凄まじい威力を誇る反面、長時間の精神集中が必要のようだ。すなわち、おれからしてみれば非常に妨害しやすい格好のカモ。そう思ってカウンターに備えていたのだが。
「通じるとは思わないでください!」
  無造作とも思えるほど素早く弦を引き、矢を放つ。詠唱もないので当然、あの凶悪な疾風の魔弾ではない。狙いも甘く、ただおれ達の方角に向けて放っただけ。ただの牽制攻撃か。ならば取るに足りない――おれはそう判断を下しかけ。
 
  そこでようやく気がついた。板東山の大気を震わせ、高らかに響き渡る笛の音を。
 
「そうか、『蟇目ひきめ』があったか!」
  日本の矢には、穴を開けた金具を先端に取り付けて射る事で、風を吸い込みあたかも笛のように音を鳴り響かせる類のものがある。これを蟇目と言い、神社ではしばしばこの矢を放つ儀式が執り行われる。清めの音を以て邪を打ち払う魔障退散の一撃……すなわちそれは戦場において、いびつな理によって生み出された怪異を退ける呪術破りスペルブレイクと化す。
「今です!四堂さん!!」
  チーフが展開した魔術の銀糸が、響き渡った大気の震えにまるで打ちのめされるかのように青白い火花を発し、千切れて消える。最初から支援を予期していたのか、四堂は一切動じる事無く当初の予定通り突進。立ちふさがった真凛に向けて巨大なナイフを振り下ろす――いや、そんな雑な動作ではなかった。それは何万回と繰り返され磨き上げられた武道の動き。小太刀の撃ち込みと呼ぶべきものだった。肩に食い込み、鎖骨を無惨に打ち割り腹まで斬り下げる斬撃が真凛を捕らえた、かに思われた。わずかでも反応が遅れれば本当にそうなっていただろう。だがしかし、必殺の一撃は、甲高い金属音と共に受け止められていた。
「……そっちばっかり武器を持ってると思わないでよね!」
  真凛の両手に握られ山刀を十文字に食い止めているのは一本の棒。その正体は、おれが昨日斜面を滑り降りるときに使用した縄梯子、『ハン荷バル君』である。この羽美さんご自慢のチタン製の小道具は、ワンアクションでヌンチャクや三節根にも……そして、刃を受け止める木刀もどきにも変形するのだった。
「ふっ!」
  不意に力を抜き、受け止めていた木刀の角度をゆるめる。食い込んでいたシドウの山刀が耳障りな音と火花を立てて下方に流された時にはすでに、真凛の強靱な手首が翻り、苛烈な面への撃ち込みに化けていた。これまた必殺の軌道。だがそこに、下方に流されて崩れたはずのシドウの山刀が魔法のように肩口から出現し、真凛の撃ち込みに合わせてきた。「受け止めて」、「流す」のではない。一挙動で「受け流す」、精妙な受太刀の捌き。
「……上手い……ッ!」
  真凛の驚嘆。言葉と動きのどちらが先だっただろうか。透明なガラス球の表面を滑るように弾かれた己の一撃。その隙間に入り込むように、またも魔法じみた挙動で今度は下段から跳ね上がるシドウの小太刀。首筋を狙ったその横薙ぎの一撃に、振り下ろしてしまった木刀での受けは間に合わない。
  刹那の思考、そして決断。大道芸じみた挙動でとっさに上体を海老のように反らせ、暴風の一撃にかろうじて空を切らせた。額のすぐ側を刃先がかすめ、浮き上がった前髪が数本中空で両断される。そのまま体重を後方に預け、鮮やかにとんぼを切って着地する真凛。距離を取って仕切り直し。対するシドウ、すでに山刀を片手正眼に戻し、微動だにせず。
  昨日から数えればすでに何度目の対峙か。こちらは木刀もどきを八相に構えた真凛が、ややあって感嘆の声を漏らす。
「”彼ノ勢ヲ制シ我ガ勢ト為ス之太極乃構エ”……小刀で大刀を制する受けの術理、だったっけ?口で言う人は沢山いたけど、まさか実戦で使える人がいるなんて」
  柔術、回復能力、そして剣の心得。これ程己とかみ合い、かつ底の知れない相手にはまず出会えるものではない。戦闘者としての真凛の貪欲な本能が悦びに震え、新しいおもちゃ箱を与えられた子供のようにその瞳が輝く。鉄塊じみたシドウの硬い気配が、ふと緩んだ。
「……それはこちらの台詞だ。七瀬が組討以外を使えるなど聞いていないぞ」
  シドウの言葉。真凛が苦笑する。
「専門じゃないんだけどね。剣を防ぐには剣を知らないといけないから一応練習はするんだ」
「その力量を一応で済ませるか」
  わずかに唇をゆがめたシドウの口調に、おれは我が耳を疑った。まさか、アイツが。
「”苦笑”しやがった……」
  我知らず漏れたおれの呟きは、誰の耳にも入ることがなかった。そこでふと、シドウの眼がまともに真凛を捉えた。
「奴とチームを組んでいるそうだな」
  おれは、今更ながらに気づいた。今の今までこの男は、真凛を徹底して『亘理陽司を殺す目的の障害物』としか見なしていなかった……いや、敢えて見なそうとしていなかった、ということに。
「……そう、だけど?」
  真凛の表情が厳しさを増す。シドウの目的はおれの殺害。その事実を真凛は忘れたわけではない。シドウの気配は再び鉄塊じみたそれに戻っていた。
「ならば問う。その男は、貴様がその背に庇う価値がある者か」
  ――殺戮の記憶。そういえばあれは己の罪だったのだろうか。それとも生まれる前から引き継いだ自身の原罪だっただろうか。
「アンタが昔アイツと何があったかは知らないけど」
  己の罪は己でぬぐう。それは人として在るべきカタチであり、なればこそ、己の為すべき何かを他者に見せる必要などあるはずもなく、他者の安易な踏み込みなど絶対に許すべきではない。
「ボクはボクが知ってる今までのコイツを信じるよ」
  そう誓ったからこそ、今この場所まで辿り着いたというのに、今さら。
「――ならば」
  シドウが片手正眼の構えに左手を添え、ずい、と歩を進める。八方に張り巡らされた剣気、いかなる太刀筋も受け払い斬り返すその所存。
「貴様の信ずるところにかけて、俺を止めてみせろ」
「……わかった」
  対する真凛は八相から大上段に。腰を据え手首を外に向けた姿勢、小癪な護りそのものを撃ち割り捨てるその覚悟。
伊勢冨田いせのとだ流小太刀術、四堂蔵人」
「七瀬式殺捉術、七瀬真凛」
  両者の得物が描き出す制圧圏が球状を描く。互いの死を招くはずのそれが、まるで吸い込まれるように次第にその距離を詰めなお交錯し。互いをその圏内に捉えたその刹那、必殺の太刀筋が深々と交錯した。
 
 
 
