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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第7話 『壱番街サーベイヤー』


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◆◇◆ 7 ◇◆◇

 
 
  かつて、遠く隔てられた東と西の世界をつないだ、幾条かの細い道筋があった。
 
  険しい山岳や熱砂の地平、乾いた大地の隙間を縫い、滔々たる大河を横切り点在するオアシスを繋ぐように刻まれたそれらの道筋を、ある者は一攫千金の夢のため、ある者は己の生業たる商いのため、ある者は勅命を帯びて視察のため、命をかけて往来した。
  敦煌とんこう楼蘭ろうらん烏魯木斉ウルムチ庫尓勒コルラ、トルファン、ホータン、ヤルカンド、サマルカンド、ガンダーラ、タシュケント。現在ではシルクロードとも呼称されるその交易路には、無数の人種、物資、知識、宗教、財宝が行き交い、それらを旺盛に取り込んだ都市や国家が、独特の華やかな文化と歴史を幾つも築き上げてきたのである。
  その中でも一際幻想と神秘に包まれた城砦都市が、ルーナライナである。
  都市としての歴史は三千年以上も過去に遡るとされ、中国の某古墳から出土した文献に登場する、”西方の嫦娥国”と同一であるとも言われる、まさに幻の都市。
  急峻な山脈に四方を囲まれたこの都市は、ひとたび交易路である東西の街道を閉ざしてしまえば、まさしく鉄壁の城砦都市と化す。中国を中心とした「東洋史」と、ヨーロッパを中心とした「西洋史」の歴史観に分割された日本の授業では語られる事が少ないが、中央アジアの歴史は、都市の支配権と交易の利権を奪い合う、過酷な戦いの連続でもあったのだ。そんな血塗られた戦国時代にあっても、天嶮に護られたルーナライナが陥落することはなかった。失政や政変により内側から王が倒される事はあっても、簒奪者も、あるいは後を継いだ者も、常に王族の出身者であり、他の国の者に政権を渡すことはなかった。ひとつの血族が、数千年に渡って支配者であり続けたという例は、世界史においても極めて珍しい部類と言って良いだろう。揺るぐ事なき交易の街は、黒髪の東方の文人、巻き毛の西方の騎士、北方の草原の民、南方の褐色の美姫、様々な人を受け容れ、長き繁栄を享受してきたのだった。
 
  だが、伝説の城砦都市も、交易路そのものの衰退には為す術がなかった。
  航海技術の発達により、交易の主力が陸路から海路にシフトすると、これらの交易路を利用する人そのものが少なくなっていったのだ。タタール、スクタイ、パルティア、フン族、匈奴きょうど突厥とっけつ契丹きったん、そしてモンゴル。東西双方の世界で恐れられた、「辺境から攻めてくる騎馬の民」が、歴史の表舞台から姿を消すのがこの時代である。交易路を支配、保護することで力を維持していた彼らは、交易そのものの衰退と共に力を失っていったのだ。ルーナライナもその宿命には逆らえず、華やかな交易都市は、徐々に辺境の地方都市へとその立場を貶めてゆくことになった。
  そして二十世紀。第一次世界大戦が終了し、ソビエト連邦が成立すると、この小国は中華民国とソ連という二つの大国の間に挟まれ、熾烈な重圧にさらされることとなる。交易なき交易都市は、砂漠に降り注いだ水のように、いずれ力を失い、庇護を求めてどちらかの大国の領土の一部となり、世界地図から消滅していったであろう。
  ”大帝セゼル”が即位することがなければ。
 
  カルガド・ビィ・セゼル・カラーティ。ルーナライナの何百代目かの国王で、中興の祖と言うべき人物である。彼は、さびれた地方都市の復興のため、実に劇的な手を打った。
  それは、金鉱の発掘である。
  ルーナライナを守護する天嶮の山脈、その地底に豊かな金鉱が眠っていることを、彼は突き止めることに成功したのだった。数千年もの間、人が暮らしていたにも関わらず見つけることが出来なかった金鉱を発見したことから、ルーナライナの民はセゼルを『天の目を持つ王』として称えたという。
  それだけなら、ただ幸運に恵まれた山師、と考える事も出来る。だが、セゼルの非凡さはむしろそこから発揮されたと言ってよい。産出された金を元に技術者を呼び込み、採掘技術を発展させ、人夫による細々とした肉体労働を、最先端の機械による一大産業へと生まれ変わらせた。それは同時に、貧しい小国が豊かな金の卵に化けたと言うことであり、周囲の大国の食指を動かすに充分すぎたという事でもある。セゼルは四方から突き出される外交上の威圧や軍事的な牽制を、巧みにさばき、一方に肩入れすることで他方を牽制し、ある時はしたたかに相討ちを狙い漁夫の利を得ることにより、ルーナライナの強固な基盤を、文字通り死力を尽くして築いてきたのである。八十歳で逝去するまで一流の政治家であり、王で在り続けた彼は、近代史において”大帝”の名を刻まれることとなった。
  そしてもう一つ、セゼルについて特筆すべきは、彼が王太子時代、日本に留学していたことだろう。二十代の若き日々を、セゼル王太子は日本のとある大学で学び、そこで得た知識は後の彼の経済政策、国の政治に大きく反映されたのだという。
  日本人が知らない「日本を好きな国」は、実は意外と数が多い。ルーナライナの人々にとって、日本は大帝セゼルのもう一つの故郷であり、海の向こうにある遠い憧れの地でもあった。
 
  そして、二十一世紀の今日。
  セゼルの末裔が、この地にやってくることとなったのである。
 
 
 
 
「――以上、ざっと高校レベルの世界史に絡めて、ルーナライナ王国の歴史をわかりやすく語ってみたわけだ。これでだいたい理解できたろ?」
「え!?あー、……うん、たぶん」
「多分……、って。本当にわかったのか真凛?やっぱりきちんと年表つきで説明した方がよかったか?」
「だ、だいじょうぶ大丈夫!ところで陽司、ここが気持ちイイんじゃない?」
「おぅ!?おぉー……そこ、そこがたまらん、もっと頼む」
「そう?じゃあもっと強めにいくね。これでどう?」
「おお!……いい。いいぜそれ。ああ……、最高だ」
  一応状況を説明しておくと、ここは高田馬場にある『フレイムアップ』の事務所であり、今のおれは応接室のソファーに寝そべっており、その上に真凛が馬乗りにまたがっている状態である。
「前から言おうと思ってたけど、……お前やっぱり、上手いよ」
「へへへ。そう言ってくれるなら、もっと頑張っちゃおうかな」
「……っ!やべ、アタマが真っ白になりそうだ……」
  普段のガサツな態度からは想像もつかないほど丁寧な真凛の刺激に、おれは思わず恍惚の笑みを浮かべてしまう。
「うーん。キレイに五臓六腑に気を送り込まれてたねー」
「あの一撃でそこまでか……」
「うん。とくに膀胱経ぼうこうけいがひどいことになってたから、あのままだったらトイレに行ってもおしっこが出ない体になってたよ」
「恐ろしいことを言わんでくれ……」
 
  颯馬と玲美さんとの一戦の後、おれ達は気絶したままの依頼人……ファリス・シィ・カラーティ氏を乗せたまま、一気に高田馬場の事務所まで引き返してきたのである。フロントガラスに大穴が開いた状態でのドライブはお世辞にも快適とは言えなかったが、それよりもおれは颯馬に撃ち込まれた『気』の影響が酷かった。痛みを無視して無理矢理動き回った反動もあり、二日酔いと下痢と神経痛がいっぺんにやってきたような激痛と不快感を味わうはめになりつつ、それでも車を運転し続けたのだが、事務所にたどり着くなり限界を迎え、グロッキー状態のままソファに突っ伏してしまった次第。
  こういう時には、飲み薬や塗り薬よりも、指圧やマッサージの方が効果がある。かくしておれは、真凛の実家に武術と共に伝わっているという指圧術を施療してもらっているというわけだ。経絡を押されることによって、萎縮していた臓器や混乱していた神経が、徐々に落ち着き本来の機能を取り戻してゆくのがわかる。
督脈とくみゃくに沿ってもう一周やっておくね。そのあと昼寝でもすれば、動けるようになると思うよ」
「ああ、頼む……」
  それにしてもこいつ、やたらとマッサージの類が上手いのである。まあ、こいつの武術の要諦は急所を正確に攻撃することにある以上、裏を返せばツボ押しなどは得意中の得意と言うことなのだろうが、正直、ネットカフェのマッサージチェアなどとは比べものにならない快楽に、ここ最近の徹夜やら飲み会やらの疲労も合わさって、急速におれの意識は奈落の底へと落ちかかっていった。
「ところでさっき、羽美さんがラーメンをおごれ、って言ってたよ」
「ああ……ほっとけ……どうせあと一時間もすれば忘れてるよ……」
「そうかなあ。あ、そう言えば今日の夕ご飯どうする?ボク、今日はいらないって家にいってきちゃったんだけど」
「まぁ、今日は一日仕事だったからなぁ……」
  泥のように沈みかけていた意識の中、おれは半分眠りながら応答する。
「事務所のみんなで、どっかに食べに行くのかな?」
「いや……今夜は六本木にオールナイトで特撮映画観に行くつもりだったんだ……」
  いつぞや知り合いになった水池さんからもらったチケットを使い損ねていたのである。
「オールナイトって、泊まりがけで映画を観るってやつ?」
「ああ……。メシ食いがてら……一緒に行くか?」
  ……まあ、たまにはいいか。
「あ、うん。じゃあ、そうしようか」
  どうもそういうことになったらしい。まあとにかく、今はゆっくり眠りたいものだ。
  おれは心地よい眠りに意識のすべてを委ねようとして――
「起きて亘理君。ファリス皇女が意識を取り戻したわよ」
  所長の声に、現実に引き戻されることとなったわけである。


