小説 『人災派遣のフレイムアップ』Ex 
『企業戦士 東野』
(from リプレイ:人材派遣のCCC)


 

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◆◇◆ -1 ◇◆◇

 
 
  六角重平は、心の底から後悔していた。
 
 
 
  事務所の階下から響く銃声。聞き慣れたトカレフの粗雑な連射音。重平にとって頼りになるはずのその音が、秒単位で一つ、また一つと消えてゆく。悪夢のような事態。彼の顎は、本人が意識しないままカチカチとリズムを刻んでいる。

 彼と、構成員三十七名からなる『六角興業』は、いわゆる世間一般でいうところのヤクザである。マスコミにも知られた広域の暴力組織に所属しており、中規模ながら生粋の武闘派として組織内でも名を売ってきた。重平自身、五十六歳になるまでに、ドスとチャカで無数の危険な橋を渡ってきた男だ。しつこい市民団体のリーダーを無理矢理泥酔させて自動車事故を起こさせた時は、彼自らが手を下してもいる。それら長年の功績により、親分筋よりこの街……日本海に面した某地方都市の顔役として認められたのだった。その彼の組が新たなシノギとして乗り出したのが、北の某国との密貿易である。
  ビジネスとしてはさして独創性もない。こちらから出荷するのは、中古の車とか、電気製品とか――ちょっとした情報とか。あちらから仕入れるのは、各種の海産物、ちょっとした飛び道具。あとはお定まりの、ココロによく効くオクスリとか、だ。典型的な互恵貿易。誰にも文句を言われる筋合いはないパラダイスである。少なくとも、重平はそう思っていた。
 
  全てが狂ったのは、二週間ほど前である。彼の事務所を訪問したサラリーマンは、このような口上を切り出した。
  大手食品会社が開発した高級スナック菓子『カニせん』。ジャンクフードでありながら味にこだわった逸品であるコレには、原料として、この街で水揚げされるカニが必要不可欠なのだという。そのサラリーマンは、原料の安定・安価調達のためこの街で水揚げされるカニの確保を望んでおり、港に勢力を有する彼の組織に手を引くように要請してきたのだ。
  当然のことながら、重平は一笑に付した。他組織や警察と真っ向から張り合って獲得したシマである。直接的な暴力と、それが裏づけする権力。その二つを備えた自分が、机の上で金勘定をすることと、客に頭を下げることしか知らないサラリーマンどもに権益を渡すべき理由などどこにもなかった。
「俺に言う事を聞かせたかったら、鬼でも連れて来るこった!」
  これは、訪れたサラリーマンを軽く懲らしめて叩き出した時の重平自身の台詞である。 
  今、執務室の悪趣味な椅子の上で、重平は激しくこの言葉を後悔している。
  連中は、素直だった。まったく素直に、重平の言う事に従ったのだ。
  連中が送り込んできたのは。
 
 
 
  まさしく鬼神だった。
 
 
 
  ……階下の銃声が途絶えて三十秒が経過した。
  修羅場を共に潜り抜けた子飼いの部下である。だが、事務所でヤツを迎え撃ったはずの三十六の凶漢は、今、三十六の沈黙を以って重平に応える。
  痛すぎる程の静寂の中、何かがカチカチカチカチと五月蝿い。執務室の扉は、武闘派の面子にかけて鉄製。厳重に施錠したソレが、重平の最後の防壁である。向こう側から響くのは、明らかにこちら側に聞かせるための足音。近づいてくる。心音がドクドクと五月蝿い。扉の前で止まったソレは、だが。
 
  コンコン
 
  と礼儀正しくノックした。
「…………」
  声など出せない。何か応えれば、それで終わる。重平は、倉庫の奥から引っ張り出してきた虎の子、流出品のMP5A2短機関銃のグリップを血が出るほどに握り締め、だが椅子から腰を浮かしたまま動く事が出来ない。ドクドクと心音。五月蝿い。
 
  コンコン
 
  二度目のノック。とうに安全装置が外れたMP5A2の引き金に、べったりと張りついた人差し指。ガチガチガチガチ。五月蝿い。更なる沈黙。四秒。そしてソレが来た。分厚い鉄の扉が。
 