「それにしてもなー。フレイムアップの連中はもうちょっと頭が良いと思ってたんだけどなー」
  ぼやきを口にしながら、苛烈な戦闘を背にして遺体のあるはずの場所へと向かうのは土直神と徳田だった。
「と、土直神さん、置いていかないでください……!」
  森の中、瓦礫と流木で抉られた即席の獣道では全速力で走ると言うわけにもいかず、まして素人同然の徳田もついてきているとなればそうそう無理は出来ない。直線距離で百三十メートルとは言っても、実際にはその倍近い距離を駆け足程度のペースで移動して、ようやく目指す場所に到着したのだった。こちらからふり返ると、ほんの百三十メートルしか離れていないはずの、四堂や清音達の戦闘の様子はまったく窺い知ることは出来ない。
「百三十メートル先の赤い岩。……ま、これだろうね」
  堆積した土砂と石の中に、一回り大きな岩が埋もれていた。不吉さを感じさせる暗い赤色の、重苦しい花崗岩のカタマリ。自然石のはずなのに妙に四角いその岩は、まるで森の奥地に作られた何者かの墓を思わせる。――いや、現地に来てみて確実にわかった。間違いない。これは確かに墓標なのだ。
  この巨大岩のために小田桐氏の遺体が見つからなかったと言うことは。
「……つまりあれか。土砂崩れの時に崖から吹っ飛んで落ちてきたこの岩に……」
「は、はやく退かしましょう、土直神さん」
  わかってますって、と徳田に応じると、早速タッチペンを取り出し、岩の周囲の土砂をマークし始めた。
「地盤が緩いとはいえずいぶん深く埋まってるねぇ。いったいどんだけの衝撃だったのやら。はいはい、か、ご、め、か、ご、めっと」
  岩そのものをどかすことはできないので、地脈のツボを打ち、岩の周囲の土砂を押し流す術を織り上げていく。
「もし、お、小田桐さんがその下にいるならその……潰れて……」
「いついつ、えーっと、こっちか、でやる、っと。……そもそも下にいるのは本当に小田桐さんなんですかね?」
「え?」
  手際よく術を組み上げながら、いつしか土直神の意識は昨夜見つけた情報を思い返していた。四年前行方不明になったというエージェント『役者アクター』。その任務の内容は相当シビアなものだった。当時、昂光タカミツ社が開発していた次世代三次元測定器『TKZ280』。転用すれば核開発を飛躍的に容易にするであろうその装置を、政情不安な某国に密輸しようとする動きがある、という情報がさる筋からその筋へとリークされたのだった。これを受けて国連と、その息のかかった日本国内のNPO法人ががなんのかんのと動いた結果、そのNPOと専属契約を結んでいたウルリッヒ保険が隠密で調査に当たることになる。そしてそのために派遣されたのが当時のウルリッヒのエース……誰にでも化けることの出来る最強の潜入捜査官、『役者』だった。
「徳田さんには悪いと思ったんすけど、昨夜遅くのことなんで、許可取らずにウルリッヒのデータベースを漁らせてもらったんですよ」
  ウルリッヒの共用サーバーを漁ってみたら、四年前に『役者』が送ったと思われる、中間報告書とその下書きが残っていた。『役者』は、その変身能力を遺憾なく発揮し昂光に潜入、かなり事件の核心に迫っていたようだった。
「……でね。その密輸の犯人が誰かと言いますと」
「ま、まさか」
  土砂に無造作にペンを突き立て、板東川がある方向に向けて矢印を刻むその様は、校庭で遊ぶ小学生と大差はなかった。
「そう。営業担当の小田桐剛史部長。そもそも海外への売り込みの責任者だった人だから、いわば最有力容疑者、一番の信頼を裏切ってたって事になるんスね」
  そして四年前。小田桐はすでに『買い手』と『商談』を済ませていたらしい。
「買い手……テロリスト、とかですか?」
「んー、もう少しタチが悪いッスかね。徳田さんもこの業界長いから、もしかしたら『第三の眼ザ・サードアイ』って聞いたことないスか?」
「き、聞いたことはあります。たしか、新興の武器商人グループとか……」
「そ。ロシアンマフィアを母体とする武器商人で、カネになるなら地雷でも毒ガスでも売りまくるって連中なんだって。最近は子飼いの異能力者やら払い下げのサイボーグもかなり抱え込んでいるらしくって、ずいぶんブイブイ言わせてるらしいっすよ」
  矢印をいくつも描くと、今度は散らばっている石に一つずつ触れていく。
「そんな奴らに核開発の技術を……」
「たいした売国奴って感じっすよねえ。おいらぁ愛国心とか恥ずかしくてとても口に出せないけど、さすがにカネのためにヨソに核を売り飛ばす気にはなれないや」
  『役者』はすでに状況証拠を固めていた。そして決定的な証拠――『買い手』と『商談』を済ませた小田桐が実際に現物を持ち出す『取引』の瞬間を狙っていたのだという。
「……でもそれが、データベースに残っていた最後の報告書でした。恐らくその取引の現場を押さえようとして何かがあって……」
 
  ”――帰還せず。連絡途絶”
 
  一流のエージェントは姿を消した。
「……連絡が取れなくなったんすけど、潜入捜査だからウルリッヒの方から連絡を取るわけにはいかなかったらしい。そうこうするうちにTKZ280は無事に正式発売され、某国に輸出されたという情報もとくには無く」
  今度は矢印の交わる箇所をざくざくとペンでつつきほじくり返す。見ている分には本当に子供の砂遊びと代わらない。
「密輸疑惑はいつの間にか風化してしまった……ということですね?」
「そ。犯人と目されていた小田桐さんも、その後特に不審な挙動も見せることなく現在まで会社勤めを続けてる。いなくなったのは『役者』ただ一人ってワケです」
  そしてその四年後。今度はその小田桐さんが行方不明になり、あちこちで幽霊騒ぎが起き。土直神達はこうして、その墓を暴こうとしている。
「偶然にしちゃあ、出来すぎてる、っすよねぇ」
  そもそもは土砂崩れに関わる遺体を捜索する任務のはずだった。ウルリッヒ社員の徳田が気づかなかったのも無理はないだろう。だがひとたび関連性に気づけば、これほど怪しいものはない。
「そこで問題になってくるのが、清音ちんの心証ってワケで」
  直観を重視する巫女が、『あの霊は小田桐氏とは思えない』と言った。もちろん的外れの可能性も十分あるし、警察の捜査と矛盾するようなら笑い飛ばしたってかまわない。
「だけど、もし『ここに埋まってるホトケさんの霊が、小田桐さんでない』と仮定してみたら。それは何を意味するんだろう?」
 
  じゃあ、小田桐さん以外にこの辺りで『いなくなった人』はいるのか。
  一人、いることはいる。だが、当然時間が合わない。彼がいなくなったのは四年も前だ。
 
「で、昨夜布団の中で珍しく健全に悶々としてたワケなんスけど。ちょっと考え方を変えてみたら意外と簡単にパズルがはまったんです。うしろのしょーめん……」
  中腰のまま、岩をぐるりとタッチペンの線で囲む。
 
  四年前にいなくなったのが『役者・・ではなく別の人・・・・・・・だったなら。
  先日の土砂崩れで小田桐さん以外の人がここに埋まる・・・・・・・・・・・・・・・・事が可能となる。 
 
「だから、この任務を完結させようと思ったら、小田桐さんの遺体を確認するんじゃなく……だ・あ・れっと!!」
  最後に、岩そのものをタッチペンで軽く触れると。
「まずはこの四年間、小田桐氏として昂光で働き、群馬に良き家庭を持っていた夫であり父だった人は、いったい誰だったのか・・・・・・・・・・を確認しなきゃならないってワケ」
  土砂がまるで水と化したかのように流れ去った。岩がどれほど深く埋まっていようが、埋まっている土砂そのものがなくなってしまえば、それを退かすことは容易い。
  そしてバランスを失った岩はごろりと転げ落ち。
 
  隠されていたものが、ようやく昇り始めた陽の下に曝け出された。
 
 
 
 

◆◇◆ 18 ◇◆◇

 
 