 
   

◆◇◆ 8 ◇◆◇


 夢を見ている。
 
  これが夢だという自覚はある。明晰夢、というものだろう。
  空港にいる私に話しかけてくる、一人の女の子。
  そう、さっき出会ったあやちゃん、と呼ばれていた女の子だ。
  海外旅行から帰ってきたばかりなのだろう。
  お土産を握りしめて――現地の土産物屋で買った他愛のないもの。
  でも子供にとっては、はるか世界の彼方から持ち帰った偉大な戦利品。
  それを自慢したくて自慢したくてしょうがない。
  そう、だから目の前の、その人・・・に話しかける。
  その人は少し困ったような顔をして。
  でも子供の自慢話に真摯に耳を傾けて頷いてくれる。
  決して、まだ子供だからとか、女だからとか、三番目だからとか、母親が違う・・・・・なんて理由で分け隔てをしない。
  だから私は・・、その人が大好きだった。
 
  ――ああ、あれは私だ。
  いつの間にか、あやちゃんは子供の頃の私に。
  彼女の話を聞いていた私は――私の一番大切だった人になっていた。
  辻褄が合わない。
  変だ。
  ――ああ、これは夢だったっけ。
  夢なら配役が入れ替わるのもしょうがないか。
 
 
  空港で他愛の無いおしゃべりが続く。
  でもおかしい。
  さっきまで私は、迎えに来てくれたあの人にお土産の自慢をしていたのに。
  いつの間にか、私が、海外から帰ってきたあの人を迎えたことになっていた。
 
  ――まあ、しょうがない。夢なんだから。
 
  留学から帰ってきたあの人は、すごく大人になっていて。
  ぜんぜん別の世界の人になってしまったんじゃないかとすごく不安になった。
  でも、私に話かける時の笑顔はいつもの通りで。
  なぜだか泣きそうになった事を覚えている。
  そんな私の頭を撫でようとして。
  空港にとつぜん、こわい人たちがたくさん入ってきて、あの人をつかまえてしまう。
 
 
  ――ああ、だめだ。この先はだめだ。
  私は気づく。これは何度も見た夢。
  どんな夢を見ていても、人が入れ替わり舞台が移り、必ず辿りつくあの時あの場所。
  見てはいけない。醒めなければいけない。
  いつもの抵抗。
  それはいつものように実らず――舞台が回る。
 
 
  夕日が沈む真っ赤な砂漠。
  あの人が鎖に繋がれている。
  その横で、いつもはやさしい大叔父様が、とっても怖い顔で。
「ルーナライナのきんをもちだしたばいこくど」
  そんなことを言っていたように思う。
 
  そんなに。
  そんなにしてまで守らなければならないものなのですか。
  ルーナライナの金脈は。
 
  金だけでは国は立ちゆかない。
  金があるうちにこそ、人を育てるべきなのです。
 
  いつもやさしいあの人が、血を吐くように声をしぼりあげる。
 
  それを聞いているのはお祖父様。
  私は怖くて。
  今まで大祖父様の顔を前から見たことなんてなくて。
  でも私は大祖父様に言いたかった。――何をだろう?
 
  一生懸命伝えたくても伝えられなくて。
  そして結局。
  何も大祖父様は言葉を発しなかった。
  最後の一言。
  刑を執行する命令以外は。
 
  目を閉じてはならない。
  例えそれが十にも満たぬ幼子であっても。
 
  赤い砂漠が灰色に染まる。
  音の失せた世界。
  色も失せた白黒のせかい。
  急速に失せていくげんじつかん。
 
  こうぞくのしょけいはこうぞくがみとどけなければならない。
  それがさだめだから。
  だからわたしはみなくてはならない
  あのひとの   を
 
 
  おもいものがふりおろされて
 
 
  かるいものがころげおち
 
 
「――アルセス兄様!」
  私は、目を覚ました。
 
 
 
  聞くところによると、この事務所が入っているビルは、本来はマンションとして設計されたらしい。しかし諸事情があり、結局企業向けのオフィスとして貸出される事になったのだそうだ。その名残なのか、事務所の奥には六畳の洋室と和室がある。洋室はベッドと机、本棚が備えられた物置兼休憩室となっており、男衆が徹夜上等で事務所に詰める際は、ここのベッドで仮眠を取ることもしばしばである。
  いつもならここは、おれが持ち込んだ健康グッズ、仁サンが読み捨てたコンビニコミック、チーフの替えのシャツ、仮置きされた資料が散乱し惨憺たる有り様なのだが――今この時ばかりは、それらの雑多な私物はまるで神隠しにでもあったように何処かへ消え失せていた。山谷の簡易宿泊所を思わせる草臥れたフトンはふかふかの羽布団へと差し替えられ、窓際の机には、一体どこから出現したのやら、シンプルだが趣のある陶器の花瓶に南天が生けてある。ついでに言えば部屋の壁紙にこびりついていたはずのヤニの臭いも、魔法でも使ったかのように拭い去られ、今はくどくならない程度の仄かなアロマで満たされている。こういった細やかな気配りが出来るのは、もちろんおれや直樹でも、こと家事についてはそろいも揃って赤点レベルなウチの女性陣でもない。
「いやしかし、相変わらずの腕前ですねぇ」
「お誉めに預かり光栄ですな」
  扉の前に詰めていた桜庭さんに一声かける。我々フレイムアップの会計担当にして、事務所の一階、喫茶店『ケテル』の店主たるこの白髪の紳士こそが、小汚い雑魚寝部屋をわずか数日のうちにセンスが光る山荘の一室風に改装してのけた張本人であった。コーヒーや料理のみならず、家事全般を芸術と呼べる領域で実行できる人間を、おれは他に知らない。
「それで、依頼人さんは?」
「こちらへ」
「失礼しまーす、っと……」
  桜庭さんに従って部屋の中へ。
  ――そこに、彼女はいた。
 
「ヨウジ・ワタリさん、マリン・ナナセさん、でしょうか?」
  入室したおれ達の耳に届けられた、鈴の音のように澄んだ日本語。
  ウチの事務所の主である所長に付き添われ、羽根布団からチェックのパジャマ姿で上半身を起こしていたのは、月光を連想させる銀髪と、滑らかな褐色の肌、大粒の紫水晶アメジストの瞳の少女だった。
「ああ。……おれは亘理陽司。よろしく」
「あ、あの!七瀬真凛です!」
「私はファリス・シィ・カラーティです。ファリスと呼んで下さい」
  そう言って、現代に継がれるルーナライナ王国の第三皇女は、柔らかな微笑を返した。
「――んじゃあ、お言葉に甘えてファリス、と呼ばせてもらうよ。おれの事は陽司で頼む」
「ボ、ボクは何でもいいです」
「はい、ではよろしくお願いします。陽司……さん、真凛さん」
  下々にファースト・ネームで呼ばれても一向に気にしないあたり、先ほどの言葉はリップサービスではなく本心なのだろう。
「……きれいな人だなあ……」
  ぽかんとしたままの真凛の呟きにも、同意せざるを得ない。規格外の人間の集まるこの業界、「ハリウッド女優みたいな美人」に会う機会も時にはあるが、目の前の少女の現実離れした美しさは、映画というより、もはや絵本の世界の住人と呼ぶほうが相応しかった。
  一分一秒を争う高速道路での戦いの後、事務所に戻った途端にぶっ倒れてしまったおれはろくに彼女の顔を見ることもなかったのだが……改めて意識を取り戻した彼女と向き合うと、端正な容貌と、伝わってくる静かな気品に驚嘆せざるを得ない。資料によればもうすぐ十八歳、日本なら遊び盛りの女子高生なのだが、いやはや。
「桜庭のおじさまから伺いました。高速道路で私を助けて頂いたのは、貴方がた二人だったのですね」
  ありがとうございます、と日本語で礼を述べ、丁寧に頭を下げる皇女様。その仕草と発音、そこらの女子高生では十年かかっても真似できる気がしない。
「い、いえいえいえ!ボク達仕事ですから!ねえ陽司!?」
「そうだな。依頼人をきちんと事務所に連れてくるのもサービスのうち。当然のことさ」
  おれはつとめてぞんざいな口調で返答した。今後のことを考えると、あまり堅苦しい敬語を使わない方がいいだろう。
「このような格好で失礼します。本来ならば改めて――」
「ああ、無理しないほうがいいぜ。さすがにエコノミーで何日も飛行機旅のうえ、到着したとたんに誘拐未遂と交通事故に遭遇したんだ。すぐに起き上がれって方が無茶な話さ」
  そもそも目を覚ました途端に貴人の寝室にどやどやと押しかける事の方が無礼というものだ。本来であれば、十分に休養を摂った後、応接室でゆっくり話を聞かせてもらうべきなのだが。
「あまり時間的な猶予がない仕事、ってわけですね?所長」
  彼女の傍らに立つ、おれ達フレイムアップの主、嵯峨野浅葱所長に問いかける。このところ渉外関係の仕事が多く事務所を空けていることが多かったのだが、今回は所長と、そして彼女の後見人でもある桜庭さんの緊急の招集を受け、おれ達は現場に急行させられたのである。
「そ。今回はいつもよりちょっと急ぎで、ちょっと話が大きくて、ちょっと気合の入った仕事になりそうってワケ。君たちにもがっつり働いてもらうことになるからね」
  前菜にラーメン、メインでステーキ、デザートにギョウザをつける食生活と激務を繰り返しているにもかかわらず、ちっとも崩れていないプロポーションをスーツに身を包み、あっけらかんと言ってくれやがる所長サマ。
「ちょっと、ねぇ……」
  所長が「ちょっと」と口にするのは稀な事態である。「いつも」の仕事で絞殺未遂やカーチェイスや銃撃戦をこなしている身としては、「ちょっと」がどれほどの負荷の上積みになるか、あまり深く考えたくないものだ。
「――追加報酬、出るんでしょうね?」
  緊急招集で報酬の交渉をする暇もなかったのだ。派遣といえど、これくらいは要求する権利はある、と思う。さてここから依頼人の前で醜い交渉を繰り広げなければならんか、とおれは密かに腹に気合いを入れる。しかし。
「ええ、出すわよ〜。報酬ランクA、プラス特急料金」
  拍子抜けするほどあっさりと返答なされる所長。
「……マジですか」
  その言葉に、おれとしては喜びよりも危機感を覚えざるを得なかった。つまりはかなり「でかい」仕事と覚悟せねばならないと言う事だ。
「決まり、ですね」
  となれば、本当に時間がないのだろう。報酬が確定した以上、所長と駄弁っている場合ではない。おれは早々にアタマを切り替え、仕事モードに入ることにした。
「じゃあ、ファリス、すまないが改めて、依頼の内容を聞かせてもらえないかな。あの・・ルーナライナのお姫様がわざわざこの時期にやってくるんだ。ただの観光旅行、ってわけじゃあないんだろう?」
  おれの言葉に、ファリスはしばしの逡巡の後、こくり、と明確に頷き、今回の依頼の内容を語り始めた。
 