 
  蹴り開けられたのではない。破られたのでもない。
  粉々に、砕かれて消えた。
 
 
  音はしなかった。
  強いて言えば、ざあっ、であろうか。そのあまりの非現実感。助けて、と。幾多の修羅場を潜った男の目じりから涙の粒がこぼれた。鉄の扉が無数の鉄の粉末と化して、大気に溶ける。その霧の向こうにいる、部屋に進入したヤツの姿を認識した時、重平の理性は振りきれた。
 
  恐怖で全身の筋肉が収縮する。引金を指が千切れる程に引く。反動とマズルフラッシュと破裂音で五感がぐちゃぐちゃになる。獣めいた絶叫が自分の口から漏れ出ていた。さすがと言うべきか。引き金を引くと同時に呪縛が解け、海外で受けた『研修』の通りに体が動いていた。絶叫と弾をばら撒きながら、重平は狙点をヤツに合わせていく。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」
  扉からこの机までは大股四歩。細長いこの部屋に、遮蔽物はない。かたやこちらはフルオート射撃で2.5秒間撃ち続ける事が出来る。ヤツが重平に近づくためには、どれほどの速度で飛び込んできても、まずは弾幕を正面から浴びなければならない。必勝の陣形だった。
 
  一歩。
 
  必勝の陣形である。だというのに
 
  二歩。
 
  何故、こいつは近づいてくるのか。理由は明白だ。目では見えている。でも、断線した脳が理解を拒否する。
  当たり前だ。真正面から飛んでくる銃弾を
 
  三歩。
 
  上体を逸らすだけで一発一発避けながら、歩いて来るなんて信じられるわけがない。ガチガチ。五月蝿い。どこかで誰かが笑っている。耳障りな、だが聞き慣れた声。それは
 
  四歩。
 
  何の事はない。自分の声だった。絶叫は何時の間にか笑いに変化していた。笑っているのに、ガチガチと響く音は止まらない。顎、ではない。指だった。ガチガチ、と。だがいくら引き金を引いてみても、もう三十一発の弾丸を吐き出し終えた短機関銃は応えない。泣きながら笑い、重平は、傷一つ負うことなく己の前に立った鬼神を虚ろに見やる。
 
  その鬼神は、背広を着ていた。
 
  中肉中背よりは僅かに上背があり、わずかに細い。地味な紺のスーツに白いワイシャツ。地味なデザインのネクタイを首に巻いている――このくらいしか外見を形容する言葉が見つからない。夜の居酒屋と朝のオフィス街で二、三十人は同じ顔を見つけられるのではないか、という姿。
 
  そう、その男は――
  暴力組織の長に銃口を向けられたまま。
 
 
「人材派遣会社CCCより参りました、東野進と申します」
  そう名乗り、名刺を差し出し頭を下げた。
 
 
  ――ただの、サラリーマンだった。
 
 
 
 
 
  ※七月二十八日、とある地方紙より。
 
『暴力団事務所にて集団幻覚?』
  二十八日午前三時ごろ、××市山王町野上、指定暴力団『六角興業』より、「事務所で人が倒れている」と一一〇番通報があった。通報を受けた野上署員が向かったところ、事務所の中で組員三十七名が昏倒しているのを発見。拳銃を所持していた事から銃刀法違反の容疑で全員を現行犯逮捕した。同時に野上署は、同事務所より大量の覚せい剤、銃器類の密輸を裏付ける帳簿類を押収した。野上署は六角興業社長、六角重平(56)へ事情聴取を行っているが、六角容疑者は精神の衰弱が激しく、意味不明の発言を繰り返している。
 
 
 
  ※七月二十九日、日経新聞より。
 
  大手食品会社カリバー社は、冬の新商品としてスナック菓子『カニせん』の発売を発表した。カニをふんだんに使う事で高級感を出し、新たな購買者層を開拓するのが狙い。この商品を開発出来た背景には、カリバー社が××市の漁業組合と長期契約を結ぶ事により、安定したカニの調達ルートを確保出来た事があると見られている。同社は以後の営業・広告戦略はこの『カニせん』を中心に展開して行くと発表した。
 
 
 
 

 

◆◇◆ 0 ◇◆◇

 
 