「うっわ、危ねぇ!マジで撃ってきてるし」
  火を噴くような熾烈な剣戟を数十合に渡って繰り広げている真凛とシドウの背後で、おれはといえば『風の巫女』が放つ矢から、土砂を跳ね上げながら逃げ回るのが精一杯という有様だった。
「弓道家なら他人に弓を向けちゃ行けませんって最初に教わるだろうがよー!」
  おれの非難など聞こえぬ態で、無慈悲にこちらに矢を向け放ってくる巫女さん。敵はなかなか割り切りが良いらしく、例の疾風の魔弾が通じないと分かった時点で、詠唱の必要のない『ごく普通の連射』に切り替えてきたというわけだ。魔弾だろうが普通の矢だろうがどっちにしろ当たったら終わりなおれとしては、むしろこちらの方が遙かに脅威である。
「くっそ……!」
  巫女さんの弓の腕は中々のものだ。業界にいる『降下中の隼を撃ち落とす』ようなバケモノじみた達人というわけではないが、充分に訓練された腕。高校生だとしたら全国大会を狙えるのではなかろうか。あちらの矢が尽きるのが先か、はたまたおれがドジやって命中するのが先か。互いに詠唱を妨害しあって不毛な膠着状態に入ってしまうと、もはや手の空いている残り一人に望みを託すしかない。
「チーフ、すいませんがよろしくお願いします!……っと、マジで顔面狙うかよ!?」
「そうは言われてもな。こっちもちょっと相手が厄介で困っている」
  三対二の戦闘で唯一手が空いているはずのチーフなのだが、なぜか油断無く銀のプレートを構えたまま、まったく動こうとしない。実はいろいろあって、今朝からこちら、チーフは主導権をおれに預けてくれて控えに徹してくれている。だが、流石に戦闘でここまでチーフが動かないというのは解せない。いや――動けないのか。
「使役――ってのは、俺達側の言い方だな。神道ならむしろ”下ろした”と表現する方が正解なのかな」
  チーフの目の前に、なにか・・・が居た。目には見えない無色透明な、だが確実に気配を感じさせるなにか。
「むっ……!」
  チーフが咄嗟にマントのようにコートを翻し己を庇う。その直後、いきなり前方の地面が爆発したように弾け、砂利や石が散弾のように襲いかかった。突風を地面に叩きつけることで、より効率の良い物理攻撃に転化する、いわゆる『ストーンブラスト』。実戦的な風使いがよく使う手口だ。
「でも、『風の巫女』さんはおれと相対しているんだが……って、ああそうか」
  おそらくあの巫女さんは、自然の精霊を召喚し……いや、”風の神様”を呼び出し、神様にお願いすることで風を操るのだろう。そして巫女さん本人が弓でおれを潰しにかかっている間、風の神様はチーフの牽制に専念している、ということか。
「チーフ!銃は持ってきてないんですか!?」
  本来のチーフの戦闘スタイルでは、銃を使用するのだ。それさえあれば例え力天使ヴァーチャ荒神アラガミレベルの精霊であろうと全く問題はないのだが……。
「馬鹿を言うな。ここは日本だぞ。許可無く民間人が銃器を持ち歩けるか」
「ですよねぇ」
  チーフはコートで石礫の弾丸を払い落とす。くたくたの一張羅のコートだが、内側にケブラー繊維が織り込んであり、即席の防弾チョッキ程度の防御力は発揮するのだ。
「『八代副王が一の長HAMAG ABALA――』」
  詠唱と共に、気配があるあたりに雷撃が落ちる。だが雷は”なにか”の気配を素通りし、単にごくわずかの地面の水蒸気を沸騰させ、小さな爆発を引き起こしただけにとどまった。
「……ま、やっぱ霊体に雷撃は効かんよなあ」
「真面目にやってくださいよ!」
「そうは言われてもこっちだってな……おっと」
  今度は強力な突風が吹きつけ、成人男性であるはずのチーフを軽々と浮き上がらせて後退させる。単に吹きつけるだけの突風、というのは意外と厄介だ。下手に収束や操作をしない分、パワーに特化して術を使用できる。そして相手を遠ざけつつ動きを釘付けに出来るというのは、牽制としてはかなり有効な戦術である。
「おれとチーフを釘付けにして……前衛同士の戦闘に集中させる気かよ」
  互角の条件の一騎打ちならシドウが負けるはずはない、という事か。だがそれは――こちらも同じ事だ。巨体から繰り出される剛壮の小太刀と、小柄な身体からは想像もつかないほどダイナミックに空を切り裂く疾風の大太刀は、今も一進一退の攻防を繰り広げている。『先の先』『対の先』『後の先』。研ぎあげられた山刀マシェトとチタン合金の木刀が擦れる度に、耳障りな音と黄金色の火花をまき散らす。本来、殺傷能力が極めて高い真剣の立ち会いでは、剣道のようなチャンチャンバラバラはほとんど発生しない。これ程の剣戟が続くと言うことは、互いの力量が恐ろしいほど均衡しているという証拠だろう。真凛の眼に宿る気迫の意味は……さすがにおれにもわかる。己が信ずるところにかけて、絶対に退かぬと言う覚悟。
「ったく……妙なところで張りきりやがって」
  単純すぎるのも考え物だと正直思うんだがなあ。……とにかく、この戦闘が長引きそうなのは確かな事実だった。またも飛んできた矢を泥の混じった地面に伏せながら回避して――ああ、昨日選択したジャケットがすでに泥まみれだ――おれは、しばらく事態の推移を見守ることにした。
 
 
 
「うっ……」
  軽薄な外見以上に荒事には慣れているし、もちろん情景も想像していた。だがそれでも、いざ現物を目にした土直神は、その光景に息を呑まざるを得なかった。
  巨大な岩を退かした穴の下にあったのは、一人の男性の亡骸だった。恐らくは土砂崩れでここに流されたあと、時間差で山の上から飛ぶように落ちかかってきたあの岩に潰されたのだろう。遺体の上には大量の土砂と瓦礫が積もっていたが、瓦礫はいずれも粉々に砕けている。一体どれほどの衝撃が彼を襲ったのか。己が大地を操る術を持つからこそ、その総エネルギー量の巨大さを理解し背筋が寒くなるのだった。
  もう一度簡単な術式を組み立て、遺体の表面に積もった土砂を地脈の流れに乗せて退かす。岩が落ちてくる瞬間、遺体の上に大量に土砂が積もっていたために、衝撃の方向と位置はかなりバラバラに分散されたようだった。損傷の酷い箇所もあれば、ほぼ無傷のようなところもある。土砂崩れのあった一ヶ月前から急速に気温が下がったこと、比較的低温な山の地中に、奇しくも土砂と岩に密閉される形でほとんど空気に触れていなかったため、腐敗は驚くほど進行していなかった。
  南無南無、と口に出しかけて土直神は表情を改め、略式ながら神道の作法に則って死者に礼を施した。そして穴を覗き込む。不幸中の幸い、と呼ぶのは不謹慎だろうが、顔にはほとんど外傷らしいものはなかった。そしてその顔立ちには、確かに、小田桐剛史の印象が残っていた。
「どう見てもご本人のようですがねえ……」
  横で徳田がしげしげと覗き込む。やっぱり死んでいましたか、と呟く声はかすかに震えているが、死体を前にしては仕方のないことだろう。
「これが、『役者』の変装だと言うんですか?」
「もし四年前に行方不明になったのは小田桐さんの方だったとしたら、『役者』は消息不明になったんじゃない。小田桐さんになりすまして四年間を過ごしていた事になる」
「はあ……」
「そうなると、今回の土砂崩れで行方不明になった”小田桐さん”は、実は『役者』が化けてる、ってことになるワケで」
  未だにどうにも納得がいかないと首を捻る徳田に、土直神が苦笑した。
「まあ、仮説も仮説っすから」
「それって、三人で考えたんですか?」
「いんや、おいらの思いつき。ちょっと突飛すぎるんで二人には話してないよ」
「……そうですか」
「ま、ぶっちゃけ本筋にはあんまり関係ないッスよ」
  注意深く遺体の状況を確かめつつ土直神。
「要は、この山の遺体を発見することがまず第一目標でしたからね。オイラの説が外れてたら、この遺体は小田桐さんなので任務は万事解決。おいらの説が当たってたら」
  うん、こりゃあ何とか引き上げられそうだぞ、なとという呟きを所々に挟みつつ、言葉を続ける。
「そもそも、遺族の方々が探して欲しいと言っていたのは、小田桐さんじゃあない。小田桐さんになりすましていたこちらのヒト、ってことになるわけだし。四年前に行方不明になった本物の小田桐さんについては、とりあえず考えなくてもいいでしょ」
「ああ……そうですねえ。四年前行方不明になった小田桐の事は、誰にとってもどうでもいいことですよね」
  なるほどなるほど、確かにそうだと口の中でぶつぶつ呟く徳田に土直神が声をかける。
「徳田サン。んじゃあ清音ちんたちが来る前に、引き上げるだけ引き上げてしまいましょう。あんまり気が進まないかも知れないスど……」
  しゃがみ込んで腕を伸ばすが、この態勢では遺体を引き上げるほどの力は出せない。仕方なく腹ばいになって、穴へ向けて大きく腕を伸ばす。徳田はと言えば、おっかなびっくりといった態で、土直神の背後から穴の中を覗き込んだ。そして、はたと気づいた表情になる。
「――ああ、土直神さん。さっきお話しを伺っていて、一つ間違っているところがありましたよ」
「え?」
  腹ばいのまま、自分でもなぜか分からないまま咄嗟に身をよじったとき。
 
