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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第7話 『壱番街サーベイヤー』


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◆◇◆ 1 ◇◆◇

 
 
  水辺の果樹に吊された男がひとり。
 
  その水は、男が口を近づければ潮の如く下へ引き。
  その果実は、男が身を起こせば風の如く上へ舞う。
 
  果実と水を目の前にしながら、
  死ぬことも出来ず永遠のかつえにさいなまれる。
 
  それがこの男に課せられた罰である。
 
 
  虚無は必ずしも罰とはなりえない。
  悦びを知らねば、それを望むこともないのだから。
 
  悦びを知っているからこそ、
  決して手に入らないそれが、罰となりえる。
 
  なればこそ、この男には相応しい。
  人の身にありながらあらゆる悦びを極め、
  そしてついには神の座を望み。
  あまつさえ我が子を殺め、
  神々を試したこの男には。
 
 
  もはや天地が終わろうと、男の罪は赦されることなどない。
 
  それは当然の報いだ。
 
 
  だがしかし。
 
  気づいていた者が果たしていたのであろうか。
 
  男が永劫の罪に問われたのは、
  彼が神々を試したがゆえの罰であり。
 
  けっして、彼が我が子を殺めたがゆえの罰ではなかったことを。
 
 

◆◇◆ 2 ◇◆◇

 
 
  インフルエンザの自覚症状はないか?事前に書いた問診票に間違いはないか?入国の目的は?滞在期間は?滞在先は?パスポートは?査証は?ルーナライナ王国?聞いたことがないぞどこの国だ?申告の必要な輸入品はないか?
 
  諸々の質問攻めから解放され、ファリス・シィ・カラーティに正式に入国の許可が下りたのは、飛行機がナリタ空港に降り立ってから実に一時間後の事だった。なんでも未曾有のインフルエンザの大流行だとかで、とくに検疫が厳しかったらしい。スタンプの押されたパスポートを手にしたまま、エコノミークラスという名の牢獄に疲れ果てた体を引きずってエスカレーターを降り、急いで手荷物の受取所へ。ベルトコンベアーの一番手前に立ちながら、次々と吐き出されてくるスーツケースに目を光らせ、自分が預けたスーツケースが現れるのを待ち続ける。
  ファリスとて、もちろんわかってはいるのだ。この国には他人のスーツケースをこれ幸いと持っていくような不心得者はまず居ない。それどころか!聞いた話によれば、例えスーツケースを持って帰るのを忘れたとしても、何とわざわざ空港職員がお客の住所を調べて、届けてくれるのだという。確かに、ふり返れば空港の無防備に置き去りにされているスーツケースがいくつも目に入る。持ち主はスタンドに軽食でも買いに行ったのだろう、注意を払ってすらいない。
  ――そう、まったく信じられない光景なのだ。
  これが彼女の国の空港であれば、こうしてスーツケースを見張っていなければ、たちまち誰かに持って行かれ、丸一日も経てばケースと中身がそれぞれ闇市のどこかで売りさばかれる事となるだろう。国民の多くが、盗みを心配せずにすむほど安全で、盗みをする必要もない。
  ここは日本。アジアでもっとも清潔で安全で豊かな国。
 
 
  乗り換えの際に誤配されてはいないかという疑念も杞憂に終わり、スーツケースが無事に手元に戻ったとき、ファリスは心から安堵した。なにしろルーナライナ唯一の国際空港から一旦ドバイに出て、そこからフランクフルトとバンコクを経由してトウキョウに至るという、ユーラシア大陸を丸三日かけて一周する強行軍だったのだから、多少ナーバスになるのは仕方がないだろう。まして今回は、何も知らなかった子供時代のお気楽な観光旅行とは違うのだし。
 