 
 
 

◆◇◆ 9 ◇◆◇


 
「ご存知かもしれませんが、私達の国、ルーナライナは、……今存亡の危機にあります」 
  開口一番、彼女が発したのはそんな重苦しい言葉だった。
「やっぱり、状況は悪いのか?」
  おれの返答に、驚きの声をあげる真凛。
「ええ!?だってさっき、ルーナライナは王様が金を掘り当てて国を建て直した、って言ってたじゃない」
「ああ。確かに大帝と呼ばれたセゼル王によって、ルーナライナは国としての基盤を確立したんだ。だが……」
  おれは言葉を濁した。新聞を読んで国際情勢を論評するのならともかく、当事者の前であまり無神経なことは言えない。おれの逡巡を引き取るように、言葉を続けるファリス皇女。
「ですが、その繁栄はセゼル大帝が生きている間だけだった……ですよね?」
  彼女の言葉。そこには深い悲しみと、わずかな自嘲がこめられていた。
 
  シルクロードに埋もれて中世のまま時間が止まった一都市を、ソ連や中国に併合される前に、その脅威と渡り合えるような近代国家に造り替える――それがセゼルの目指した為政である。彼は掘り当てた膨大な黄金に裏打ちされた力をバックとして、政、官、財、軍の近代化に着手した。当然のことながら反発は凄まじかったらしい。門閥の貴族達、数百年前の法律と慣習を唯一絶対とする官吏達、他国の息がかかった交易商達と、彼らの供給する銃器を有する軍人達。……そして、旧勢力の利権を代表する、ルーナライナの皇族達。
「私が生まれる前から、ルーナライナでは幾度となく内乱の動きがありました」
  税制の改革、国営企業の民営化、あるいは皇族やその親族が経営する偽りの民間企業の解体。近代化とはシステムの変更であり、旧システムの支配者達が抱え込んでいる利権と冨を吐き出させることでもある。いつの世も、いずれ他国に併呑されるかもしれない危機を、現在の自分の利権が侵害される不利益より優先できる者は少ない。ほとんどの皇族は、セゼルを暴君、圧制者、裏切り者と罵り、ある者は積極的に、ある者は軍部や他国に唆されて反乱を企てた。当時のセゼルは「奴らがいる限り、ルーナライナの近代化は三十世紀になっても来ない」という発言を残している。
  これに対してセゼルが採った策は、懐柔でも和解でもなかった。徹底した弾圧と粛清。多くの皇族が反乱者として討たれ、反乱を企てたとして逮捕、処刑された。セゼルは民衆に対しては寛大で公正な王だったが、身内に対しては恐ろしいほどに容赦がなかった。国外に逃亡した者、他国と通じた者、ルーナライナの生命線である金鉱の情報や現物を諸外国に売り渡した者、王の許可無く軍備を拡張した者等は即刻死刑を申し渡し、一切の例外なく執行した。血で血を洗う、皇族同士の争い。そんな時代が二十年ほど続き、謀反の芽は摘まれ、産出される金によって産業は成長し国政は潤い、ようやくルーナライナの近代化は果たされた、かに思えた。
 
「しかし、セゼル大帝の崩御の後、その後継者を巡ってふたたび内乱が起こったのです。三ヶ月の後、セゼルが後継者に指名したルベリア第四王子が爆弾テロによって殺害されると、第一王子イシュルが即位を宣言。しかしセゼル派の大臣達はそれを認めず、イシュルをテロの主犯として逮捕、銃殺。その後も王位を巡ってしばらくクーデターやテロ、投獄が相次ぐこととなりました」
  それこそ新聞記事のように淡々と語るファリス。
「で、でも、そのルベリアさんとかイシュルさんとかって」
「――私にとっては、大叔父ということになりますね」
  彼女の穏やかな紫水晶が、その時だけ、硬質で冷たい輝きを放った。
「ただの権力争いならまだ良かったのです。しかしセゼル大帝の偉業は、一転して大きな災いの要因となってしまった」
「金鉱、か」
  それまでは皇族の利権争いなどと言っても、結局は領地の広さと畑や家畜、細々とした手工業とそこから上がる税の取り合いでしかなかった。だがしかし、セゼルが開発した金鉱は、そんなものが霞んで吹き飛ぶほどに莫大な利益を生み出すものだった。王位と、各地に点在する金鉱を手に入れた者は、標準的なルーナライナ人が千年働いても追いつかないほどのカネと力を手にする事ができる。たかだか平民や兵士の命の百や千で購えるのなら安い買い物だ。
「……そこから先はおれが語ってもいいかな。その後も王位継承者と、彼らに組みするそれぞれの勢力が衝突を繰り返し、結果、セゼル大帝の孫のひとり、現在のアベリフ王、つまり君の父上が勝ち残った。そうだろう?」
「はい。でも父は勝ち残ったと言うより、生き残ったという方が正しいのかも知れませんね」
  皮肉でも謙遜でもなく、やはり新聞記事のように淡々と述べるファリス。日本人であるおれが入手できる情報に照らしても、確かにその通りだった。もともとアベリフ王は学者肌の人で、王位に興味はなく、また継承順位も高くなかったため、海外の大学で研究に打ち込んでいたらしい。しかし権力争いで目立った候補者が軒並み死亡、失脚してしまった結果、こう言っては何だが、お飾りの王様として呼び戻されることとなったのである。
  そして皮肉にも、各勢力の妥協案として選び出されたこの中立の国王のもとで内乱は一応の終息を見せ、ようやく国は小康状態を取り戻した。それがわずか三年前の出来事である。
「とはいえ、今でも皆自分の勢力を拡大させて、金脈を手に入れようと隙をうかがっているわけだ。どうにも不安定な政情であることは否めないよなあ」
「はい。結局のところ、今の私は傀儡の王の娘に過ぎません。第三皇女などと肩書きだけは立派でも、実権はほとんどないのです」
「えっと、えらい人達が何年も金脈を取り合ってケンカしてたんですよね。ってことは今、ファリスさんの国は……」
「ずいぶんひどいもの、らしいな。駅や官公庁は焼かれ、鉄道や上下水道は断たれて復旧は進まず。首都の城壁の周りには、諸侯の争いで焼け出された人達がスラムを形成し、犯罪が絶えないらしい。市民が外出できるのは昼のうちだけ、って聞いたぜ」
  おれのCNNからの受け売りの知識に、彼女はひとつ頷いただけだった。
「――日本は、いい国ですね。明るくて、賑やかで、安全で」
「ファリスさん……」
  おれと真凛は、その言葉には容易に返事をすることができなかった。もちろん日本でも、凶悪犯罪がニュースに流れることはある。だが、本当に治安の悪い国では、凶悪犯罪などいちいちニュースでは流さない。日常の出来事なのだから。朝を迎えるたび、夜に強盗が入ってこなかったことを感謝する生活など、日本人の大多数にとっては実感できないだろう。せいぜい海外のニュースを見てああ大変だねえと共感する程度だ。おれとてそうした国を訪れた事はあるが、そこに根付いて生きていく事が出来るかと問われれば否と言わざるを得ない。
「空港で、海外旅行帰りの女の子と会いました。ルーナライナの子の多くは、あの歳くらいになると金鉱に連れて行かれて働かされます」
「ええっ、みんな学校は行かないんですか?」
「……学校は、残ってないんです。首都と、そのごく近郊くらいにしか」
「そんなことって……」
  あるのだ。テレビでもしょっちゅうやっている。ただ実感できないだけの事である。
「ん?ちょっと待ってくれ。たしかセゼル大帝は在位中に多くの採掘機械を導入し、ずいぶん自動化や効率化が進んだはずだ。今さら児童労働なんてやらせる必要があるのか?」
「内戦が激化してから、金鉱を抑えた各勢力は、採掘機械をフル稼働させるようになりました」
「まあ、そりゃそうだな。いつ他の勢力に奪われるかわからない以上、手元にあるうちに出来るだけ金を掘り出しておきたいところだろう」
「ええ。本当に。彼らは24時間休みなく採掘を続け……そして、あらかた掘り尽くしてしまったのです」
「おいおい、そりゃ本当か!?」
  公式のニュースには流れていない話だった。
「未だどの勢力も公にはしていませんが。この数年間、ルーナライナで採掘される金の量は一旦例年の五倍近くに跳ね上がった後、激減しています」
「無茶な採掘で掘れるだけ掘っちまったってわけか……」
「機械が使用できるほどの主力の鉱山はあらかた掘り尽くされ、今では各領主が、その鉱山の機械が使用できないほどの細い鉱脈や、まったく見当違いの山をカン任せで採掘しています。その労働力として使われているのが、ルーナライナの市民、そして子供達です」
「……お貴族様が市民を奴隷のように強制労働ってか。ファンタジーRPGに出てくる国の話なら、いずれ主人公が助けに来る分救いがあるんだがな」
  残念ながら二十一世紀の紛れもない現実である。
「掘り出された金はどうなったんですか?」
「恐らくは、各勢力に裏で支援をしている中国やロシアに、だぶついた所を格安で買い叩かれたのではないかと思います」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。内戦に使用される武器や弾薬はどこから?」
「それらは中国やロシア系の商人から購入しているはずです」
「……つまりそりゃ、同胞を撃ち殺すための銃器を買い揃えるために、自分とこの金山を無理矢理掘り進めてるってことになるよな?」
「その通り……です」
  ベッドの上で握りしめられたファリスの拳が、わずかに震える。
「現状は、セゼル大帝が初めに恐れていた状態なのです。王家が力を失い、諸外国にいいように搾取されている。いえ、なまじ金鉱が見つかってしまった分、予想よりはるかに悪い状態です」
「そのうえ、金鉱そのものさえ掘り尽くされてしまったとしたら……」
  おれは状況をシミュレートしてみる。ルーナライナは現在、金の取り合いで争いとなっているが、同時に金の産出国として成り立ってもいる。この状況で金が枯渇した事が判明したら、諸外国との交易は打ち切られ、後には戦争の傷跡のみが残ってしまうこととなる。政治と経済は崩壊するだろう。国土はロシアと中国に切り分けられ、国民達は難民としてキャンプにでも押し込められることになるかも知れない。国を失った人々がどれほど惨めな目に会うか想像できる人間は、戦後生まれの日本人にはいないのではないだろうか。
「だから、存亡の危機、ってわけか。ニュースで流れているよりも、よっぽど事態は深刻ってことだな」 
「えっと……国の偉い人を決めるためにみんながケンカして、ケンカをするためのお金が欲しいから、みんなが国中の金山を子供まで使って掘らせている。でも、金山そのものがもう掘り尽くされてきたから、偉い人を決めるどころか国そのものがなくなっちゃうかも、ってこと?」
「そういうことになるな。だが……」
  対策など立てようもない。森や畑であれば、乱獲を抑えてしばらく休ませるという方法もある。だが金山となれば、何年か掘らずに休ませていたら金がまた沸いてくる、ということはあり得ない。このままではどのみち、ルーナライナの滅亡は避けられないのだ。
 