  ざん、と。
 
  背中に鈍い衝撃が走った。
「……四年前、小田桐剛史は『第三の眼』に商品を売り渡そうとしていたんじゃない」
  殴られたのか、と土直神は思った。だが、衝撃は背中の表面だけではない。もっと深いところまで到達していた。そして、そう認識した瞬間、鈍い全体に広がるような衝撃が、たちまち焼け付くような鋭い激痛へと化け、土直神の意識に火花が飛び散った。
「……最初から商品の情報を手に入れるために昂光に入り込んだ『第三の眼』のスパイだったんですよ」
「…………っ、……ぐ、……ごふっ!!」
  反射的に喉が叫び声を上げようとしたが、代わりに飛び出してきたのは小さな血の塊だった。大振りのナイフによる刺突。刃先が背筋を突き破って肺を傷つけている――土直神は激痛の中、自分でも驚くほど冷静に状況を把握していたが、逆に今の思考を放棄した途端、自分の意識は激痛に呑まれて消えるであろうことも理解していた。
「くぅ……ああっ!」
  激痛に耐え、仰向けになりながら大きく腕を振り払う。背中から素早くナイフを引き戻される感覚が、さらに新たな激痛を産み出した。振り向いたその先には、これまで何度となくつきあいを続けてきたはずの男がナイフを持ったまま、奇妙にのっぺりとした表情で立ち尽くしていた。
「……徳田、さん?」
  どうにか声は出た。ダメージは左の肺。なんとか呼吸は確保できているが、依然危険な状態。
「……そして四年前、任務に失敗した哀れな男はすごすごと逃げ戻りましてねぇ」
  その男はウルリッヒ保険会社正社員、徳田紳一のはずだった。少なくとも、その顔のパーツの構成は、間違いなく徳田のものであるはずだった。だが同じパーツで作り上げられたはずのその表情は、土直神が今まで一度も見たことのないものだった。
「社会的な地位を奪われ。組織内での立場を奪われ。そして己の顔まで奪われて」
  徳田の顔に、変化が起こっていた。
  土直神は最初それを、激痛にかすむ目の錯覚だと思った。だがそうではなかった。
「任務に失敗した無能者として『第三の眼』の中でも随分と屈辱を受け」
  徳田の顔の筋肉が、まるで強力なマッサージ器でも当てているかのようにぷるぷる・・・・と不気味に波打ち、とろけていく。そして、皮膚と肉が蠢いているその一枚向こうで、目玉と歯並びだけがおぞましい笑みを浮かべていた。
「……アンタ……誰だ?」
  徳田ではない事だけは、もはや確実だろうが。土直神の問いなど耳に入った風もなく、徳田だった何者かは、まるで酔っぱらいの胃にたまった反吐のように言葉をぶちまけ続ける。
「……やがて組織内で、無能者には無能なりの価値を見いだされる」
 
  ――顔というのは不思議なものだ。それは、私が私であるという証明。
  顔を失ったとき、私は私ではなくなった。私であることを証明できなくなってしまった。
  ”顔のない男であれば、今さらどんな顔になってもかまわんだろう?”
  奴はそう言い、包帯に巻かれた私の顔を実験台にして――
 
「そして四年ぶりに。懐かしの日本に舞い戻ってきた、ってわけなのさ」
  ぐずぐずに溶けきったかのような顔面の皮膚が、突如として、まるで電気でも通したかのように再び引き締まる。だが、顔面を構成する皮膚も筋肉も肌の色も、徳田のそれとは全く異なっていた。そこにあったのは、もっと若々しい別の顔。
「……これが、全てを失った男に与えられた”異能力”。セラミック製の可動式フレームを頭蓋骨にボルトで埋め込み、高分子ゲル製の筋肉で覆って有機薄膜とナノマシンのブレンド皮膚と人工毛髪を貼り付けた試作品。”擬態する顔”だよ。……間に合わせの顔としては、なかなかのものだろう?」
  土直神が奥歯を食いしばる。激痛のためもあるが、それだけではない。今、彼の目の前にあるものをどうしても許せなかったからだ。若々しい、細身の面立ちに細い目。童顔に見られるのを嫌って顎に無精髭を生やしているが、そもそもあまり髭が濃くないようであまり成功していない、鏡で毎朝見ているその顔を。
「能力はもちろん、”変装”。こうやって君の顔を解析して、その通りに顔面を変形させることが出来る。そうそう、声紋の解析と変更も出来るんだ」
  いつのまにか、その声すら土直神のものとなっていた。
「そういえば質問に答えてなかったな。『第三の目トゥリーチィ・グラース』所属の異能力者。『ティエクストラ貼り付けた顔』。……ああ。君たちには本名で、小田桐剛史と名乗った方が通りがよかったかな?」
  目の前の己の顔が、他人の表情で嗤う。
  欲望に飢え、絶望に乾ききった、ゆがんだ笑顔だった。
 
 
 
 

 ◆◇◆ 19 ◇◆◇


 
  そもそもの私、小田桐剛史は、公立高校から私立大学を出て総合商社に就職した程度の男だ。田舎の街では神童と呼ばれ、末は博士かノーベル賞かと煽てられていたものの、大学に入ってからは自分の頭脳が”上の中”程度のでしかない、ということも思い知らされていた。だからこそ私は、目に見えない頭の良さよりも、数字で残る金とチカラを求めるようになった。多少アクは強かったかも知れない。ラグビー部やサークルで対人関係のトラブルがあったりもしたが、だが逆に言えばその程度のものでしかなく、今から振り返ってみれば、まずまず順風満帆の人生だったのではなかろうか。
 