  私塾のオチアイ先生にお墨付きをもらい、日本語にはかなりの自信があったファリスだが、それでも空港に着いた途端に押し寄せてくる日本語の津波には閉口した。壁という壁に貼ってあるさまざまな広告のポスター、天井と床に描かれた標識と、目の前を流れる電光掲示板のテキストが、これでもかとばかりに異国語のインフォメーションを脳みそに押し込んでくるのだ。しかもそのうちの一枚を頑張って読み解いた結果が『コズミックマーケット今年も開催、海外からのお客様も大歓迎!コスプレもおっけー宅配も出来ます』であれば、機内でろくに眠れなかった身にはもはや拷問ですらある。
  それでも三十分をかけて膨大な情報の波から電話マークの看板を見つけ出し、ようよう窓口へ。事前に予約を入れておいた 携帯電話ケータイをレンタルする事が出来た。ファリスが普段使っている携帯電話セルラーフォン からSIMカードを抜き出し、装填。相性が心配だったが、どうやら無事に動作するようだ。
「しかし、すごい……」
  その液晶画面の大きさ、細かさ、明るさにはため息しか出ない。日本人は”ケータイ”をこよなく愛し、子供でさえスマートフォンに匹敵する機能を詰め込んだ携帯電話を所有しているという噂は、まさしく真実だったわけだ。『モノを小さく・薄く・軽くする』事に関しては、日本の技術は飛び抜けていると言わざるを得ない。ファリスの携帯電話など、ごく小さな液晶画面に電話番号が表示される程度で、しかも不便を感じた事はなかったというのに。
  続けて電車とバスの時刻表を見つけ出し、ファリスはなんとかリムジンバスのチケットを購入する事にも成功した。あとはこのバスに乗り、シンジュク駅に辿り着けば、そこで迎えが来ることになっている。ロビーのソファに腰を下ろすと、ようやく人心地つくことが出来た。
「シンジュクク、タ……カ、ダノ、ヴァ、ヴァ……たかだのばば、高田の、馬場」
  借りたばかりの携帯電話に、アドレスが正しく引き継がれているかを確認。事前に入力を済ませてきた、やや発音しづらいaが五つも並ぶ固有名詞を復唱する。これからしばらくお世話になる街なのだ、発音を思い出しておくに越したことはないだろう。隣のスタンドからたいそう芳しいコーヒーの香りが漂ってくるが、ここはじっと我慢の子である。なにしろ先ほど価格をチェックしたら一杯650エンなどという正気の沙汰とも思えぬ数字が目に入ったので。もちろん食事付きではない。ただでさえ交通費と携帯電話のレンタル代金でギリギリなのだ、無駄な出費など出来るはずもなかった。
「おねえちゃん、なにじん?」
  ふとそんな言葉をかけられ横を振り向くと、5歳くらいの日本人の女の子が隣のソファに座っていた。海外旅行帰りなのだろう、お土産とおぼしき花飾りのついた麦わら帽子をかぶってご満悦の様子である。……実のところ、あまり良くない傾向ではある。正直、今は他人と必要以上のコミュニケーションを取るべきではない。
「ぎんいろのかみのけ。ねー、どこのひとなの?」
  黒い瞳は、興味津々でファリスの髪、肌、目を遠慮無くながめまわす。
  確かに、ファリスの容貌――シルバーグレイの髪に褐色の肌、紫水晶(アメジスト)を思わせる澄みわたったバイオレットの瞳という組み合わせは、遺伝学的に見ても極めて珍しい。というより確率的にほぼ有り得ないだろう。隣に座っていた母親が娘の様子に気づいてたしなめる。
「あやちゃん、おねえちゃん困っているでしょ、よしなさい」
「だって、きれいなんだもん」
  そのやりとりを見て、警戒していたファリスの口元も思わずほころんだ。
「私はかまいませんよ」
「あら……。日本語お上手なんですね」
  まさか日本語で返事があるとは思わなかったのだろう。母親の方が驚いた。
「はい、日本人の先生に教わりましたから」
  ふと気がつくと、彼女に好奇の視線を投げかけていたのはその女の子だけではなかった。ロビーにたむろする周囲の大人達も、もちろんあからさまにじろじろと見つめたりはしないが、ファリスの容姿に興味を持っているのは明白のようだった。やや声を潜めて、とっておきの秘密を打ち明けるように。
「お姉ちゃんはね、ルーナライナという国の人なの」
「るぅな、らいな?」
「そう。月の国、という意味なの。アジアの中央、山に囲まれた砂漠の国よ」
  かつてシルクロードに栄えた東西交易の要地、それがルーナライナ王国である。このような異相がファリスに備わったのも、いにしえより東西のみならず南北の民が無数に訪れ、何代にも渡ってその血を残していったルーナライナの末裔なればこそである。実際、彼女の国の人々は一人一人髪と瞳の色が違うのが当たり前だった。自分の髪色と瞳が珍しいものだとは、国元を離れるまで彼女はついぞ気がつかなかったのである。
「あじあ?」
  眉根をよせて一生懸命考えようとする子供の姿に苦笑いをせざるをえない。実のところ、説明だけでルーナライナの位置を正確に把握するのは、子供どころか、大人、政治家でさえも困難なのだ。だから結局、こう言い直すことにした。
「とても遠いところにある、山と砂がたくさんある国なの」
  その説明の方がすんなりと理解できたのだろう。子供はにっこりと笑うと、
「じゃあ、きっと、お姉ちゃんはそこのお姫さまなんだね!」
  そう言った。
「なんでそう思うの?」
「だって、とっても目がきれいなんだもん」
「……ありがとう。あやちゃん」
  そう微笑んだファリスの表情は、いくつかの心情がないまぜになったものだった。
 
 
  頭上に掲げられた電光掲示板が点滅した。
  たった今予約したばかりのバスがもう到着したらしい。『トウキョウでは、バスと電車は五分に一本、必ず時間通りに到着する』……噂には聞いていたが、これも正直、旅行者のジョークだとばかり思っていた。その結果、予定時刻の10分後に来ればもうけもの、と考えていたファリスは完全に意表を突かれることになった。
  慌ててスーツケースを引っ張り起こし、携帯電話を片手のままにあやちゃんとその母親に別れを告げ、空港のゲートをくぐって外に出る。十一月の日本の冷たく乾いた空気は、もはや充分冬の気配を漂わせていたが、それまでバンコクの空港で味わっていた蒸し暑い空気に比べれば、よっぽどファリスにはなじみ深いものだった。
  初めての日本の空気を味わいつつ、重いスーツケースをようよう押し歩きながら、指定された番号が掲示された乗り場に向かおうとした、まさにその時。
「ファリス・シィ・カラーティ第三皇女殿下?」
  横合いから、英語で声をかけられた。
 
 
 
 

 ◆◇◆ 3 ◇◆◇

 
 