 
 
「改めてルーナライナの現状が厳しいということはわかったよ。でもそれが、君が日本に来ることとどうつながるんだい?」
  ここまではすべて、状況の説明にすぎない。ここからが依頼であるはずだった。
  ファリスはちらり、と桜庭さんの方を見やった。静かに頷く桜庭さん。そしてファリスはその紫水晶の瞳で、おれをじ、と見つめる。――信ずるに足る者か、重要な事を託せる相手か、必死に自らの判断で見極めようとする目。美少女に見つめられてうれしいなあ、などと軽口を叩く気にはなれなかった。
「――今は形だけの王ですが、私の父アベリフは、セゼル大帝から一つの『鍵』を受け継いでいました」
  そういうとファリスは自らのうなじに両の手を伸ばし、銀の髪をかき上げる。露わになったすべらかな褐色の首には、細く黒いチョーカーが巻かれていた。慎重な手つきでそれを取り外す。
「真に国が存亡の危機に陥ったとき、それを使えと託された、『鍵』が」
  革の裏側に指を這わせると、そこには目立たない切れ込みがあった。ごく小さく薄いものを隠すときの、スパイ用の小道具。一国の王女には似つかわしくないもの。
「これを」
  チョーカー裏の切れ込みから引っ張り出されたのは、一枚の古い紙片だった。おれと真凛は目の前で繰り広げられる事態に呆気にとられたまま、その紙片を手にする。おれもこの仕事を初めてそれなりに長いが、まさかこんな「らしい」仕事を請け負うことになるとは。紙片を開く。そこにびっちりと書き記されていたのは、数字の羅列。
「これは……」
  おれと真凛の声がハモる。
「暗号、かい?」
  こくりと頷くファリス。
「セゼル大帝はこう言ったそうです。”もう一つの『鍵』を、極東の地へ預けた。二つの『鍵』を揃えたとき、我らが最後の鉱脈が示される”と」
  ファリスは、いや、ルーナライナ王国第三皇女ファリス・シィ・カラーティは、その紫の瞳でおれと真凛を真っ直ぐに見つめ、静かに告げた。
「ここに記されしは、大帝セゼルが唯一手をつけずに秘した、ルーナライナ最後の大金鉱。これこそが、破綻しつつある我が祖国――ルーナライナを救うための最後の希望なのです。亘理陽司さん、七瀬真凛さん。私の依頼とは、この国に隠された、暗号を解くためのもう一つの『鍵』を探すこと。即ち、貴方がたに我がルーナライナを救っていただきたいのです」
 
 
 
 

◆◇◆ 10 ◇◆◇



  日本でも最大規模の港町、横浜。
  だがその歴史は、日本の他の港町と比べると意外と短い。ほんの百五十年ほど前まで、海運の要となっていたのは北の神奈川、南の六浦であり、その中間に位置する横浜は小さな漁村に過ぎなかった。幕末の開国によって、欧米の大型商船が接岸できる国際港の必要性が高まった。そしてその候補地として、立地や政治の要因も考慮して選出されたのが、横浜だったのである。
  首都に近く、当時最新の設備を備えていた横浜港は、瞬く間に交通の要地となり、現在まで続く国際都市ヨコハマのいしずえとなった。その後は輸出入の要地であることを活かして京浜工業地帯が誕生し、ベイブリッジ、赤レンガ倉庫などの観光スポットも生まれ、商業、工業、観光業が揃った、名実共に日本を代表する港町となっている。

  そんな横浜のベイエリア、市街と港双方を一望できる位置に『紅華飯店』はあった。
  飯店という単語は、この場合はレストランではなくホテルを意味する。しかも、その実際の姿は地上五十階建てガラス張りの超高層ビルであり、中に足を踏み入れれば、最新のセキュリティと、クラシカルな調度、要所にバランス良く配されたチャイナアンティークが宿泊客に最高級の環境を提供する。もちろん隅々まで行き届いたサービスは言うに及ばず、食事は横浜中華街トップクラスの料理人の手によるもの。まさに堂々たるグランドホテルであった。

  だが、この豪華ホテルに隠された、幾つかの事実を知るものは少ない。

  この豪華ホテルの歴史は、百五十年前の横浜開港当時に遡るということ。
  当時の紅華飯店は、小さく粗末な中華料理屋兼宿屋で、創業者は、衰退していく清王朝に愛想を尽かし中国大陸から夢を求めてやって来た、とある”特異な力を持った一族”だったということ。
  彼らが言葉の通じない異国で、この料理屋を中心にして同族同士助け合って生きてきたということ。
  彼ら以外にも、新天地を求めて、あるいは国を追われて、外国人の用心棒として、様々な”特異な力を持った者”が大陸から横浜を訪れ、彼らの”義”に惚れ込み、仲間となったこと。
  彼らの結束は固く、やがてその集まりは義兄弟の契りによって結ばれた” ギルド ”に発展したということ。
  横浜に居着いた中国人……華僑達がコミュニティを形成し、中華街を作りあげるに際して、彼ら『紅華幇』の持つ”特異な力”は非常に頼りにされたこと。
  紅華幇が成長して強大となってからは、より多くの人材を日本に迎え入れ、組織はさらに大きくなったこと。
紅華幇は今では横浜の中華街や日本の華僑社会のみならず、中国本土まで多大な影響力を持っているということ。
  移転とリニューアルを繰り返し豪華ホテルとなった今でも、『紅華飯店』は変わりなく、彼らの本拠地であるということ。
  百五十年前から変わることなく、顧客から厄介事の依頼があれば、彼らは継承された”特異な力”を行使して、その解決に当たること。