  全てが狂い始めたのは、仕事で三年間アジア某国に滞在したときだった。日本に居たときから接待やリベートの重要性は十分に理解していたつもりだったが、海外でのビジネスはその比ではなかった。こちらがどれほどルール通りに商売をしても、相手がゴーサインを出さなければそこで全てが止まってしまう。権限を持つ政治家や官僚をいかに取り込むか。あるいはいかに敵に回さないようにするのか。誰それに金品を送りつけ、その便宜によって得られた多大な利益の一部を使って次にあてがう高級コールガールを調達する。そういったことに腐心するうち、私はいつしか、現地の汚職官僚と、彼が繋がっている麻薬組織やその私兵達とすっかりズブズブの仲となっていた。リベートの件が日本国内で発覚し大騒ぎになると、私は社内で全ての責任をなすりつけられ降格させられた。
  社内派閥という名前の輝かしいエスカレーターから下ろされた私は、同僚や後輩達が昇進への道を駆け上がっていく様をただ指をくわえて見ていることしかできなかった。そんな時だった。かつてズブズブだった麻薬組織の支援者、と名乗る組織、『第三の眼』からコンタクトがあったのは。
  結果として、私は『第三の眼』に所属する事になった。と言っても、社会的な身分は今まで通りの商社マンである。ただ時々、商社でなければ知り得ないような最新のデータや社内情報を、先方からの指示に従って集めて流す。それだけで、同僚や上司どもすら及ばない報酬を手にすることが出来た。
  数年後、私は総合商社を辞め、昂光に引き抜かれることとなる。表向きには海外へのパイプを活かしたキャリアップのためとなっているが、そのスカウト話自体、『第三の眼』の工作によるものだった。私自身、これ以上出世の望みのない会社に未練はなかったので、転職の指示には不満はなかった。そして昂光での任務は、開発中だった次世代三次元測定器の密輸だった。一見地味なようでいて、使うものと使う相手を間違えなければ莫大な金を生むカード。元商社マンの営業部長として赴任した私は、昼は営業マンとして仕事に励み、夜はその商品の機密データを手に収めるべく、社内で暗躍していたのだった。会社の重要ポストだからといって全ての情報を把握できるわけではない。社内の雑多な情報から必要なものを抜き出し、いくつかの基幹部品のサンプルをちょろまかして、どうにか『取引』として先方に渡せるものを揃えるためには随分時間を必要とした。
  ところがその頃から、身辺に違和感を感じるようになっていた。確証はないが、私を誰かが調べ回っている……そういう雰囲気。ただのサラリーマンとは言え、これでもゲリラ共と後ろ暗いビジネスをやりとしていた身だ。いつしか私はこの手の異変については、昆虫の触覚並みに鋭敏なセンサーを持つようになっていたのだ。『第三の眼』の支援を仰ぎ、こちらからも調査したところ、私を追っていたのは『役者アクター』などと名乗る、自分の顔を変える男だという。私はそういう能力を持つ連中が結構この世に居るということはすでに知識として知っていたが、それでも奴の能力に――取引現場で、いつの間にか『第三の眼』の連絡員とすり替わっていた奴に――気づいたときは戦慄したものだった。その男と私は、一年以上に渡って連絡を取り合ってきたというのに、その正体が見破られるまでは、その男を疑ってみようとも思わなかったのだから。完全な変装。いや、あれはもはや変身と呼ぶべきレベルのものだった。実際にその場にいた私でさえ、今でもいかにして奴の正体が見破られたのか。未だに推測すら出来ずにいる。
  だが、いかに完璧な変身とは言え、バレてしまえばもはや意味がない。私と、暴力のプロである『第三の眼』の構成員と、裏家業とはいえ基本的に戦いを好まない『役者』。互いにもはや引くわけにはいかない状況だった。
  山中の県道、夜の闇の中でひっそりと行われたこの両者の衝突は、結果として私達の敗北だった。現場から車で強引に逃亡しようとしたところ、それまでの銃撃戦での着弾がタンクに引火し大爆発を起こした。構成員達は全員死亡。そしてかろうじて生き残り、『第三の眼』の支援部隊に回収された私は……全身に重度の火傷を負い、とくに顔面の皮膚はすでに原型を止めないほどに灼けただれていた。鏡を見てそれと気づいたのは、回収後に秘かに搬送されたハバロフスクの廃業寸前の病院だった。組織は死体をどこかに遺棄したり、交通事故として下手に勘ぐられるよりも、手元に回収してしまう方が総合的にリスクが低いと判断したらしい。私はおそらく日本では行方不明扱いになっているのだろう。そう思っていた。
  だが社会的立場も帰る家も働く場所も失い、絶望する私にさらに追い打ちがかかった。伝え聞くところによれば、なんと『小田桐剛史』は行方不明になどなっておらず、相変わらず昂光で営業部長として働いている、というのである。あまつさえ見合いをして家庭を持ち、子供まで生まれたとか。この怪現象の原因は、一つしか考えられなかった。
  『役者』。
  あの誰にでも成りすます事が出来る卑劣な男が、この私、小田桐剛史になりかわり、何食わぬ顔をしてエリート会社員と良き家庭人としての人生を謳歌している。この私が鎮痛剤を投与されている冷たく湿った地下の病室から海を挟んだ向こうでは、奴がぬくぬくと妻と子に囲まれ平和に暮らしている――到底許されていいことではない。
  偽りの顔を与えられ、日陰をのたうつように組織の中で生き延びてきた私に、四年後の今、願ってもいなかった機会が巡ってきた。
  私の顔を奪ったあいつに報復が出来るのなら。再び私の本当の顔を奪り返せるのなら。
  そのためなら、何だってやってやる。
  日本に舞い戻り、組織の構成員共を再び動かして情報を集め。
  そして、一ヶ月前のあの大雨の日。私は奴を坂東山に呼び出したのだった。
 
 
 
 
  その手紙には、私と連絡が取れなくなってからの彼の、その後についてが書き連ねられてあった。
  変身能力を活かして昂光に潜入し密輸の証拠をつかむのは、彼にとってはごく簡単な任務のはずだった。事実、彼は社員、取引先相手、警備員などにまさしく変幻自在に化けて、いとも容易く主犯である小田桐某の正体に迫ることが出来たのだという。しかし――私には未だに信じられないのだが――最終的に彼はその正体を見破られてしまい、銃撃戦となってしまう。
  結果、逃走を図った小田桐某は爆発事故で行方不明になり、密輸の決定的な物証を握ることは出来なかった。それでも、襲撃の手口からして小田桐が主犯なのは疑いようのない事実であり、密輸のために形成されたネットワークも被害甚大。まず任務成功と言ってもよかったはずだった。しかし、彼……誇り高き我が師、『役者アクター』には、銃撃戦で決着をつけるような無骨な結末は、到底受け容れられるものではなかったらしい。
  彼は昂光に固執した。ウルリッヒ保険にも任務完了の報告をせず、行方不明になった小田桐剛史に変身を行い、その代役を完璧に演じ続けた。そしてその手に握った小田桐の権限と情報を以て、構築されたネットワークをことごとく、彼の言を借りれば偏執的に、潰していった。 
「今にして思えば、正体を見破られた事に対する子供じみた腹いせだったんだよ」
  彼は手紙でそう述べている。
 