  ターミナルビルの前では何台もの送迎バスが大音量で行き交い、空港から吐き出された人間達とスーツケースを詰め込んでは連れ去っていた。その機械的な作業が繰り返される光景の中、その女は立っていた。
「貴女は……?」
  名前と、そして身分を知られていたのだ。思い返せば、ファリスはこの時点で踵を返して全力で空港内に逃げ込むべきであったかも知れない。だが、そのときファリスの意識は完全にその女に支配されていた。女は東洋系で、恐らくは二十代の半ば程度。長身で、高級でありながら個性を巧妙に消したビジネススーツに包まれた肢体は、肉付きが良いにも関わらず、締まるべきところが引き締まっているため、大層めりはりの利いた情熱的なプロポーションを形成していた。そしてその容貌はと言えば、端正な顔立ちにきめ細かな白い肌、海棠を連想させる唇と、つややかな黒髪の対比がなんとも艶めかしい。計算し尽くされた造形――しかし、それは端正ではあっても、3DCGや人形のような人造のものとは根本的に異なっていた。
  そこでファリスはようやく気づいた。自らの意識を引きつけて放さない、女の瞳に。
  その魅惑的な容貌と肢体よりもなお印象的なのが、その切れ長の大きな目だった。真夜中の海を思わせる潤みがかったオニキスのような瞳。その黒目の周りに、よく見れば、まるで金環食のように淡い虹色の輝きが宿っている。ファリス自身の紫の瞳も珍しいが、この女性の虹彩もそれに匹敵するほど希有なものだろう。奇妙な感覚だ――だまし絵を見ているような。その虹彩の模様や色あいを認識しようとすればするほど、そのどちらも不思議と変化していくような気がする――。
  女性は、そこでようやくファリスの当惑に気づいたように、あでやかに微笑んだ。まるで大輪のバラが開花したかのよう。
「これは失礼しました。まずはこちらから名乗るべきでしたわ。私は霍美玲フォ・メイリン。日本では霍美玲かくみれい と、呼んでクダサイのコト」
  台詞の前半は英語で、後半は日本語。英語の発音は完璧、日本語もまあ、悪くはなかった。陳腐な表現でまとめれば、蠱惑的な美女、という言葉がまさに相応しかろう。同姓のファリスですら目眩を覚えるほどの濃厚な色香なのだ。この女性に見つめられてのお願いを拒める男など、この世にはいないのではなかろうか。
  美玲と名乗った女は、硬直するファリスに実にさりげなく歩み寄ると、まるでエスコートをするかのように、ファリスの肩とスーツケースをとらえた。手にしたレンタル携帯を、思わずお守りのように抱きしめる。
「あ、あの、貴女はいったい……!?」
  この女とファリスは初対面である。断じて会ったことなどないのに、まるで旧来の親友に再会したかのような愛想の良さは何なのだろう。
「もちろん、アナタを迎えに来たです。さ、こちら、ドウゾドウゾ」
「ちょっと……」
  ただでさえ混雑する空港の出入り口では、出迎えの車が停車することは許されない。だというのに、女が手を挙げると、まるで魔法のようなタイミングで、艶消しの黒塗装をされたリムジンが滑り込んできた。停車した時には後部座席のドアが開いており、ファリスがそう認識したときにはすでに、彼女の身体は後部座席に押し込まれていた。
「まさか、貴女たちは……!」
  ファリスがそう叫んだときには、美玲が続いて後部座席に乗り込みドアを閉め、スーツケースはトランクに格納されていた。最初に声をかけられてから、この間わずか十五秒。芸術的なまでの流れ作業だった。周囲でバスを待っていた誰一人として、ファリス達に気づいた者は居なかった。
  抵抗は出来なかった。それどころか、抵抗しなければと考えることすら出来なかった。女性の海外一人旅、ましてや、ファリスはただの気軽な観光旅行者ではないのだ。十二分に警戒していたはずの彼女でさえ、女の印象に呆気に取られ、気がついたときにはリムジンの後部座席に押し込められていたのである。……断じて、素人になせる芸当ではない。
  つまりは――
 
  人さらいのプロ。
  その認識が、ファリスの心を一瞬で絶望へと塗りつぶした。
 
 
 
  ナリタ空港と都心を結ぶ東関東自動車道を走るリムジン。
  その内装は、成田空港から出発している”リムジン”バスなどとは異なり、実に豪華なものだった。運転席との間には仕切りがもうけられ、ハイビジョンテレビとオーディオセット、ワインクーラーまで設えられており、後部座席に座る三人の賓客をもてなせるようになっている。だが、後部座席に両脇を挟まれた格好でシートベルトを装着させられて座らされているファリスにとっては、リラックスなど出来ようはずもない。
「貴女たち、いったい私に何の用ですか」
  しごくまっとうな質問にも左隣の女……霍美玲かくみれいとやらは、微笑を浮かべるだけで答えようとはしない。そのくせに、ファリスが何か不穏当な動きをすれば、即座に押さえ込んでしまう気がする。今パニックに陥ったら終わりだ。胸の中で凄まじい速度で膨れあがる焦りを必死に押さえつけ、ファリスは呼吸を整える。何か出来ることはないか。
  ハイビジョンテレビに眼を転ずると、分割された大画面に、刻々と移動するカーナビの地図、幾つかのウェブサイト、そしてテレビ番組が映し出されていた。カーナビなら彼女の国でも見かけないことはなかったが、こんなテレビは、そもそも車内に設置しようという発想が出てこない。
「……手荒な真似をして悪かったな」
  右側からかけられた唐突にかけられた声が、ファリスの思考を現実に引き戻した。右を向けば三人掛けのシートの左側には、ひとりの男が座っていた。……いや、落ち着いてよく見れば、それは男と言うより、少年というべき年齢の若者だった。
「あんた個人に危害を加えるつもりはないが、急いでいたんでな」
  ぶっきらぼうに声をかけつつ、ファリスとはなぜか視線を合わそうとしない。
  すると左隣の美玲が、たしなめるように口を開く。
「坊ちゃま、そういう時、王様しゃべらず、どーん、かまえている方が格好いいのコトよ」
  にこにこしながら美玲。英語を流暢に喋っている時は王族の風格すら漂わせるのに、日本語を使用すると、妙にたどたどしく、あどけない口調になってしまうようだった。
「坊ちゃまはやめろ。それから俺にはそんな虚仮威しは必要ない」
  そう返答した声は、やはり少年のものだった。
  歳の頃は十代の後半。もしかしたら、ファリスよりも下かも知れない。小顔と大きな瞳は、ややもすると童顔ととれなくもないが、への字に引き結んだ唇と、不機嫌そうにつり上がった目つきの方が、良くも悪くもその印象を裏切っている。体格は同世代の少年と比較すると小柄な部類に入るだろうか。服装はジーンズにスニーカー、パーカーとごくラフなもので、行儀悪く足を組んで広い車内に放り出している。だがこの高級車の車内でそんな仕草や服装をしていても、まったく浮いた印象はなかった。その原因に、ファリスはすぐに気づくことが出来た。ひとつは、服装はラフな印象を与えるようデザインされているだけで、その実すべてテイラーメイドの高級品であること。そしてもうひとつは、少年本人が身に纏っている気配だった。ファリスの知人にも同じ雰囲気の人間が何人もいる。高級なものを使うこと、人にかしずかれることを幼少の頃から「ごく当然のこと」と受け止めて育ってきた、高貴な血筋の者が持つ気配。ファリスは少し作戦を変えてみることにした。
「すでにご存じのようですが、私はファリス・シィ・カラーティ。ルーナライナ国王アベリフの第三皇女にして、大帝セゼルの系譜に連なるものです」
  公式の名乗り。ファリスと目線が合いそうになると、少年はちっ、と舌打ちをして、視線をハイビジョンテレビに戻した。そのまま言葉を続ける。
「なら、こっちが名乗らないのはフェアじゃないな。……俺はりゅうりゅう颯馬そうまだ。あんたには、華僑ゆかりの者、と名乗るのが一番判りやすいかな」
 
 
 
 

◆◇◆ 4 ◇◆◇

 
 