  その日も。
  あの人は家に帰ってこなかった。
  いつものこと。
 
 
  だから私は別に気にしない。
 
 
  カバンから教科書と参考書を引っ張り出すと、つまらない私はつまらなそうにつまらない日課を開始する。
 
  ラックから今日のCDを選ぶ。
  これが私の少ない楽しみの一つである。
  プレーヤーにセットして、イヤホンをする。
  再生ボタンを押して、イヤホンから古臭いギターの音色と、やや掠れた男性の声で歌い上げられる英語の歌詞が耳に流れ込めば、すぐに私は私の世界に入る。
 
  私は私の世界で、私の日課を勤め上げる。
 
  私の存在価値は、いい成績を出すことだけ。
  あの人に私がアピール出来る定量的な事実はそれだけだったのだから。
  それ以外の、私が楽しかった事や悲しかった事などは、時折ある、あの人との会話をつなぐ話題にはなっても、それ以上のものにはならなかった。冷たくされたとか、そう言う事ではなかったと思う。同年の友人達のような、反抗期特有の心情は私にはなかった。あったのは、ただ一つの仮説。そしてそれは、今となっては明確な事実だったと確信出来る。
 
  結局。
 
  父は私に、素で関心がなかったのだ。
 
  だから。
  私は父に感謝した事は無い。私が感謝する事があるとすれば、それはこのつまらない人生に唯一楽しみを与えてくれた音楽に――
 
 
 
 

 ◆◇◆ 1 ◇◆◇

 
 
「兵頭クン、兵頭クン」
  隣の席に陣取った先輩社員にかるく肘を小突かれて、兵頭亜紀は現実に意識を引き戻された。見慣れたオフィスの会議室の風景が目に飛び込んでくる。
「あ――……う。何よ、人が折角いー気分なのに……」
「いい気分なのは結構だが、ホレ。今回はウチの部署が主役だ。質問くらった時に居眠りしてたらどやされるぞ」
  先輩がささやく。オフィススキルLV1。退屈な会議中に、他者に気づかれず隣席と会話する技術は、サラリーマンならば三ヵ月もあれば誰でも修得するものである。二秒ほどかかって、ようやく彼女は現実を再認識した。会議室の大テーブルの隅っこの席に座って、頬杖をついた状態のまま、夢うつつを彷徨っていたのだ。
  見回せば、テーブルに着いているのは社長、常務、営業、音響部門の主だった面々、行田工場からやって来た工作部長、なぜか医療機器部門のメンバーも居る。この会社からしてみれば、そうそうたるメンバーと言えるだろう。そういえば昨日は、ラボから出てきたあと、油スマシの日程が急に変わったとかでこの新プロジェクトの立ち上げ会議とやらの日程が繰り上げになって、慌てて滅多にしない残業を深夜までして資料を作るはめになったのだ。おまけにその後で篠宮クンと飲みに行って……。
「――以上です。総括すれば、携帯音楽プレーヤーの市場自体は引き続き拡大しているのに比して、依然として我が社の販売台数は現状維持に留まっている。……いや、言葉を飾ってもしかたがありませんな。我が社の製品は、他社に負けてシェアを奪われ続けている」
  営業部長がハンカチで汗をぬぐいつつ現状を述べる。普段は手を変え品を変え、『ウチはまだ負けているわけではない』というデータをでっち上げて、全員がツッコむ気力が無くなるまで延々と大言壮語を並べ立てるこの中年が、今日ばかりは素直に「負け」を認めている。と言う事は、
 
  ウチもとうとう行きつく所まで追い詰められたってトコね。
 
  二日酔いのくせに冷め切っている頭の奥で、亜紀はシニカルなコメントを述べた。
 
 
 