  ――そして紅華幇は、二十一世紀の現代では、『人材派遣会社マンネットブロードサービス』という表の肩書きも持っているということ。


『それで、みすみすファリスを目の前でひっさらわれた、と報告をしに来たのか!?』
  部屋中に響くルーナライナ語のがなり声。『紅華飯店』の三十六階、ドラゴン・スイートと呼ばれるVIP向けの豪華客室の中で一人の男が喚いていた。
  年の頃は四十の後半か。小太りの体躯、灰色の髪をオールバックに撫でつけ、つり上がった眼と過剰に跳ね上がった髭が、栄養過剰で躾のなっていない家猫を思わせる。その衣装はといえば、中世の絵画から抜け出してきたかのような厳めしい軍服で、精悍さの欠片もないこの男には絶望的なまでに似合っていなかった。対面に座る霍美玲としては、失笑を堪えるのに少なからず意志の力を割かねばならなかった程である。
『何のために貴様等を雇ったと思っている!国外では問題を大事にすべきではない、現地のスタッフに任せるべき、と言ったのは貴様等の方だぞ!?』
  テーブルに叩きつけられたグラスが跳ねて、カーペットにワインの赤い飛沫をまき散らした。本来ルーナライナ語は、歴史書にも『星が瞬くような』リズミカルで美しい言葉と記されているのだが、それも発音する者次第でここまで下品になってしまうものか。あでやかな営業スマイルを浮かべつつ、美玲は内心ため息をついた。
  ワンシム・カラーティ。
  ルーナライナ王国の外務大臣にして、現国王アベリフの兄にあたる人物である。劉颯馬、霍美玲の二人を雇いファリスを拉致しようとしたのは、実の叔父であるこの男であった。ファリスを空港で確保するのに失敗した二人は、日本に駐留している依頼人に中間報告を入れに来たのだが、当然ながらそれで依頼主の機嫌が良くなるはずもなかった。
「…………ト、ワンシムハモウシテオリマス」
  冷や汗を浮かべながら、かたわらに立つツォン青年が日本語に訳す。外務大臣のくせにまともに英語が話せないワンシムの通訳を務める、二十代の東洋人の青年。どうにもぱっとしない印象だが、ルーナライナ語、英語、中国語、片言の日本語を操る事が出来る貴重な人材である。今この場で会話が成り立っているのは彼の尽力によるおかげだった。
「ではツォンさん、訳してくださいな。その点については我々の意見は変わりませんわ。貴方がたが皇女殿下の同行を察知されたときは、すでに皇女は出国された後。ルーナライナ国内なら如何様にも手の打ちようがあったでしょうが、この日本では我々マンネットブロードサービスこそが、事態解決のための最適な手段と自負しております」
  ツォンが丁寧にルーナライナ語に訳すと、またワンシムががなり立てる。
『そう聞いたからこそ、私が日本に飛ぶ前に、貴様等に指示を送ったのだ。空港で捕らえてさえいれば、今頃ここで締め上げて『鍵』の在処を吐かせていたものを……!』
  およそ叔父が姪に対して言ってよい言葉ではなかったが、当の本人は自覚していないようだった。そもそも現国王を補佐すべき男が、泡を食って外交官用の飛行機を私用して日本まで姪を追いかけてきたと言うこと自体、無能ぶりの証明である。
  ソファーに座るワンシムの後ろにはもう一人、筋肉質の大男が控えていた。ワンシム同様の軍服に身を包み、混血の進んだ無国籍な風貌からルーナライナの軍人であると判る。
『閣下、自分はやはりこのような素人に任せるべきではないと考えます』
  前に進み出る大男。ルーナライナ軍の大佐で、ワンシムの腹心だという。名前は確かビトールとか言ったか。ワンシムの領内でくすぶる不満分子や反乱分子を鎮圧して功を上げた、とのことだが、美玲の調べた情報に寄れば、結局、「弱い者いじめのスペシャリスト」以上の男ではなかった。
『聞けば奴らはここから三十キロと離れていないシンジュクに居るそうではありませんか。民間人の住居など大した障害ではありません。自分に命令を下していただければ、私が部隊の指揮を執り、二時間以内に制圧の後、皇女殿下をここに連れて参ります』
「……日本の首都圏で市街戦をやらかすおつもりでしょうか?」
  こちらの無能に至っては無益どころか有害だ。中央アジアの荒野で隣村に出かけていって略奪を働くのとは訳が違うと言うことを、想像すら出来ていない。美玲の言葉をツォンが訳すと、ビトールは無駄に分厚い胸を反り返らせて反論した。
『大した違いなどない。現地の部隊が反応する前に引き上げてしまえばよい。それが戦術というものだ』
「東京に自衛隊はあっても軍隊は駐留しておりませんよ」
  一方的な内戦、民間人の弾圧しかしたことがない軍隊が戦術とは。自分のやろうとしている事がどれほどの問題を引き起こすか、微塵も理解していない。やや痛むこめかみを指でもみほぐしながら、美玲はにこやかな表情を維持するのに多大な労力を払わざるを得なかった。
「だいたい武器も兵隊も、どこから調達してくるつもりですの?」
  美玲の発言は無能な相手に気づかれない程度に皮肉をまぶしたものだったが、ビトールは一層胸を張って答えた。
『ふん、例え異国の地であろうと兵を集めるのが将の才というものだ。もっとも貴様達のような民間人の素人には理解できないだろうがな』
「やめとけ」
  横合いから日本語で口を挟んだのは、今まで沈黙を保っていた颯馬だった。依頼人の前だが、ソファーにどっかと腰を下ろし足を組む、そのふてぶてしい態度は毫も揺らぐことがない。
「見てくれこそ貸しビルに集まった貧乏人に過ぎんが、やつらの実力は本物だ。あの二人だけを相手にするならともかく、いずれも最高峰の吸血鬼と忍者と魔術師に、 一人学会 ワンマン・アカデミー の装備が加わり、二十世紀最高の戦術家の一人が指揮を執るとなれば、能力者でさえ三桁、並の軍隊ならそれこそ核でも持ってこないと相手にもならん」
『くだらん冗談だな』
  ツォンの通訳をを介して、ビトールが鼻で笑う。
『だいたい小僧、貴様はなんだ?我々に雇われただけのくせにそのでかい態度は。余程親の躾がなっていないらしいな』
「――なんだと」
  急低下する颯馬の声の温度。それが氷結する前に、美玲が口を挟んだ。
「こちらの劉颯馬は、確かに我々マンネットブロードサービスの社員です。しかし同時に、紅華幇の幹部でもあります」
  その言葉に反応したのは、ビトールではなくワンシムの方だった。
『ほう?その若さで幹部となれば……もしや『竜成九子』か?』
「その通りですわ」
  ワンシムはなお、怒りと猜疑に満ちた眼差しをぐるぐると回転させていたが、やがてふたたびソファに身を沈めた。
『……ならば聞かせてもらおう。これからどうするつもりなのだ?』
  激怒の段階が去り、話し合いのステージに移ったと見て、美玲があの大輪の微笑を復活させる。ビトールが露骨に喉を鳴らし、ツォン青年も眼を丸くして、その微笑に魅入る。
「実のところ、ファリス皇女を逃がしても大勢に影響はございません」
というか、そもそもこの男の唐突な指示がなければ、彼女にファリスを捕らえるつもりなどなかったのである。
「皇女がわざわざ危険を冒してまで日本にやってきたのは、セゼル大帝から受け継いだという『鍵』のヒントなり答えなりがこの地にあるということでしょう」
『む、その可能性はあるかも知れんが……』
  というより、日本には彼女の後見人となるような人物が居ない以上、それ以外考えられないのだが。
「ならばわざわざ皇女から情報を引き出すことはありません。放っておけば彼女と護衛の連中が、『鍵』の暗号解読に走り回ってくれることでしょうから」
『ふん、ならば連中の後をつけ回し、鍵の謎が解けたところで取り上げると言うことだな?』
「表現を飾らなければ、まさしくそういう事ですわね。もちろん、皇女殿下が匿われた事務所の入ったビルは、我々の部下が監視を敷いています」
  マンネットブロードサービスのような大規模な派遣会社のメリットとして、任務に望む際、部隊の支援が受けられるという点がある。監視や連絡など、能力は必要としないが人手はかかる、という仕事を一般のメンバーに任せ、能力者は自分の専門分野にのみ集中できるのだ。
『……いいだろう。だが必ず『鍵』を手に入れろよ。あれに運命がかかっているのだからな』
  事実だろう、誰の運命かは知らないが。笑みを浮かべた美玲と、仏頂面の颯馬が退出する。扉が閉まる前に、ワンシムは新たな酒杯に腕を伸ばしていた。