  華僑。
 
  その言葉を聞いて、ファリスの中で膨れあがっていたパニックは急速に収まっていった。不安が解消されたから、ではない。不安が現実のものになったからだ。
  わかってはいたことだ。
  そもそも気軽な海外旅行などではなかったのだから。
「では、貴方がたは、叔父様の差し金なんですね」
「……さてね。俺から出せる情報はここまでだ。これでイーブン。あとはあんたがあんたなりに知恵を絞るべき事だろ」
  少年はひとつ鼻を鳴らすと、今度は視線を窓の向こうを流れる風景へと転じた。すると女の方が困惑したように眉をひそめる。
「坊ちゃま。ソレ、フェア言わないのコトよ。せっかくこちらが先手打ったのに、モッタイナイね」
「坊ちゃまはやめろと言っただろ!いいんだよ、どうせこっちが質問すれば俺達が何者かなんてすぐにわかっちまうことなんだから」
「だったら、なおさら坊ちゃまが教えるコトないね」
「うっ、……うるさいんだよ美玲は!早く聞き出すことを聞けっての!!」
  華僑の差し金。そう聞いて黙って座っているわけにはいかない。たとえ一欠片でも、情報を集めたければ。
「教えていただけませんか、颯馬さん。叔父様はどうして私が――」
「ち、近づくなよ!」
  思わずファリスが身を乗り出すと、颯馬と名乗った少年はまるで猛獣に襲われたかのように、狭い車内で大きく飛び退いた。
「……あの、颯馬さん?」
「あ、気を悪くしないでクダサイ。坊ちゃま、いわゆる一つの、女ギライね」
「お、女嫌い……ですか」
  すると、颯馬の顔がみるみるしかめっつらになる。
「っせぇな!女なんぞと話をすると、ロクなことがないんだよ。あんな顔を合わせれば食い物と恋愛の話しかしない奴ら!」
「いわゆる一つの、思春期におけるテンプレですネ」
「はあ」
「黙れ美玲!そもそもお前が日本に来てから俺につきまとうから、学校で俺が――」
「ヒドイです坊ちゃま、ワタシ坊ちゃまのお世話役として育てられたのコトよ。子供の頃は一緒におフロ、入って、洗ってあげたのに」
「だからそういうことを人前で言うんじゃないっ!」
  顔を真っ赤にしてうろたえる、颯馬と呼ばれた少年。
「何やら……その、大変そうですね……」
  呆気にとられた態のファリス。だが、颯馬の年相応の仕草に気を弛めてしまったのは、迂闊と言うべきだったろう。
「――ええ、大変なのです。だから仕事は早く終わらせないと、ね」
  たどたどしい日本語から一転、ぞくりと肌が泡立つほどの妖艶な英語の発音。 
  気がつくと、美玲がするり、と身をこちらに寄せてきていた。
「すみませんね、日本語はまだ覚えたてですの。貴女が英語を理解できて助かりますわ」
  声のトーンが落ちると同時に、ビジネススーツにつつまれた豪奢な肢体が、肩に、二の腕に、太股に密着する。
「……それでは、お話しと参りましょう。まず要求を伝えなければ交渉も始まりませんし」
  ファリス・シィ・カラーティ、十七歳と十一ヶ月。今までの人生で女性に性的な興味を覚えたことは断じてない、はずなのだが、思わず息を呑んでしまう。その隙をつくように、鼻腔に侵入してくる匂いが鼓動を早める。香水か。いや、そんなにどぎついものではない。たぶん服に炊き込めた香。それも、自らの肌の匂いを熟知し、それを最大限に活かすよう調整された――
「貴方がはるばる持っていらした、”鍵”……興味がありますの。渡していただけません?」
  吐息と共に耳元に流し込まれる、可聴域すれすれの、ささやくような声。本能的に聞き取ろうと集中してしまい、そして、罠にはまる。
「それは……」
  銀髪の少女と黒髪の女が身を寄せ合う光景は、もしも他に見る者が居れば、男性女性問わず胸の奥のなにやら不健全なものをかきたてられたかも知れない。ファリスは自分でもびっくりするほど容易に、「はい」と返事をしかけて、慌てて首を横に振り、体を離す。今自分は、何をされたのか。
「……ううん、やっぱり同性には効き目薄いですね。自信はあったんですが」
  見れば美玲が、悪戯に失敗した少女のような照れ笑いを浮かべている。
  人間の五感というものに対して、千年以上の長きに渡って積み上げられた研究の成果。
  触覚、嗅覚、聴覚。ヒトは何を快とし不快とするかを徹底的に調べ上げ、その成果を以て、快い声、快い触感、快い香りを自在に操り、他者を翻弄し魅了する。この女にとってはごくごく初歩の”技術”にすぎない。
「やはり、こちら・・・で伺った方が健全ですわね、色々と」
  苦笑を収めると、美玲は今度は一転して、静かにファリスの瞳を覗き込んだ。
「……っ!」
  直観的に危険を察知した。だが遅かった。ファリスのアメジストの瞳と、美玲のオニキスの瞳が正対してしまった瞬間、吸い込まれるように視線が固定された。黒い瞳と、その周囲を金環食のように薄く縁取る虹色の紋様。その模様や色あいを捉えようとすればするほど、そのどちらも不思議と変化し、追えば追うほどに意識を絡め取られてゆく。脳内のうち視覚を司る部分が、否、それどころか他の知的活動を行っている領域までがすべて侵入され、占領されてゆく感触。苦痛も、不快感もないところが逆に恐ろしい。
「…………貴方は、何者……っ」
  舌を動かすだけでもすさまじい努力が必要だった。
「私の『眼』を見ながら喋ることができますか。その意思の強さ、さすがに”鍵”を託されるだけのことはあるようですわね……ま、それも時間の問題ですけれど」
  驚いたような美玲の声。目の前で喋っているはずなのに、はるか遠くから響く。自分が幻惑に囚われつつあることを自覚しつつも、その”自覚”を構成する脳神経すらも溶かされてゆく気がする。
「もう一度お願いしたいのです。貴方の”鍵”……渡してくださる?」
  ささやき声が何重にも脳内に反響する。意識はたちまち塗りつぶされてゆく。与えられた命令コマンドを検証することなど思いつく余地もない。
「”鍵”は……”鍵”は私が……今……」
  頼まれたことをするだけ。何の問題もないはずなのに。
「ええ。渡してくださいますよね?」
  でもそれは。お父様と、街のみんなの願いが。いなくなる子供と、出て行く若者。誰にも泣いていて欲しくない、あれが最後の――
  その時。
 