役者アクター』。
  分類で言えば突然変異ミュータントの部類に入るのだろう。異常発達したミラーニューロンと、自在に変化する体細胞。DNAまで一時的に組成を偽装させることが出来るその能力は、ひょっとしたら人類の新たな可能性を模索するものだったのかも知れない。生まれながらの『物真似師』である彼にとって、己の能力を見破られる屈辱というのは、私のような凡才には計り知れないものがあったのだろうか。
  99.99%の擬態を可能とする人間。その傷ついたプライドは、いつしか歪んだ挑戦へとねじ曲がっていった。
  オリジナルを模写することは容易だ。
  そんな低レベルな演技ではまだ足りない。オリジナルが無い・・・・・・・・状況で、完璧に本人を演じきってこそ『役者』である。小田桐剛史としてのレールを、誰にも疑われずに、小田桐らしく歩み続ける。小田桐として上司に疎まれ、部下に敬遠されようと一向にかまわない。己一人の胸に秘かに満たされるものさえあればよい。そう考えて過ごしてきたのだと彼は言う。小田桐のように考え、小田桐のように振る舞う。演技は精髄を極め、自分が『役者』だと言うことを思い出すのが一週間に一度、という事も珍しくはなかったのだとか。
  結局、彼の『演技』は一年以上にも及んだ。潜入捜査には数ヶ月から半年を要することが多いが、そこから考えても長い時間である。だがしかし、そのレールは、いつの間にか後戻り出来ないものになっていた。その頃にちょうど降ってわいたのが、取引先の重役の娘との見合い、だった。『小田桐ならば』己の出世のために受けないはずがない縁談。迷うことなく婚姻を申し入れ、式を挙げ、妻が懐妊したあたりで――
「悪い夢から、はたと醒めた」
  そう彼は語っている。彼とて、自らの異能力や遺伝子の秘密を完全に理解しているわけではない。遺伝子まで擬態できる彼の子供は、果たして誰の子なのだろうか?彼の意地による『挑戦』のため、偽者の小田桐と結婚した妻の人生は、一体どうなるのか。
 
  『小田桐ならば』政略結婚で娶ったような妻に愛情は注がない。毎晩女のいる店を経費で飲み歩くほうが『小田桐らしい』。
  『小田桐ならば』土日に子供と一緒に車で出かけるような事はしない。人脈つくりに取引先とゴルフでもしている方が『小田桐らしい』。
『役者』であるならば、どうすべきかは明らかなはずだった。
 
 
  だが結局、彼の家庭は……後に私が調べたところ、幸せな家庭と呼びうるものであった。
  一流の『役者アクター』は、新たに作り出された家庭、という舞台ステージでの演技をやめてしまったのだ。
  調和ある家族、暖かい帰るべき場所。そして相互の信頼。世の中のどんな人間であろうと、どちらが欲しいかと言われれば、不幸な家庭よりも幸せな家庭と答える決まっている。それは絶対的に正しい、世間では賞賛されるはずの行為のはずだった。
  だというのに、己一人の胸には、己が『役者』として失格であるという事実が突きつけられ続ける。どれほど苦しみもがいても、今更舞台を降りることなどかなわない。
 
  傲慢な挑戦に対する、これ以上もないほどの重い罰。
 
  幸せで過酷な時間は、実に三年も続いた。
  ある時、彼はとある情報を聞きつける。再び昂光の企業秘密に接触しようとする不穏な動きがある、と。半ば予感めいたものを感じて、彼はその機会を待ち続けた。
 
  そして、一ヶ月前のあの大雨の日。彼は奴に坂東山に呼び出されたのだった。
 
 
 
 

 ◆◇◆ 20 ◇◆◇

 
 
「自分が小田桐剛史ではなく、どこの馬の骨とも知れない人間だと会社にバラされたくなければ昂光の機密情報をまとめて持って来い。そう伝えたら、奴はあっさり承諾したよ」
  土直神の顔をした徳田。いや、エージェント『貼り付けた顔ティエクストラ』。あるいは本物の小田桐剛史。どう呼ぶべきか定まらない男が、熱に浮かされたように語り続ける。瀕死の土直神にナイフを突きつけつつ、一向にトドメを刺そうとしないのは合理的ではなかったが、納得は出来た。この男は排泄の快楽を味わっているのだ。四年間己の心の内にひたすらにため込んできた、真相という名の排泄物を。
「そりゃあそうだよなあ!誰だって地位も金も失いたくはない。俺ならそうさ。あいつだってそうだ。俺の地位を奪った、あの下衆野郎なら当然そうでなくちゃなァ!」
  ため込み続けた排泄物があまりに巨大なためか、その眼が見開かれ全身は細かく痙攣している。言葉の合間にしゃっくりをするのは、横隔膜が引きつっているせいか。
「……それで、あの雨の日に、あのトンネルに呼び出したのか……?」
「あそこはな。四年前に俺が奴に取引を邪魔された場所なんだよ。この下らない茶番に決着をつけるなら、ちゃんと舞台も相応しい所を選ばなきゃ駄目だろう!?」
  あの大雨の日。呼び出された『役者』扮する小田桐剛史は車でトンネルまでやってきて、車を降りる。そこに待ち受けていたのは、密輸の主犯、『貼り付けた顔ティエクストラ』……本当の小田桐剛史。そして、二人がまさに、因縁の顔合わせをしようとしたとき。
「でも地震はダメ。地震はいけない。ああ、地震だけはいけなかった。あのタイミングで地震なんてな。まったく。はは、クソが!畜生が!!なんてことだ!!!これが舞台なら脚本を書いた奴は三流だ!あのタイミングで土砂崩れが起きるなんて、偶然なんて言われても嘘くさすぎて誰が納得できるかよ!?」
  怒りと憎悪と後悔、無念。ありとあらゆる負の感情と怒声を撒き散らしながら小田桐が吠える。四年越しの復讐の対象は、長雨と地盤によって緩んだ土塊によって、彼の目の前で、一瞬のうちに押し流されてしまったのだ。
「ホント、はは、笑えねえよな。そうだろう!?野郎はあっというまに地面の底。しかもアレだ、俺が持って帰らなきゃいけない機密情報まで抱え込んだままだ。俺はどうすりゃいい?四年間、八つ裂きにすることだけを考えてきた男が消えちまって、しかも帰ることも出来ねぇ!!このまま帰ったら、今度こそ俺は粛清される。それよりなにより、このままじゃ俺自身が納得できるわけがねえ!!」
  だが、今の小田桐には、山中のどこかに流され、膨大な土塊に埋もれたであろう『役者』を探す事も掘り起こすことなどかなわない事だった。
「悩んだし、焦ったよなあ。でもそんなときだよ。”小田桐剛史の奥さん”が、亭主の遺体を見つけて欲しいと思ってる、なんて情報が飛び込んできたのはさぁ」
「……そんで、オイラ達を……使おうと思ったワケか。……本物の徳田サンはどうした?」
「あ?ああ。今頃は海底で魚と遊んでいるんじゃないか。重しの鎖が切れていれば、太平洋辺りをのんびり漂っているのかも」
  激情から一転して、外国のお天気情報でも説明するかのような無関心さ。土直神の奥歯が軋んだのは、激痛をかみ殺すためだけではなかった。
「四年前に奴を潜り込ませてきたウルリッヒに、今度は俺が潜り込んでやる。なかなかいいアイデアだろ?それなりに気晴らしにはなったぜ、この一ヶ月は」
  今にして思えば、この仕事はまず徳田から土直神に紹介された。そして、霊と交信できる能力者が居た方がよい、という徳田のアドバイスを元に、土直神は清音を引っ張ってきたのだ。何のことはない、このメンバーは最初から、捜索対象が『死んでいて』『埋まっている』という前提で揃えられていたのだ。
「それでも本当に死んでいるかどうか、この目で確かめるまでは不安だったよ。しかも奴の幽霊とやら、あの場にいた俺の正体を、仕草だけであっさり見抜きやがった。その途端、のらくらと自分の正体をぼかして思わせぶりなことをほざきはじめやがって。結局、邪魔が入って発掘は遅れるは、あの巫女やお前にはいらん推測をされるは。まったく最後までくだらん足掻きをしてくれる」
  自らの遺体が発掘され、小田桐に機密情報を奪われることは避けねばならない。死してのち一ヶ月を経て、その意識のみを呼び覚まされたとき、即座に『役者』はそう判断したのだ。だからこそ、掘り起こされて家族の元に返されるよりも、誰もいない冷たい土砂の下で眠り続けることを選んだのだった。
「これが俺が今ここにこうして存在している理由だ。理解したか?」
  ナイフを弄んだまましゃがみこみ、土直神の顔を覗きこむ。返事をしないでいると、土直神の髪の毛をつかんで強引に引き起こし、地面に後頭部を思い切りたたき付けた。何度も何度も。
「理解したかと、聞いて、いる、んだよッ!」
  自分と同じ顔をした誰かが、細いはずの両眼をまん丸に見開いて喚いている。激痛が染み渡り、もはや麻痺し始めている背中に力を込めて声を出してやる。
「……ああ……解ったよ」
  見開かれた眼がぎょろりと回る。
「そうか?ちゃんと理解したか?俺は誰だ・・・・?」
「いろいろ言ってるけど、要はアンタが本物の小田桐、なんだろ?」
  その声は魔法のような反応をもたらした。子供のように晴れ晴れとした表情を浮かべ、
「ああ――スッキリした」
  小田桐剛史と呼ぶべき男は、充足の大きなため息を吐いた。目の前の男がすでに狂気の領域に片足を踏み出しているのはもはや明白だった。不意に立ち上がると、躊躇することなく身を翻し、遺体のある穴の中へと降りていく。遺体の、まだ原型をとどめている胴体部から、つぶれてほとんど一体化している背広の布地を引き剥がし・・・・・てめくる。そしてごそごそとその裏側をかき回すことしばし。突如頓狂な声が上がった。
「あった!あったぞ!ハハ、無事じゃないか!」
  小田桐の手に握られていたのは、タバコのケースほどの小さな金属ケースだった。力を入れて箱をねじると、密閉構造になっていた蓋がはずれて中身があらわになる。USBメモリと、なにがしかのサンプルと思われる小型の電子部品がいくつか。恐らくは、かつて小田桐が持ち出そうとして失敗し、今回呼び出された『役者』が取引に持ち出した、昂光の機密情報だろう。
「几帳面な奴だ!ちゃんと指示通りハードケースに入れてやがった!最後の最後でツイてる。しかもまあ……ハハ、ハハハハハハハハ!!一番大切なモノまで無事じゃねェかよオ!」
  歌い出しかねないほどの異様なテンションの高さで、四年前まで小田桐だった男は、四年前からつい先ほどまで小田桐だった遺体に、両の掌を伸ばす。
  その先には。
 