  株式会社 源田音響――通称ゲンキョウ。
  音響機器メーカーとしては老舗の部類に入る。特に、確かな技術力に裏打ちされた音質を誇るオーディオ製品には一日の長があり、二十年ほど昔であれば、ゲンキョウのオーディオセットを揃えているのが、リッチなお父さんとしてのステータスシンボルでもあった。また、あまり表立っては知られていないが、その音響と電子製品に関する技術を応用した、聴診器や各種医療機器のメーカーとしてもその道では有名である。
  だがしかし。高音質を支えていた、半ばハンドメイドとも言える熟練した職人による組立工程は、結果としてどうしてもコスト高とならざるを得なかった。シェア拡大を目指す先代社長が、競合する大手メーカーの低価格路線に対抗するため、彼ら熟練工に対する大規模リストラを敢行したのが十年前。結局これは大失敗に終わる事になる。もともと中規模に過ぎないゲンキョウが、大手企業に真っ向から安売りで体力勝負を挑めば敗北は明白だった。あっという間に無理なコストダウンのツケがたたり、自社の売りであった品質までが劣化。経営と信頼に大打撃を被る事となった。先代社長はその責を取って早々に引退。その傷が癒えぬまま、ゲンキョウは今なお迷走を続けている。その後いくつかユニークな商品を開発したものの、たいていは他社に先を越されており、日の目を見る事がなかった。
  当時ライバルだった別の中規模メーカーが、音質特化と高級化路線で現在では世界レベルで高い評価を得ている事に比べれば、ゲンキョウ経営者の判断ミスは疑いようもないだろう。今では業界シェアで国内十位を維持するのが精一杯というところである。それが尾を引いてか、この十年、ゲンキョウ社内には負け犬根性と言うか、何をしても無駄、と言った一種の無気力な雰囲気が漂っていた。
「みんなも承知の通り、このような状況において、現在最も注力すべきは、市場が活発な携帯音楽プレーヤーだ。だが、この分野でこうまで苦戦が続いているとなれば、我々の未来は決して明るくは無い」
  営業部長の言を引き継いだのは、卓の一番上座に腰掛けた青年だった。源田社長――創業者である先々代、リストラにより大失敗した先代の後を継いだ、まだ三十代の若社長である。大学を出て海外の企業で腕を磨き、なかなかの成績を収めたという。熱意も実力もあるが、亜紀の見るところ、やる気の無い社員に阻まれて、その九割は空転していると言わざるを得ない。――あたしもその一人ナンケドサ。
「年末のクリスマス商戦が一つの分岐になると、私は考えている。ここで画期的な音楽プレーヤーを投入し巻き返しをはかれなければ、本当に我々に明日はない。つまりは、ポ開の君達に、社運がかかっていると言っても過言ではない」
  社長の視線がこちらに向く。そら来た、と亜紀は思った。『ポ開』、とは社内の略称で、亜紀の所属する『ポータブル音楽プレーヤー開発課』の事だ。なんとも間抜けな略称だが、フルネームは確かに長いし、ポタ開やポプ開に比べれば、まだポ開の方が略称っぽくてまとも、という妥協によりいつの間にか公式略称となった。
「そうだよ君達!!何も結果を出さないくせに、給料だけは受け取っている事を恥じなさい!!」
  社長の横でがなり立てる男は、専務の赤山という男だった。元々技術者上がりのはずなのだが、亜紀はこの男がそれらしい仕事をしているのを見た事がない。初代源田社長の親戚とかで、大学を出ても引き取り手がなかった所を、親分肌の初代の情けで入社させてもらったのだとか。
  別にテメエから貰ってるわけじゃねぇよ。油スマシ。
  オフィススキルレベル3、亜紀は表情を全く変えずに心の中で痛罵した。油スマシとは赤山専務に対する社内では有名な陰口で、彼の風貌が某有名マンガに出てくる妖怪の顔にそっくりな事に由来する。ちなみにマンガの方にあった善意や愛嬌は、こちらには微塵もない。
「もう知っているだろうが、今日各部門のみんなに集まってもらったのは他でもない。我々はこれより、年末に向けて新型携帯プレーヤーの開発を最優先で注力していく。そのため、君達の中からメンバーを抜粋しプロジェクトチームを結成する、というわけだ」
  社長のコメントに、亜紀は昨夜作り上げた資料に目を落とす。クリスマス商戦に向けた新型携帯音楽プレーヤーの開発資料。A3の紙面に所狭しと踊る、無数の数値がぶち込まれたスープのような表と、具材代わりの円グラフと棒グラフ。見てくれだけならそこそこの資料だ。が、何の事は無い。大量に数字を並べ立てるのは、真実を看破されにくいように。グラフの数が多いのは、『グラフで何を訴えかけるか』という根本的な指針がないから、手持ちの情報を片端からグラフ化してみただけのことである。果てしない妥協と誇張の産物。笑うしかない。彼女の作った資料も、営業部長のものと同様の小手先のものなのだ。新機種の開発などここ数ヵ月、ほとんどマトモには進んではいなかった。プロジェクトによる開発促進大いに結構。だが、それがこの会社で実った事は一度も無い。亜紀の知っているだけで、同じような『社運をかけたプロジェクト』が少なくとも三つは立ち上げられて、そしてなし崩しに消えていった。あたしゃこんなものに抜擢されて残業時間をこれ以上増やすのは真っ平ゴメンこうむる。
  さて、どうしたものか。まず一番に聞かれるのがこの開発状況だろう。社内のボンクラオヤジどもはともかく、社長の目はおそらく誤魔化せない。今までと何も変わらない無為な仕事。どうやって手間をかけずに、目をつけられず終わらせるか――。
「何度も言うようだが、社運をかけたプロジェクトだ。失敗は許されない。そこで私は、昔のコネを利用して、今回のプロジェクトリーダーとなる人材を社外より招聘した。君達は彼の下で行動してもらう事になる。入りたまえ」
  言うや、会議室の扉が開き、一人の男が入ってきた。
  どこにでもいる男だった。
  年は四十をいくつか過ぎたかというところか。いや、もちろん一人の人間としての顔は持っているのだが、その雰囲気があまりに没個性的なため、見る側が気を抜けば背景と同化してしまいそうな、特徴の無い中年男性だった。中肉中背よりは僅かに上背があり、わずかに細い。地味な紺のスーツに白いワイシャツ。地味なデザインのネクタイを首に巻いている――このくらいしか外見を形容する言葉が見つからない。
  その地味な男は、会議室の中をするりと移動する。存在感のみならず、本当に存在が希薄なのではと思わせる足運びだった。その男は社長の脇、ホワイトボードの前に立つと、地味だが良く通る声で、
「人材派遣会社CCCより参りました、東野進と申します」
  そう名乗り、頭を下げた。
 