『いやーどうも!お久しぶりっスねぇ美玲さん!』
 
  妙に軽薄な男の英語が、唐突に大音量でびりびりと車内に響き渡った。
『お取り込み中のところ失礼します!ってかそんなおいしいシーン。ギャラリーが童貞の颯馬だけ、ってのは勿体ないにも程がある!とここでおれは力説したいわけなんですよ!』
  美玲が反射的に音の方向へと視線を逸らす。その瞬間、ファリスは幻惑の檻から解放され、正気を取り戻した。とたんに、まるで数キロを泳ぎ切ったかのような疲労感が脳裏に押し寄せてくるが、声の方向を確かめないわけにはいかなかった。
  そこにあったのは、リムジンに備え付けのハイビジョンテレビとオーディオセットである。だが先ほどまでニュースと地図を写し出していたはずのその画面には、ノイズの砂嵐が踊り、オーディオセットから最大音量で、皮肉っぽい青年の声が流されていた。
「……あらその声。どなたかと思えば『人災派遣』の亘理さんじゃありませんの。お呼びした覚えはありませんけれど?」
  恐らくは不慮の事態のはずなのに、おくびにも出さず嫣然と笑みを浮かべる美玲――そして、先ほどから一言も発しないまま、への字をかすかに笑みの角度に釣り上げる劉颯馬。
『すみませんね、おれもお騒がせをするつもりはなかったんですが。実は先ほど、遠路はるばる来日いただいたウチのお客さんが、空港に着いたとたん、土地勘のない外国人を相手にするタチの悪いポン引きに絡まれたってえ話を伺いまして、あちこち探し回っていたというわけですよ』
  まるで原稿でもあるかのように、すらすらと並べ立てる青年の声。
『んでまあ、調べてみれば、ウチのお客さんが美玲さん達の車に保護されているじゃあありませんか。さっすが、華僑の流れを汲み、義と侠を重んじる好漢武侠が集まるマンネットブロードサービス社のエース社員。ココロイキからしてひと味もふた味も違いなさる』
  颯馬の唇は、いまやはっきりと笑みの形を作っていた。
『そのうえわざわざ『双睛そうせい』と『朝天吼ちょうてんこう』の二人までが護衛についていただけるとは、ありがたいことこの上ない。イヤほんと、空港のしょうもないポン引きどもに爪の垢でも飲ませてあげたくてしょうがないですね』
「そうですか、この方は貴方のお客さんでしたの。たまたま・・・・空港でお知り合いになったのですけど、それはまさしく奇遇ですわ。ではいったん弊社にお連れした後、せっかくですから少しお話・・して、改めて御社に送り届けさせていただきましょう」
『あーいえいえ!美玲さんにわざわざそんなお手間を取らせるのは申し訳ないですよ。たまたま・・・・おれ達も近くにいましたので……』
  そこで一拍置く、亘理と呼ばれた青年の声。颯馬が組んでいた足を解き、かすかに呟く。――「来るか」と。
『ウチの若いのを迎えに寄こしました』
  申し合わせたように、運転席から入る通信。
『美玲様!高速道路の路上に人影が……!こ、子供……いや、学生?』
「轢きなさい」
  即答であった。
『は!……は!?いや、しかし!』
「それでちょうどいいくらいよ」
『で、ですが……ば、ばかな、子供がこっちに向かって走って――!』
  それ以上の報告は必要なかった。
  何しろ、轟音と共に通信そのものを遮って、粉々に砕け散ったフロントガラスの吹雪と、叩き割られた仕切り板を巻き散らかし、『殺捉者』――七瀬真凛がドロップキックの体勢まま後部座席に飛び込んできたので。
 
 
 
 

◆◇◆ 5 ◇◆◇

 
 
「おーおー、派手だねぇまったく」
  身を隠していた中央分離帯の植え込みから身を起こし、このおれ、今日も今日とて清く正しく強制労働に勤しむ学徒、亘理陽司は呟いたのであった。マイク代わりに口元にあてていた多機能携帯『アル話ルド君』のチャンネルを切り替え、軽くお礼を述べる。
「ターゲットと接触完了。回線への侵入、カーナビネットワークへのダミー情報、ありがとうございました羽美さん」
『くかかかか!なんのなんのお安い御用であるよ。車載無線のくせにファイバーケーブル並の通信速度を得ようなどと無理を考えるから、セキュリティが穴だらけであったわ。技術の限界をカネでカバー出来ると思う連中にかける情けは無しッ!あとそれはそうとしてこの後一風堂の”からか麺”をフルオプションでおごれ』
「……そこは可及的前向きに善処する可能性を粛々と検討するのもやぶさかでなく」
  お役所的な否定の返事を投げておいて回線をオフにし、『アル話ルド君』を胸ポケットにねじ込む。視線の向こうには、たった今凄まじいブレーキ音を立てて緊急停車したリムジンが一台。――さて。お仕事開始と行きますか。
 