「落ちたもんだな、俺達紅華幇も」
  ドラゴン・スイートを出てエレベーターに向かう廊下の道すがら、颯馬が口を開いた。
「弱きを助け強きを挫く。侠者の魂こそが、大陸を離れこの島国に生きる我らを支えてきた絆じゃないか」
  愚痴や呟きというにはいささか大きすぎる声だが、颯馬には声をひそめるつもりはさらさらないようだった。上に立つ者が下を向いて小声で話していて誰がついてくるものか。エレベーターホールにたどり着き、ボタンを押す。
「それが江湖の掟を忘れ、あんな輩に肩入れし、あまつさえ数人がかりで女を攫ってこい、などと」
  口調こそ抑えているものの、颯馬の怒りは本物だ。だが彼にこの仕事を持ってきた美玲としては、それでも反論せざるを得ない。
「しかし、塞主……お父上直々の命ですわ」
「どうせ中南海の連中に高く恩を売りつけようというハラだろう?」
  事実である。今回、ワンシムの依頼を彼らマンネットブロードサービス……紅華幇が請け負うにあたり仲介を務めたのは、 中南海 中国政府 と太いパイプを持つさる要人である。骨肉争うルーナライナの諸勢力の中でも、一番の力を持っているのがワンシムの派閥である。そしてその理由は、ワンシム本人の実力でも人望でもなく、彼の操り主である中国政府の支援に拠るものだということは、中央アジアの政界では公然の秘密だった。
  アベリフが退位、もしくは崩御しワンシムが即位したあかつきには、ルーナライナは完全に中国の傀儡政権に成り果てるだろう。ただでさえ国境、戦争、宗教、資源問題を抱え込み混乱にある中央アジアの勢力図が、さらに大きく描き換わることは明白だった。紅華幇の塞主、つまり颯馬の父は、これに荷担することで幇の中国政府への影響力を強めようと考えているのだった。
「仕方がないことなのです。企業であれ組織であれ、今後の世界で商いをしようとするのであれば、大陸の市場を無視することは出来ないのですから。塞主の指示は、慧眼と私も思いますわ」

  みし、と音が一つ。

  紅華飯店の建物が軋んだ。
  颯馬がほんのわずかに右脚を浮かせて――踏み下ろす。ただそれだけで、安普請などという言葉とは対極にある堅牢極まりない巨大な構造物が、小さな悲鳴を上げたのだった。
「……商売人としては、そうだろうさ。だが侠客として、官吏に尻尾を振るというのはどうなんだ?」
「坊ちゃま……」
「坊ちゃまはやめろ」
「……塞主より仰せつかっております。今回の件が成功すれば、その功績はご兄弟に大きく勝り、次期塞主の座は貴方のものになろう、と」
「ふん……」
  颯馬の声がわずかに揺らいだ。そう、彼は塞主にならなければならない、なんとしても。己の両脚と武技にのみ拠って立つ、一介の武侠でありたいという彼の思いとは別に。
  微妙な沈黙を打ち割ったのは、昇ってきたエレベーターのチャイムだった。扉が開いたときには、すでに颯馬の眼から葛藤は消え失せていた。
「……まあいい。どちらにせよ、七瀬が出てくるとなれば、俺に断る理由はない。我が『四征拳』にかけて、奴を倒す。それもまた江湖の掟だ」
  受けた依頼は果たす。立ち塞がる敵は倒す。それが紅華幇に名を連ねる武侠の道であり、マンネットブロードサービスに所属する派遣社員のルールであるはずだった。




◆◇◆ 11 ◇◆◇



 
 
  事務所の奥の六畳和室、通称『石動いするぎ研究所』のドアを開けたのはずいぶん久しぶりな気がする。部屋の中を覗き込んだ瞬間、おれと真凛は間抜けな声を上げてしまっていた。
「なんだ、こりゃ?」
  和室と言いつつ無数の配線と機材のジャングルに埋もれ、畳なんか一平方センチメートルだって見えやしない部屋――それはいい、いつものことだ。問題は、普段なら部屋中にばら撒かれているはずのPCやら小型工作機械やらが軒並み部屋の隅に積まれ、こじ開けられた中央のスペースに、何やら細長い物体が、どん、と横たわっていることだった。ちょうど人間一人がすっぽり入りそうな、黒塗りの箱。
「これってやっぱり……」
「棺桶……だよ、なあ?」
  顔を見合わせるおれ達に、積み上げられた機材の向こうから声が掛けられた。
「当たり前だ。それが棺桶以外の何に見えるというのだ」
  そこにいたのは、おれ達の同僚、笠桐・リッチモンド・直樹だった。自称日英ハーフ、流れるような銀髪と、眼鏡の奥に鋼玉トパーズの瞳を持つ(認めたくはないが)美男子にして、絶対零度を支配する吸血鬼。だがその真の姿は、十八歳以下の女性にしか性的興奮を催せない潜在的犯罪者にして社会の塵芥ごみである。
「……久しぶりに顔を合わせたと思えば随分な暴言を吐くではないか」
「な、なんでおれの心が読めるんだお前」
「いや、さっきから口に出してしゃべってたよ陽司……」
「ううむ、しまったつい本音が」
「まったく失礼極まりない。世間ずれした十八歳など俺の守備範囲ではないわ」
「……やっぱりお前、今すぐ警察行け、な?柵がついてる病院でもいいぞ」
「で、その。この棺桶、やっぱり直樹さんのですか?」
  やや強引に話題を変えた真凛が問うと、直樹はあっさりうなずいた。
「ああ。これは俺の棺桶だよ」
  そう、さっきも言ったように、直樹は一応吸血鬼なのである。部屋の中に棺桶が横たわっているというのは相当な異常事態だが、吸血鬼と棺桶というセットで考えればまあ不思議なことではない。……吸血鬼というモノが当たり前のように存在しているという事実の異様さはさておいて。だがしかし、まだ疑問は半分残っている。
「しっかし、じゃあなんでお前の棺桶が羽美さんの部屋にあるんだよ」
  おれの問いに、なぜか直樹は口の端に妙に得意げな笑みを浮かべ、眼鏡を指で押し上げた。
「ふむ、理由を聞きたいか?」
「いや、やっぱり聞きたくない」
  即答するおれ。コイツがこんな表情をする時はただひとつ。手に入れたオタクグッズの自慢をする時しかないのである。
「そうか、聞きたいというのなら仕方がない、教えてやろう」
「聞きたくないって言ってんだろう。まずお前が人の話を聞け」
「実は以前から少しずつ資金をつぎ込んで、寝床でもある俺の棺桶の改造を石動女史に依頼していたのだ。城に暮らしていようがアパートに暮らしていようが、眠りについた吸血鬼の領地は結局この棺桶一つに過ぎないのだからな」
「ほう?」
  そう言われるとおれも少しばかり興味がわいた。吸血鬼が一番無防備になるのは、棺桶の中で眠っている時である。ハンターに狙われる吸血鬼の中には、対策として自らの棺桶に結界や罠、仕掛け武器、迎撃用の従者を召喚する魔法陣など、様々な装備を施す者も多いと聞く。しまり屋のコイツが費用を投じたとなれば、それなりの価値がある装備のはずである。
「で、どんな装備を仕込んだんだ?」
「うむ、これだ」
  直樹は抱え込んでいたものをおれに渡した。それは巨大なゴーグルに機械部品をとりつけたような代物で、棺桶のフタと本体の間から伸びたコードに接続されている。
「……なんだこれ?」
「ヘッドマウントディスプレイだ。見てわからんのか?」
「そりゃま、見ればわかるが……」
  問題はなんでそれが棺桶に接続されているのかということだ。
「ちょうど石動女史のメンテも一区切りついたのでな。特別に中身を見せてやろう」
  そう言って、重厚な棺桶の蓋を持ち上げる直樹。もはや不吉な予感しかしなかったが、おれはしぶしぶ棺桶の中身を覗き込み――そして絶句した。
  普通(という言葉を使えるほど多くの数を見たわけではないが)、棺桶といえば外はともかく中はシンプルな板張りであるべきはずである。また最近のコミックやアニメに出てくるような『吸血鬼の棺桶』だとしても、その内装は、闇の貴族に相応しい『血の色をした豪奢なビロード張り』とかであるべきであろう。
  だがそこにあったのは、みっしりと詰め込まれた電子機器……パソコン、ケーブル、スピーカー、その他おれにはもはや判別も付かない何かの機械と、その中にぽっかりと空いた、人間一人が収まるだけの空間だったのである。それはもはや、戦闘機のコックピットと言われた方が納得できる光景であった。
「…………これは、棺桶なのか?」
  おれの質問に、直樹はまるで世界の真理を説くように腕を広げてのたまった。
「うむ。世界にただ一つ、俺だけのアニメ鑑賞専用棺桶だ」
「アニメカンショ……何だって?」
  失礼。あまりに異形の単語の組み合わせゆえ、音を聞いただけでは咄嗟に頭の中で日本語に変換出来なかったことを、ここにお詫びいたします。
「だから、アニメを鑑賞する専用の棺桶だ」
  不吉な予感を確信に変えて、おれは仕方なく質問する。
「……なんだ、この棺桶のあちこちに張り巡らされたパイプフレームとメッシュは」
  ちょうど背もたれと肘掛けと枕とフットレストを埋め込んだような形になっている。
「ハーマンミラー社に俺の身体を採寸させて作らせた。これにすっぽりと収まることで身体そのものの重さが極力均等に分散され、極めて長時間同じ姿勢で横たわっていても、蒸れや床ずれ、痺れが発生しない。エコノミー症候群対策も完璧だ」
「はぁ」
「PCそのものは映像さえ過不足なく再生出来ればそれでよいのでな。その分静粛性と放熱量にこだわった。隣に置いておいてもほとんど気にならないほど静かだ」
「へぇ」
「そしてデータストレージについては、場所と入れ替えの手間を考慮した上で、DVDやブルーレイは採用せず、ナマのデータをすべてハードディスクに取り込むことにした。もちろん可能な限り増設してな」
「ふぅん」
「そして迷ったのだが、やはりヘッドホンではなく、BOSEの5.1chホームシアターセットカスタム版を導入し、棺桶の四隅と蓋面に配置した。俺の全身を包み込むように音が再現されるよう、既に調整済だ」
「ほぅ」
「そしてこちらがユニバーサルデザインのトラックボール。手を添えていても疲れず、親指だけで全てのマウス操作を代行出来る」
「それはそれは」
「つまり視聴覚と親指だけ覚醒させておけば、眠りについた状態とほぼ同じ条件のままに、選択したアニメを最高の環境で半永久的に視聴し続けることが出来るという案配だ」
「……そんなに見るアニメがあるのか?」
「当たり前だろう。これで撮り溜めしたままのアニメや、未開封のままになっていたディスクをじっくりと消化できるというものよ。いずれ再び土中に埋まる時が来ても、悠久の時を有意義に使用できる。ウム、我ながらまさに一石二鳥の妙手と自賛せざるを得ない」
「いずれと言わずに今すぐ埋まれ。そして人類が滅亡するまで這い出てくんなこの土中ひきこもり」
  そういえば、今まで日本で放送された全てのアニメを観るとしたら、消化に何年かかるのだろう。……まあ、そんなことよりコイツはとっととアパートを引き払って、カプセルホテルの一室でも買い取って棺桶を運び込んだ方がいいと思うぞ、マジで。
  おれの脳裏にまざまざと浮かぶ、今から数百年後の光景。深夜の墓地にかすかに響くポップな曲調。誰からも見捨てられたはずの古びた墓の土が盛り上がり、棺の蓋が開く。棺桶の中から流れいでる美少女アニメのキャラクターソングに乗って、始原の吸血鬼が常世に帰還する――。
「ア、アタマが……」
「頭がどうした亘理氏?貴公の前頭葉のスペックが貧弱なことは周知の事実。今さら周囲に嘆いてみても始まらぬぞ?」
  その声でふり返った部屋の入り口には、直樹の要望を具現化した諸悪の元凶、ドクター石動が肩を聳やかして仁王立ちしていたものである。
「……おれも、人よりは世界中のヘンなものを見てきた自信がありますが。USBコネクタつきの棺桶というものがこの世にあるとは知らなかったですねぇ」
「知らないのは当然だぞ亘理氏。それは世界にただ一つの小生の最新作。安心したマエッ」
「もちろん皮肉で言ってんですよ!こんな奇天烈なシロモンがこの世に二つとあってたまりますか!」
「ハハハハハ褒めるな亘理氏!貴公に言われずとも世に二つも三つもあるようなモノにはこの不肖石動、端から興味はないッ!」
「言っときますが褒めてませんからっ!」
  おれ達のやりとりを尻目に、座り込んで物珍しげに棺桶を眺めていた真凛が、ふと呟いた。
「でもこれ、電源はどうするんですか?」
「「………………えっ?」」
  絶句するマッドサイエンティストと吸血鬼。
  ――っておい、まさかアンタら気づいていなかったんかい。
 