  未だなお原型を留めている、小田桐剛史の顔・・・・・・・があった。
 
 
 
 
「――そうだ。この顔だ」
  額と掌に仕込まれた高精度の複合スキャナーが、触れている頭部の骨格と皮膚の形状をデータ化し、己の顔に埋め込まれたセラミックフレームの中に配置されたマイクロチップへと転送してゆく。うごめく顔面。
「あの日までは、鏡を見れば当たり前のようにあったんだ」
  損傷が激しい表皮は、経年劣化を逆算して再現。毛穴の位置も拾えたので再配置し、そこに人工毛髪を移動させる。波打つ皮膚。
「だけど意識を失って気がついたら顔面包帯グルグル巻きでなァ」
  遺体の喉に手をやる。声帯をスキャン。その形状から想定される声質を算出し、己の喉に埋め込まれたボイスチェンジャーにフィードバック。
「それ以来、どうやっても思い出せなかったんだよ」
  声が変化してゆく。聞き慣れた土直神自身の声から、野心がぎらぎらと溢れた、野太い中年男性の声へと。
「自分が、どんな顔をしていたかって事がな!」
  確かに、後になって自在に顔面を変化させる能力を手に入れることはできた。
  だが、どれほど精度の高い変形が可能であろうと、元のデータが残っていないものを復元することは不可能だった。それでは、もうそれは永遠に手に入らないのだろうか?
  違う。
  オリジナルこそ失われたが、複写・・はどうにか現存している。そしてそれをさらに複写すれば。
  懐から小さな手鏡を取り出し、己の顔を映し出す。
「ずっと探していた。思い出そうとしていた。奴に奪われた、俺だけの顔……!」
  語尾が笑いに化けた。それは高笑いに変じ、そして轟くほどの哄笑となった。
  そこにあったのは、癖の強そうな髪、太い眉、大きなあご。そして強い意志のかわりに突き抜けた狂気を感じさせる眼。事前の資料にあった、小田桐剛史の顔そのものだった。
「……どーりで。欲しかったのは……最初っからそっち……だったワケか」
  山奥にまで無理矢理にでもついて来たがったはずだ。
「……で。……アンタはこれから……どうするんだよ?その顔で」
「顔なんぞもう残っているとは思っていなかった。本当ならデータだけ回収して組織に帰還する予定だったんだがな」
  確かにそうだろう。一ヶ月も前に埋もれた死体の顔がきちんとした形で残っている可能性というのは、極めて低かったはずだ。
「だが、な。こうなってくれば話は別だ」
  中年男が己の顔を愛おしげに撫でくりまわしても気色悪いだけだな、と土直神は思った。努めて冷めた思考を保っているものの、痛みは麻痺に変わり、だんだん視界が暗くなりつつある。――こいつは、ちょっとばかりヤバイかも知れないね。
「なあ、俺は誰だ?そうだ、小田桐剛史だよ。なら……小田桐剛史が自分のものを奪り戻すのは当然の権利、だよな?」
「……やーっぱ、そーいうこと……」
  今現在、世間での小田桐剛史の扱いはあくまでも『行方不明』である。そこにひょっこりと小田桐剛史の顔と記憶を持つ男が現れたらどうなるか。この一ヶ月の間どこで何をしていたかと勿論問われるだろうが、ショックで軽い記憶喪失だったとでもごり押せばよい。血液や遺伝子を調べたとしても、そこから出てくるのは紛れもない本人の証明なのだ。いずれはその正当性が認められ、晴れて小田桐剛史としての社会性と権利が回復されるはずだった。
「この遺体は……どうすんだよ」
「お前達は遺体の場所を見つけたら、そのまま警察に連絡を入れるか?そうじゃないだろう。お前達はただの通行人じゃない。ウルリッヒの本社に連絡をして、そこでお前達の仕事は一段落。その後で正式に場所を確認して警察に通報するのは、――さて誰の仕事になるんでしょうかな?」
  言葉の最後だけ、徳田の口調と声でしゃべってのける。発見後の実務をとりまとめるのは徳田だ。誰も事情を知らない上に非合法組織『第三の目』の支援があるとなれば、遺体のすり替えぐらいはやってのけるかも知れない。だが、そこまで考えて土直神はろくでもない事に思い至った。……そう。この手は『誰も事情を知らない』事が前提条件となる。余計な事実に気づいてしまった人間は、さてどうなるか。
「……オイラはとんだとばっちり、ってワケだぁね」
  調子に乗って当人の前で己の推理を並べ立てていた愚かさに泣きたくなる。あの時点でそこまで予測しろというのも無理な話ではあったが。
「お前にはちょっと死んでもらって、二、三日適当な藪の中にでも転がっていてもらおう。なあに、安心しろ」
  ふたたび小田桐の顔が、不気味に波打ち、土直神の顔になった。
「――徳田サンは危ないんで先に帰ってもらったッス。じゃあ清音ちん、はやくこの死体を引き上げちゃおうか――とでも伝えておくさ」
「……ホンット、趣味が悪い能力だよなソレ……!」
「ああ。俺もそう思う」
  罵声にごく真面目に受け答え、また顔を己のものに戻し、小田桐はナイフを逆手に構え直した。
「お前が居なくなれば、疑う者はもういない。正真正銘、これが俺の顔になるんだ」
  その腕を振り下ろせば、間違いなく土直神の心臓に突き刺さるだろう。その切っ先を見つめつ土直神の額を、脂汗が一筋流れた。さすがにこのタイミングで、森の向こう側の四堂や清音達が騎兵隊よろしく駆けつけてくれる、などという期待は出来ない。恐らくは互角の勝負、長期戦となっていることだろう。
「じゃあ、ごきげんよう」
  それでも顔を伏せるのはシュミじゃない。死を前にしてなお、土直神は不敵に小田桐を見上げた。振り下ろされようとするナイフ。
 