 
  成田空港に急行する際に相手車両の移動情報をつかみ、反対車線で緊急停車。中央分離帯で待機しつつ待ち伏せ。それがおれの選択した作戦である。ちなみに羽美さんにカーナビの渋滞情報にダミーを流してもらったおかげで、しばらくは後続車両がこないはずである。
  がしかし、自分の指示とはいえ、時速百二十キロ近くで突っ走るリムジンのフロントガラスに、真っ正面からドロップキックで飛び込んでいけるウチのアシスタントは度胸が良いというかなんといか。むしろヒトとして大事なものが何か抜け落ちているのではないかと心配にならざるを得ない。一応、当人いわく、フロントガラスの硬度と、比較的柔らかな内装で衝撃が吸収できるという野生の本能の確証があったのだそうだが。
「もっとも、足止めにしかならないだろうけどな……やっぱり」
  緊急停止する直前、後部座席のドアがほぼ同時に蹴り開けられ、女性……霍美玲さんと、少年……劉颯馬がそれぞれ飛び出してゆくのが見えていた。ガラスが割れた時点で即応し、真凛に車内に飛び込まれる前に脱出したのだ。時速百キロ超の車から投げ出されたというのに、二人とも受け身をとって鮮やかに衝撃を殺し、即座に立ち上がれるあたりはさすがである。おまけに美玲さんと来たら、転げ回ったはずなのにスーツに汚れすらほとんどついていない。おれは停止している車の運転席のそばまで移動。ドアを開け、気絶している不幸な運転手さんのシートベルトを外すと丁重に車外に降ろした。なんだか最近、車強盗の手口ばかり慣れている気がしないでもない。そこでおれは、近づいてきた美玲さんに牽制がてら英語で声をかける。
「お久しぶりです美玲さん。『双睛そうせい』とまたお会いできるとは、今日のおれは実についてる」
  本当はさっさと運転席に乗り込んでしまいたかったのだが、美玲さんの『間合い』はかなり広い。警戒するに越したことはないし……何より美人と会話できる機会を放棄する理由はどこのポケットを裏返しても見つかるはずがない。
「お久しぶりね。亘理サン。こないだのシンジュク清掃キャンペーンの時以来ネ」
  美玲さんが日本語を喋ったことに、おれは少なからず驚いた。
「あれー……半年前は喋れなかったはずですが」
「ハイ!あれから半年、イチから勉強したのコト。ガンバリました!」
  そうですか。ちなみに大人の女性の声でそのしゃべり方、すごくイイと思います。
「まあ、貴女と、あの街の『玉麒麟』チュウ姐さんにはずいぶんとまたお世話になりましたからね。こちらも忘れようもありません」
「こちらも同じネ。おかげで坊ちゃまが――」
「ようやく会えたな、亘理陽司!」
  パーカーにジーンズという格好の小柄な少年、劉颯馬が割って入る。おれはにやりと笑みを浮かべ、とりあえず礼儀正しく社交辞令をかわすことにする。
「よお颯馬。あれから半年、少しは背ぇ伸びたか?」
「っ!……相変わらず無礼な男だな、お前は」
  こいつの身長は同年代の平均より多少低い程度なのだが、どうも本人は過剰に気にしているらしい。
「いつぞやの新宿での戦いは、お前の卑劣な策略に不覚を取った。けどな、俺個人がお前に負けたわけじゃないぞ」
「……いやあだからさ。戦いと考えてる時点でお前とは世界が違うんだって。こっちはあくまで仕事なんだからさ」
  そういう勝った負けたの次元の話は他所でやっていただきたいものである。
「黙れ。お前達とまたまみえるこの時を、半年間待ったのだ。今度こそフェアな戦いをさせてもらうぞ」
  そういうと颯馬はどっしりと腰を落とし、ゆるやかに息吹を整える。年相応の未熟な怒り。だがそれに付随する殺気は、断じて街の不良少年のそれではない。おれは表面上は軽薄な表情を作りつつ、油断せず美玲さんに声をかける。
「さて、こっちはお客さんをお迎えに伺っただけですので、用件はすみました。あとはこちらで連れて帰らせていただきますので」
  ちらりと車内に視線をやる。後部座席の真ん中の少女……銀髪に褐色の肌という異相の娘は、運転手ともども、急停止の衝撃で気を失っているようだった。
「いえいえ!大事なお客さん、事故に遭わせたのコチラね。このままだとワタシ達、立つ瀬ないヨ。こちらで介抱するね」
「いやいや、これ以上お手間を取らせるのは心苦しい」
「ダメダメ。せめてこれくらいはやらせて欲しいのこと――」
  おれ達が白々しい日本的ご謙遜を応酬する横で、滑るように颯馬が動いた。
 
 
  彼我の距離は七メートル。
  何を仕掛けられても反応は間に合うと踏んでいたのだが、颯馬の動きは予想以上に滑らかで、隙のないものだった。
  おれは咄嗟に、開きっぱなしだった後部座席のドアを盾として、その後ろに回り込んだ。相手の視界をさえぎり、かつ攻撃を和らげる防具にもなる。咄嗟にしては我ながらよい反応だったと思う。
  ――相手が『朝天吼』劉颯馬でなければ。
 
「ぎ……っ!」
  四征拳六十五手の十一、『落鵬敲水』。
  内家拳法家が勁を込めて放つ拳。その衝撃は『殴る』というより、『押し込む』に近い。『硬く』も『鋭く』もなくただ、『重い』――例えて言うなら、三階から落ちてきた重さ70kgの砂袋に運悪くぶつかってしまったような一撃。ぼくん、とおぞましい音をたてて、リムジンのドアがなにか巨大な鉄球でもぶつけられたようにひしゃげる。そして減少することなく、そのままおれにのしかかってくる莫大な力積。右肩から背骨、腰、左の太股へとかかる凄まじい負荷に、たまらず膝が挫けた。
  いかに硬い鎧を身につけていようと、鎧ごと『押し込まれて』しまえばダメージを殺すことは出来ない。高速で全身を沈み込ませることで己の体重を一瞬数倍に増加。重力という『天の気』を、強靱な足腰で受け止め、大地の反発力『地の気』を以て拳より送り込む、凄まじい練度の沈墜勁ちんついけい
  『朝天吼』――天と地をつなぐ柱となる獣。ファンタジーでもなんでもなく、事実『天地の気を操る』この少年、劉颯馬に相応しい称号と言えよう。
  ひしゃげたドアが千切れ、吸い込まれるように地面にへばりつく。おれはと言えば、見えない巨人に襟首を引っ張られたように、五、六歩後ろによろけ、そのまま無様にすっころんだ。内臓を強く圧迫された感覚。奴らの言葉で言えば『気を乱された』状態だ。こりゃあ、後遺症残るなあ……。
「お前に不覚を取ってから、師父に学びなおし、死ぬ気で練り直した歩法だ。半年前とはひと味違うぞ!」
  転倒したおれの側に、すでに接近している颯馬。やれやれ、確かにやる気は充分らしい。振り上げられる右脚。――さすがにまずい。あれ程の沈墜勁を生み出せる脚で踏み抜かれれば、それだけでおれのアバラと心臓はご臨終確定である。
「ちょおっと待ったぁ!」
  それを妨害する、後部座席からすっ飛び出てきたドロップキック第二弾。
「出てきたな七瀬っ!!」
  片足を挙げていた颯馬にかわす術はなく、咄嗟に腕を上げてガード。それでも姿勢が崩れないあたりが練りあげられた内勁の凄まじさか。
  ドロップキックを決めた体勢から、落下するまでに一回転して両脚で着地する。こんなふざけた真似をやってのけたのは、律動的に踊るショートカットが印象に残る高校生、七瀬真凛だった。
 