 
「ええっと……ここは……電算室……でしょうか?」
  着替えを終え、ドアを開けておそるおそる部屋の中を覗き込むファリス王女に、おれは手招きする。
「似たようなもんだよ。大丈夫、獲って喰われたりはしないからさ」
「そうだな、石動女史が獲って喰うのは年端のいかぬ少年だけだ」
「大丈夫ですファリスさん、いくら羽美さんでも人間は食べませんから!」
「貴公ら……」
  高田馬場の貸しビルの一室に、銀髪が二人いるという光景も珍しい。この棺桶が鎮座する狭い部屋に五人は入れないので、王女に黙礼して入れ違いで退出する直樹。振る舞いだけは王侯貴族並みに完璧だった。ちなみに今回、「たいそう美少女なお姫様が依頼人らしい」という情報をおれが伝えたときの奴の第一声は「何歳いくつだ?」だったことをここに記しておきたい。
「――とまあ、そういうわけでしてね。ファリス王女の持ってきたこの暗号の解読をお願いしたいわけですよ」
  簡単に事情を説明し終えた後、おれはファリスから預かった紙片を羽美さんに手渡す。数字で構成された暗号の解析とくれば、まずはコンピューターと数学に詳しいこの人の出番というわけだ。……いかに奇人変人の類といえど。
「最新のコンピューターで推論すれば、もう一つの『鍵』とやらがなくても解読できるんじゃないかと期待しまして」
「よろしくお願いいたします」
「ふふん、成る程。大帝セゼルの記した暗号とな」
  一目見るなり、ぞんざいに頷いて紙片を受け取る羽美さん。
「……あれ、思ったより食いつきが良くないですね。お宝の在処が記された秘密の暗号なんてシロモノ、男の子なら一度は手に入れたいと夢見るものでしょうに」
「亘理氏、ちなみに聞いておくが、脳の収縮の末に小生の性別まで失念したわけではないよな?」
「はっははー、まっさかぁー」
  ちなみに、少年達は大人になるにつれそうしたものへの関心を失っていくが、それは成長するにつれ、宝の地図などそうそう存在しないと理解するからであり、決して宝の地図そのものが嫌いになったわけではないのだ、とおれはここで力説しておきたい。
「……誰に言ってるの?」
「いや別に。てか、この手の暗号なら羽美さん、普通に好きそうに思ったんですが」
「まあ、暗号は好物ではあるが」
  そう言うと羽美さんは、LANから切り離した小型のノートパソコンにスキャナを接続し、手早く紙片の映像を取り込む。そして何やら画像解析ソフトを立ち上げると、たちまち紙片に記された手描きの文字列が識別され、整然たる数列となってディスプレイに表示された。
「へぇ、ずいぶん優秀な解析ソフトですね。自前ですか?」
  文字をソフトで画像解析する際、どうしてもくせ字や細かい字の識別が困難になるものだが、おれがざっと見比べたところ、誤認識はしていないようだ。
「ウム。最初に判りやすい文字を解析して簡単な筆跡鑑定を実施し、判読できない文字は筆跡から推定する、という手法を採っておる。十文字しかない数字ならまず間違えることは無かろうよ」
「……どこかの企業の依頼品とか?」
  ロジックだけでも充分に特許を出願できそうなものだが。
「いんや、趣味だ。人工知能に読書をさせようと思いつきで作ってはみたものの、使う機会が無くて放っておいた。所詮は片手間もの、市場に出せるものではない」
  ……胡散臭い実験よりも、むしろこういうところをきちんと伸ばせていれば、マッドサイエンティスト呼ばわりの末学会を追放されることもなかったろうに。
「何か言ったかね」
「いえいえ。で、いよいよ肝心の暗号解析をお願いしたいんですが」
「ああ、それならもう終わったぞ」
「なんだもう終わったんですか。……って、マジですか!?」
  おれの大声に、棺桶に設置されたPCを覗き込んでいた真凛、そしてファリスが慌てて顔を上げる。
「ほ、本当ですか、ドクター・石動!?」
「まあな!ふむ、ふむッ!ファリス王女殿下、貴女は近頃の権力者層にしては珍しく、なかなかに賢者を遇する術を心得ているではないか!」
  ドクター、の敬称に気をよくしたのか、鷹揚に頷く石動女史。ってかこの人の方こそ、もう少し王族に対する敬意を払うべきだと思う。
「政治の世界など十年一日千年一日。真に歴史の針を前に進めるのは叡智を求める科学の歩みよッ!」
「それで、どんな結果だったのですか、『鍵』は!?」
  せっかくの石動女史の雄弁も、国の命運を担った王女の耳には入らない。いささかばつの悪そうな顔になって、羽美さんは告げた。
「うむ。……まあ、これがRSA暗号だろうということはわかった」
「RSA暗号?」
「一通りの解析ソフトを走らせてみたのだが、RSAをどうにか解析させようとしたときの典型的なパターンが現れておるからな。亘理氏から聞いた二つの『鍵』の話からして、まず間違いないであろう」
「……ってぇと、ネットでの情報のやりとりに使われるあれですか?」
「陽司、知ってるの?」
「まあ、ちょっと初歩を舐めた程度だけどな……。たしか素数から秘密鍵と公開鍵を生成する、って奴でしたっけ?」
「ほほう、亘理氏にしてはなかなか勉強をして居るではないか。そもそもRSA暗号とは桁数の大きい合成数の素因数分解が困難であるという事実に基づいて作られた公開鍵型の暗号で――」
「ストップ!ストップ!あんまり専門的なウンチクを語られてもおれ達じゃ理解できませんよ!……まあなんだ、世界中の誰もが暗号化できて、なおかつコンピューターで解析しても解析するのは事実上不可能に近いっていう、ネット上で使うにはとても便利な暗号のことさ」
「いや、陽司、やっぱりよくわからないんだけど……」
 
 
  RSA暗号とは、『秘密鍵』『公開鍵』という二種類の数列を使用する暗号である。
  詳しい計算式は省略するが、他人に知られたくない文章や数字を『公開鍵』と組み合わせることで暗号文を作る。そしてその暗号文を『秘密鍵』と組み合わせることで、元の文章や数字に戻すことが出来るのである。
  この暗号の便利なところは、『公開鍵』(と計算式)さえ知っていれば世界中の誰もが簡単に暗号を作ることができ、かつ、『秘密鍵』を知らないと(暗号を作った本人でさえ)元に戻すことができないという点である。
 