「いいや、その顔はもうお前のものではないよ」
 
  唐突に、横合いから冷水のように鋭い声を浴びせられた。
  小田桐剛史は咄嗟にそちらを振り向き、そしてあんぐりと口を開けたまま硬直してしまった。誰もいないはずの山奥の森に、一人の男が佇んでいた。良く見知った顔だった。高級な背広と、ラグビーでもやっていたのだろうかというがっしりとした体つき。そして――癖の強そうな髪、太い眉、大きなあご。そして強い意志を感じさせる眼。
「……あれ?……どゆこと……?」
  土直神は朦朧とする意識の中、今見ている光景が現実なのか疑わしくなった。
  たった今、唐突に現れた第三の男。その男の首から上についていたのは、穴底の遺体、そして自分にナイフを突き立てようとした男と、まったく同じ小田桐剛史の顔・・・・・・・・・・・・・だった。
 
 
 
  『世の中には同じ顔をした人間が三人いる』という。
  迷信だ。迷信のはずだ。
  だが、それならば、『同じ顔』が一所に三つも揃っている今のこの状況は、なんと理由づけたら良いのだろうか。
「だ……誰だ、お前は!?」
  小田桐がナイフを突きつけて問うその先には、埋まっていた遺体からついさっき奪い返したはずの己の顔があった。すると、その顔は笑みを形作り口を開いた。
「誰だ、とは心外だな。俺だよ。わかるだろう?」
  小田桐の眼球がめまぐるしく動き、事態を検証する。この顔でこの物言いをする人間はただ一人しか居ないはずだ。だが、まさか。
「貴様、『役者アクター』か……!?」
「そうとも呼ばれているな」
  小田桐と同じ顔をした男が、芝居がかった仕草で優雅に一礼する。本来の小田桐にまったく似合わぬその仕草は、なまじ顔が同じな分だけ違和感を際だたせていた。
「馬鹿な、お前は死んだはずだ。あの時、俺の目の前で土砂崩れに呑まれて!それに、あの霊の声だって……!」
  相手の顔に笑みが浮かぶ。思考の鈍い者を見下す、憫笑。
「”死んだ”……か。それは、”誰が”死んだという意味で発言しているのかね?」
  人一倍自尊心の強い小田桐は、他人の憫笑には敏感だった。たちまち驚きよりも怒気が勝る。
「くだらん言葉遊びはやめろ!貴様は何者だ。『役者』の野郎は、間違いなくあそこでくたばってる死体のはずだ!」
「仮にあそこに埋まっている遺体が『役者』だとして。それがなんだ?ここに今、『役者』たる私が居れば、その役割は継承される・・・・・・・・。なんの問題もない」
「どういう……意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。”キャラクター”のを正しく理解し、必要な知識を備えている役者・・であれば、なんの問題もなく演技を継続してゆける」
  いつのまにか男は、まるで鏡に映したように、小田桐と左右対称の同じポーズを取っていた。ナイフはもっていないし服装も違うというのに、それは奇妙に舞台装置めいた効果を醸し出してゆく。
「人は皆、人生という舞台において、大なり小なり与えられた『役』がある。そしてね、これが肝心なのだが」
  鏡の中の悪魔が嗤う。
「当人がどんな夢だの誓いだの義務だのを抱え込んでいようとね。結局他人が期待しているのは『役』。同じ役を果たせるのであれば、幾らでも換えが効く」
「おい、貴様……」
  話題がすり替えられている。わかってはいるのだが、その独特の会話のペースが、口を挟む隙を与えない。
「ここで逆に言えば。役を果たせないのであれば、役者が同じでも、それはもう別のキャラクターだ。舞台には立てない」
  この口を塞がなくてはならないと、そう思った。だが遅かった。
「つまりは」
  鏡の中の悪魔は、舞台の効果を高めるかのように、絶妙の間で台詞を挿入して流れを作り上げ。
 
「君にはもう『小田桐剛史』の役は務まらないということだよ」
  致命的な言葉の一突きを抛り込んだ。

「――ダマレ」
「君が取り戻そうとしている『小田桐剛史』という役は、すでに変質を果たしている」
「黙れと言っている」
「君自身もわかっているだろう。この四年間で築き上げられた時間に、もう入り込む余地など無いと言うことを」
「黙れぇっ!!」
  手にしたナイフを縦横に振るう。しかしそれは虚しく空を切り、小田桐の顔をした何か・・は、するするとまるで影のように距離をあけ、雑木林の葉陰へと移動した。
「高望みはするな。『貼り付けた顔ティエクストラ』とやら、君にはもう別の役があるはずだ。それを果たせ。配役を違えた舞台は、役者も観客も誰も喜ばない」
  声が遠くなり、急速に、何か・・が葉陰の中へと埋没していく。どこにも移動していない。隠れようともしていない。まるで陰に溶けるように、それは急速に気配を薄れさせた。
「消えた……?」
  もう一度目を凝らしてみる。そこにはもう人影はなく、ただ鬱蒼と茂る枝葉と、それが形作る濃厚な葉陰があるだけだった。
「役が違う、だと?」
  血走った目で唾を吐き捨てる。
「それを言うならそもそも、他人の役を奪いやがったヤロウが元凶じゃねぇか……!」
  小田桐が、すでに血の気を失いつつある土直神に向き直る。確かに今なら、ここを真っ直ぐ立ち去り、『第三の目』の本部まで高飛びするという選択肢はあった。組織の中で成功が認められ、彼の立場も少しは改善されるだろう。だが、
「人生が舞台だと?ああ、そうかも知れないな」
  それから先に、どんな展望があるというのだ?
  どんな惨めな人生を送っている人間だろうと、その人生は、当人の努力や才能、運や環境によって織り上げられた一つの物語である。負けたまま終わるにせよ逆転勝ちを目指すにせよ、それはある意味では納得が出来るだろう。だが。
  俺はずっと、違う人間が自分の人生を織り上げられていくのを遠目に見ていることしかできなかった。
  ならばきっと、どこまで行っても。
  多分、このままでは俺に納得はない。
「だから。主役に戻るんだ。俺の人生という舞台の……!」
  もう一度ナイフが振り上げられる。
  数奇な運命を断ち切るべく掲げられたその一撃は、

「――いやあ。やっぱ客観的にもその計画には無理があり過ぎる気がしますよ」
 
  だがまたしても、唐突に横合いからかけられた声に遮られたのだった。
  慌てて視線を向け、小田桐は今日立て続けに、心底からの驚愕を味わう羽目になった。
「貴様の説明とは、やや状況が異なるようだな」
「結局、お前の読みも半分当たって半分外れたってとこか、亘理」
「土直神さん、大丈夫ですか!」
「うわっ、本当に同じ顔の人がいる!」
  何しろそこには、向こう側で死闘を繰り広げているはずの男女の姿があったのだから。
 
   

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