 
 
 

◆◇◆ 6 ◇◆◇

 
 
「やっほお、ひっさしぶり颯馬!!またキミと手合わせできるとはね!」
  満面に物騒な笑みを浮かべ、猫のように全身の毛を逆立てる真凛。今日は早朝にフットサルの試合があったとかで、そのユニフォームをそのまんま着ていたりする。ちなみに解説しておくと、こいつがこの仕事におけるおれのアシスタントである。
「……お前との立ち会いも待ち望んでいた!夷蛮戎狄を征する我が『四征拳』。前回は水入りだったが、日本の傍流の武術如きに遅れを取ったまま退く道はない!」
「そーだね。ボク的にもアレ、ショウカフリョウだったしね!今日は白黒つけよっか!」
  のっけからテンション最高潮で吼え猛るお子様。一応もうひとつつけくわえておくと、実はこいつ、意外にも生物学的分類ではギリギリ女性にカテゴライズされるのである。
「遅いよお前!車内で何やってたんだ」
  おれの抗議に、真凛が視線も返さずに答える。
「テレビのケーブルが足にからんでたんだって!あとあの女性ひとのシートベルト外してあげたんだよ、苦しそうだったし!」
「ば……」
  バカ、んなことわざわざしなくていい、言わなくっていい!
  真凛の襲撃の際、颯馬と美玲さんがこの少女を抱えて飛び降りることが出来なかったのは、彼女がシートベルトをしていたせいだ。そうでなければ、彼女は美玲さんか真凛のどちらかの取り合いになっていただろう。それが外れたとなれば――
  待機していた美玲さんが、すっと動いた。まだ例の少女は後部座席の真ん中。おれ達の反対側から回られたら打つ手がない!
「おい真凛、颯馬は任せ……っ!?」
  立ち上がろうとして、脇腹のあたりにずきりと走る重い痛み。まずい。さっきの一撃が、時間をおいて単純な衝撃から内臓の不調へと転化したらしい。衝撃を内部に染み渡るように撃つことによる、自律神経や臓器へのダメージ。これが勁を込めた一撃の恐ろしいところだ。肝機能あたりが低下しているのか、額からどっと冷たい脂汗が吹き出してくる。
「……〜〜っ!!」
  腹の調子がよくない状態で大渋滞に巻き込まれて二時間くらい監禁された時の、あの絶望感を思い出していただきたい。ふくれあがる疼痛に、叫び声を挙げることもままならない。それでもおれはつんのめるように前進し、後部座席の反対側のドアの側になんとか移動出来た。一気に距離を詰めてきた美玲さんに先回りできたのは、単純に距離の差のおかげである。そのまま車体によりかかり、肉の壁となったおれに微笑む美鈴さん。なんとはなしに、胸ポケットのあたりをまさぐるおれ。
「そこ、どいていただけないのこと?、亘理サン」
  その笑みは変わらずあでやか。
「おれもそうしたいです。マジで。……でも仕事なんですよねぇ」
「……お腹、踏んじゃうデスよ?」
  十秒、ってところかな。
「素足ならむしろお願いします。黒ストッキングならお金も払います。でもヒールはちょっと……今は勘弁して欲しいっすかね」
  おれの真心をこめた返答に、美玲さんはにっこりと微笑むと。
「ごめんなさいネ」
  遠慮仮借の一切ない、実に切れ味鋭い弾腿キックをおれの腹に叩き込んだものである。
 
 
  そんなおれの苦境も目に入らず、真凛と颯馬はとっくに二人だけの世界に入り込んでいた。因縁持ちの戦闘狂バトルジャンキー が二人、いずれもストッパー不在となれば、もはや気化したガソリンが充満する中で火打ち石をこすり合わせるにも等しい状態である。
  互いの間合いと呼吸をはかることしばし。双方の得手が近接戦闘なのだ。どちらが提案することもなく、吸い込まれるように交戦エンゲージするのは必然であったとも言える。
 
  ――口火を切ったのは颯馬。
  初手は得意の十一手『落鵬敲水』。沈墜勁を乗せた重い一撃で真凛の両腕をはじき飛ばすと、一転して軽功を効かせた七手『飛鴻弄雲』で鋭く攻めたてる。脱力した両腕から繰り出される、嵐のような無数の鉤手、掌打、劈拳、把子拳。手数を稼いだだけの軽い拳と油断し守りを怠れば、たちまち必殺の威力を伴う套路コンビネーションに化けるという、剣呑極まりない技である。
  対する真凛、空手の掛け受けの要領で、内から外側へと攻撃を掃き出してゆく。
  もともと戦国時代の組み打ちをベースとする七瀬の守りは、剣や槍など一撃必殺の武器への見切り、封じが主体であり、このような手数の多い技への対処法は比較的少ない。
  だが、真凛はすでに本質を捉えている。手数の多さはしょせんフェイント。そこに混じった套路コンビネーションに繋がりうるほんものを見抜けば恐ろしいものではない。虚実を見抜く方法。それは技の形でも振りの速さでもなく――
  呼吸と重心!
  無数のフェイントを巡らしつつ、颯馬が僅かに呼吸を落とし、重心の意識をこころもち前方に傾けた瞬間、芸術的な合わせで真凛が右の掛け受けを変化させ、倒れ込むような拳打と為して突き進んできた。
  七瀬の技の一つ、『生木割なまぎざき』。左の掌は右の肘に添えられている。ガイドとして伸ばした右の拳が敵に接触した瞬間に、左の掌で肘を渾身の力で押し込むことで、命中が確定した後で全力攻撃を選択出来るという殺し技の一つである。一度重心と意識を前に傾けてしまった颯馬に、後ろや左右に体を逃がす余裕はない。
  だがそれは囮だった。
  確かに颯馬は重心を前に倒していたが、同時に攻撃のための右腕を大きく外へと振り回し、遠心力を得ていたのである。結果、右腕に引っ張られるように斜め前・・・にかしいだ颯馬の体は、真凛が繰り出した拳をすれすれでかわす結果となった。そして、上半身が崩れてもなお揺るがない、柔らかく強靱な颯馬の足腰。
  深々と交錯する間合い。
  すれちがいざま、颯馬が会心の笑みを浮かべる。
  空気を掻くように振り回された右の掌が、たっぷりと遠心力を乗せて、両腕を突き出したままの無防備な真凛のおとがいへと奔る。
  四征拳六十五手の二十四、『佳人仰月』。 
  雅やかな名前とは裏腹に、勁を乗せた掌を高速で顎の骨にひっかけ振り抜き、そのまま頸骨を回転させねじ折ってしまうという、こちらも殺し技である。
 