  実は我々も、日常生活でこのRSA暗号を頻繁に使用している。たとえばネットショップで注文をする際、『お客様の送信する情報は、SSL暗号化により保護されています』なんて表示を見たことはないだろうか。このSSL暗号化(の一部)に使用されているのがRSA暗号である。
  注文の内容や住所やクレジットカード番号。もしもこれらを送信するとき他人に読み取られてしまったら大変なことになる。それを防止するため、パソコンは情報を『鍵』によって暗号化して送信する必要がある。
  だが、『鍵』で暗号化するにせよ、受け取った相手が『鍵』を使って暗号を解読できなければ意味がない。かといって、相手に「こういう『鍵』を使って暗号化しましたよ」あるいは相手から「こういう『鍵』で暗号化してくださいね」などという情報をやりとりしていたのでは、その『鍵』を読み取られてしまえば意味がないのである。
  そこで使用されるのが、このRSA暗号である。
  ネットショップで注文をする際、パソコンはそのショップがインターネットで全世界にオープンにしている『公開鍵』を読み取り、それを元に、注文内容や番号、住所などを暗号化する。仮にこの暗号を盗まれても、『公開鍵』だけでは暗号を解読することはできない。ネットショップが持っている『秘密鍵』を使用して初めて、元の情報に戻すことができるのである。世界中のどこから注文しても簡単に暗号化できて、かつ、『秘密鍵』を知らない限り誰も解読できない。まさにインターネットでの情報のやりとりにうってつけの暗号と言えるだろう。
 
「まあ、正確に言うとネットショップが直接『秘密鍵』を持っているわけじゃなく、間のネットワークにあったり、他にも色々細かいところがあるんだけどねー」
「……でも亘理さん、腑に落ちません。『公開鍵』で誰でも暗号を作ることができるのであれば、『公開鍵』をコンピューターなどで解析すれば、暗号を解読することも出来そうな気がするのですが?」
「理屈の上では可能だよ。実際、『秘密鍵』と『公開鍵』はもともと同じ数から作られているしね」
「じゃあちっとも安全じゃないじゃない!?」
「ただし時間がかかる。今のネットショッピングで使われている標準レベルの『公開鍵』を解析して暗号を解読しようと思ったら、一秒間に億や兆の回数を計算できる現代のコンピューターを駆使してさえ、何年、もしかしたら何十年何百年もかかるのさ」
  ここらへんは数学の世界の奥深いところである。
「……まあ、そんな細かい話は興味があれば調べればいいだけのこと。問題は」
  おれは紙片に羅列された数字を見やる。羽美さんが言葉を継いだ。
「左様、これがRSA暗号である以上、もう一つの『鍵』がないと解読するのは事実上不可能に近い、ということであるな」
「もう一つの、『鍵』……」
「ファリスの言うことが正しいのであれば、二つの『鍵』とやらは、『公開鍵で暗号化された金脈の情報』と、そしてそれを解読するための『秘密鍵』ということになるな」
 
 
 
「秘密の鍵、ですか……」
  解析ソフトを終了した羽美さんがLANを繋ぎ直す作業に入ってしまうと、ぽそりとファリスは呟いた。
「確かに聞いたことがあります。セゼル大帝の敵は、皇族や親族。近しい者ほど信用できなかったと。セゼル大帝は敵対する派閥や海外に部下達を潜ませ、暗号で連絡を取り合っていたそうです。しかも部下達は暗号を作る事が出来ても、解読はセゼル大帝本人にしか出来なかったとか」
「……そりゃあまた、徹底したもんだ」
  そうでもしなければ、陰謀と諸外国の思惑が渦巻く国の中で王などやっていられないのかも知れない。王様なんぞ、つくづくなるものではないと思う。
「ってことは、セゼルから受け継いだっていう君の『鍵』は、セゼルが暗号解読に使っていた『秘密鍵』ってことか。……しかしそうなると、なんでまた遠く離れた日本に『暗号化された金脈の情報』なんてものが残されたのかがわからんなあ」
「……それは……」
「ところで陽司、『アル話ルド君』の修理頼まなくて良かったの?」
「おっ、いかんいかん、暗号話をしていたらもう一つの用件を忘れるところだったぜ。羽美さーん!」
「騒々しいぞ亘理氏。この六畳間で大声なぞ上げんでも充分聞こえるわ」
「すいませんね、コイツ、ストロボを閃光弾フラッシュバンモードで使用したら動かなくなっちまいまして」
  そう言っておれは、支給されている多機能携帯『アル話ルド君』を差し出した。最近ではバージョンアップの末、ほとんど高性能なデスクトップPCと変わりない機能を獲得しつつある。
「また壊したのかね?フラッシュバンモードはオマケ機能だから使うなと言っておいただろうに」
「オマケ機能でも何でも、あれば使うのが家電ってものじゃないですか。すみませんが予備との交換お願いしますよ」
「常々言っておるが亘理氏、小生はフレイムアップの技術支援担当であって、小道具の修理係ではないぞ」
  ぶつぶつ言いつつも、手際よく『アル話ルド君』のケースをこじ開ける羽美さん。そこにはバッテリーやカメラ、そしてびっしりと電子部品が敷き詰められたプリント基板が整然と収められていた。
「コンデンサが破損しておるな。やはりタンタルコンデンサといえどもこの電圧ではもたんか」
「コンデンサ、とはなんですか?」
  物珍しげに問うてくるファリス。だんだん判ってきたのだが、どうやらこのお姫様、結構機械ものに興味があるらしい。
「電流を蓄えて、必要時に大容量で放出する部品だね。カメラを撮影するときに使うフラッシュなんかは、このコンデンサがバッテリーの電気を蓄えて、一気に発行させることであの眩しい光を作り出すんだ。君を助けた時はこれを応用して、本来の限界値以上に電気をため込んで、相手の眼を潰すくらい強力な光を放ったのさ」
「おかげでコンデンサどころか、周囲の部品までまとめてお陀仏であるがな!」
「限界以上のチャージが出来るよう実装したのは羽美さんでしょうに」
「だって仕方ないであろう!?携帯電話が閃光弾になったらちょっと面白いかなとか、誰でも一度は考えることがあるだろう?」
「……否定はしませんよ」
  まだ試してはいないが、同様に本体の破損覚悟でスタンガンやレーザー照射、音響爆弾も使用可能だそうである。
「噂には聞いていましたが、日本のケータイの進化というのは凄いものですね」
「あ、あくまで例外だからね?こんな物騒な機能がついているのは日本でも多分これだけだからさ」
  まあ、色々と妙な機能がつくのは、進化に行き詰まった電化製品の宿命でもある。日本のケータイのガラパゴス的進化は果たして今後どうなるのであろうか。
「……でもまあ、結果として、その機能に助けられたわけだしね。君がそれ・・で連絡をくれなかったら、到底間に合わなかった」
  おれはそう言って、ファリスの携帯ケータイを指差した。彼女はさらわれそうになったとき、とっさに登録したまま画面に残っていたうちの事務所の番号をワンコールしていたのである。このタイミングで海外ナンバーのワンコールが何を意味するか気づけないほどウチの事務所は間抜けではない。そしてあとは羽美さんがGPSをアレして位置情報をコレして場所を特定し、おれ達が動いたというわけである。
「しかし、ルーナライナで私が持っている携帯電話とは性能が違いすぎます」
「そりゃやっぱり、部品の高性能化、小型化が大きいかな。このタンタルコンデンサ一つ取っても、従来のセラミックコンデンサと比べて格段に性能が上がっているからねえ」
「ま、その分値段はしっかりお高くなるわけだがな、亘理氏。修理代は報酬から天引きでよいな?」
「実験費、ってことで落ちませんかねえ?」
「そう交渉してみるかね?」
「遠慮しておきます」
  ……さすがにこればかりは仕方がない。経費をケチってどうにかなる状況ではなかったのだから。
「ねぇ、陽司、これからどうするの?」
  真凛が問うてくる。ふむ。そう言えば朝からバタバタだったせいですっかり時間感覚を失っていたが、時刻はまだ昼を回った程度。本格的に調査をするには遅く、明日に持ち越しするには早い時間だった。
「どうせなら、今夜の映画で――」
「じゃあ、ちょっと大学に顔を出すとするか」
  おれは羽美さんから受け取った予備の『アル話ルド君』をポケットに収めると立ち上がった。
「大学、って、陽司の?」
「ああ。東京都高田馬場、相盟大学。ここから歩いても十五分程度だからな」
「それは知ってるけど……今日、なんか特別な用あったっけ?」
「ああ、そりゃあね。仕事も仕事、こちらが本命さ」
  そう言っておれはファリス王女を見つめる。
 
「じゃあ案内するよ、ファリス。おれ達の大学、相盟大学を。君の留学先に相応しければいいんだが」
  おれの言葉を半分予期していたのだろう。ファリスはどこか思い詰めたような表情で頷いた。
「――はい。ご案内よろしくお願いします、亘理さん」
  おれは将来の後輩候補生に向かって笑ってみせる。
  事情を飲み込めない真凛が、不思議そうにおれ達を交互に見やっていた。
 
 
 
 

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