  凄まじい音が、真凛の顔面で弾けた。
 
 
「――で。退いて頂けると嬉しいのですけれど?」
  本気を出すと共に、まだ慣れない日本語を破棄したのだろう。ゾクゾクするほど硬質の発音で、極上のおみ足をおれの前に無防備にさらけ出しながらのたまう美玲さん。
「………………いや、マジで……容赦ないっすね」
  素晴らしく遠慮のないキックのダメージが、腹にじんじんと広がっている。多少でも手加減してくれるのではないかと、心のどこかで期待していた甘い自分に腹が立つ。そして、それでもスーツのスリットからのぞくおみ足を目撃できたことを歓んでいる自分を、心の底から愛してやりたい。あと四秒。
「こう言っては何ですが、現在の貴方にこの状況をひっくり返す手段があるとは思えませんわ。ここからは蹴られ損ですよ?」
「……まあ、多少は粘ってみたくもなるじゃあないですか。何しろお姫様の前でカッコをつけるチャンスなんて、現実ではそうそうない」
「当のご本人は気絶なされているようですけど」
  無言のまま、二秒ほど経過。やがて美玲さんは、諦めたようにため息をついた。
「仕方ありませんわね。こちらの方法で退いてもらうしかないようですわ」
  そう言うと、美玲さんはおれの方へ、わずかにその端正な顔を近づける。その両眼に灯る、淡い虹色の輝き。その眼を見てしまった者は、幸福感に満たされたまま、彼女に永遠に隷属することとなる。
  そう、貴女は実に素敵な女性ですとも。
  最終的には暴力に頼らないあたりも含めて。
「――実はこちらには、こんな手もありまして」
  目を合わせる直前、おれは胸ポケットから『アル話ルド君』を抜き出していた。背面に取り付けられたCCDカメラの上には、LEDの白い点滅。
「それはっ……!」
  コンデンサへの充填、完了済!
「はい、チーズ!」
  おれに向けて瞳を凝らしていた美玲さんの反応は間に合わない。ボタンを押し込むと同時に、プロ仕様のストロボすら遙かに上回るまばゆい閃光が、美玲さんの虹彩を染め上げた。
 
 
 
  ……一拍の空白の後、飛び退ったのは颯馬の方だった。右の拳を引き、その表情に嫌悪をあらわにする。
「下賤な真似を……!!」
「ざんねん。前歯四本と小指薬指のとっかえっこだったら、悪くないと思ったんだけどなあ」
  口の端に小さく膨れた血を舌でなめとり、不敵な笑みを浮かべる真凛。
  顎に掌が伸びてきた瞬間、真凛は迷わず口を開き、指の噛みちぎりを敢行したのである。もちろん、頸椎を折ろうとするほどの一撃に噛みつくのだ。歯の何本かは根こそぎ持って行かれるだろう。だが、それと引き換えに、『拳や武器を握る』という行為の要となる小指を奪うことが出来る。武術家的には魅力的なトレード、というわけだ。勿論、おれは死んでも実施したくないが。それを察知した颯馬が、すんでに指を引っ込めたために、結果、拳の一部が真凛の唇をわずかにかすめ、歯をかみ合わせる音だけが甲高く鳴った、という結果にとどまったのである。
「勝つためには手段を選ばない、か」
「卑怯っていう?」
「まさか。一切の言い訳が効かないからこそ実戦コレは止められない」
「だよね!でも――」
  力強く同意するお子様。だが互いが拳を構え直したところで、リムジンが唐突に動き出すと共にクラクションが大音量で鳴り渡った。
「真凛、乗れ!」
  もちろんこれは、痛む腹に鞭打って――いちおう、脳をいじって痛覚を一時遮断するという小技も使えたりするのである――運転席に乗り込んだおれの所業である。閃光を直視してしまった美玲さんは、一時的に目を覆って行動不能。
「がってん!今日はここまでだね!」
  身を翻し、急加速するリムジンに飛び乗る真凛。慌てて颯馬が歩を詰めるが、その時点ですでに時速七十キロに達していたリムジンに追いつく事はさすがに出来なかった。
「七瀬……!お前逃げる気か!?」
「ごめんね。今のボク達にとって、勝つって事はこの人を取り戻すことだから!」
「待て!俺はまだ、すべての手を見せてはいないぞ!」
  屋根の上で本心から颯馬に謝っている真凛に、やれやれとため息を投げかける。まあそれでも、ちゃんと目先の戦闘に意識を奪われずに行動できたところは、及第点としておくか。おれはアクセルを踏み込むと、一気に東京方面に向けて加速していった。……そういや、乗ってきたバンも後で回収しないと。
  ふとバックミラーを見やると、颯馬の姿は随分と小さくなっていた。だが、ドアが外れた後部座席を通じて、その声だけはいやにはっきりと届いた。
「七瀬!次こそ決着をつける!なりこそ小さいが、お前こそ俺が倒す価値のある益荒男ますらおよ!」
「小さいは余計だよ!」
  おれは思わず、屋根の上に声をかけてしまった。痛覚を通常モードに戻したので、現在進行形で痛みと気持ち悪さがぶり返してきている。
「……なあ真凛、お前、マスラオ、って言葉の意味知ってるか?」
「うん。強いヤツ、ってことだよね?」
「まあ、間違っては居ないが……」
  ……どうにも、今回のお仕事も、楽をして給料をもらうことは出来なさそうである。
 
 
 
 

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