 
 
 

◆◇◆ 2 ◇◆◇

 
 
「近年の携帯音楽プレーヤーの一大転機は、言うまでも無くアップル社が開発したiPodです」
  東野と名乗ったその男は挨拶も早々に、持ち込んだノートパソコンをプロジェクターに接続し早速プレゼンテーションを開始し始めた。
「……ちょっと。何ですあの男?」
  亜紀は隣の先輩を小突く。彼女は不機嫌だった。眠いし二日酔いはまだ抜けない。あの男の登場で、渾身の手抜き資料は日の目を見ずに済んだが、それはそれで無駄になった昨夜の残業時間が腹立たしい。先輩は一つ唸った。
「人材派遣会社CCC。あらゆるジャンルのエキスパートを網羅し、企業が直面した困難な課題や厄介なトラブルを打破するために派遣する『企業を助ける企業』だそうだ。社員の多くは、前職で超一流の腕を持っていてヘッドハントされたエースや、あるいは腕が良くてもワケアリで居られなくなった連中らしい。――ま、俺も聞いていたのは噂だけで、初めて見たんだがよ。社長もどうやら本気の本気らしいな」
「腕利きねぇ」
  気の無い表情で、亜紀は頬杖を右腕から左腕に移す。テーブルの前で淡々とプレゼンを進めていくあの影の薄い中年男が腕利きで通るんだったら、あたしは何だ。マリー・キュリーか。
 
 
「そもそも携帯音楽プレーヤーの根本的な概念は、『好きな音楽を持ち運んでどこでも聞ける』というものです。しかし、これには必然的に制約が付きまとっていた。すなわち、一度に持ち運べる量が限られること、そして、違う曲を聴きたくなったら一度機器を取り出して記憶媒体を交換しなければならない、という点です。これによって、『急にあの曲が聞きたくなったけど手元にない』という事が起こりえた」
  東野のプレゼンは、この業界に居る人間にとっては単なる過去のおさらいでしかない。カセットテープ式のウォークマンしかり、CDプレイヤーしかり。一つのテープなりディスクに入るのはせいぜい一、二時間分の曲である。他の曲が聴きたい時は交換をしなければならないし、色々な曲を手元に置いておきたいとなれば、必然的にディスクがかさばる事になる。子供の頃はよく、ラジカセを使ってお気に入りの曲を一枚に集めたテープを自作したものだ。
「その頃はCDプレイヤーも無かったしね……」
  CDプレイヤーが手に入ったのは中学に入ってからだ。とはいってもいわゆるCDラジカセではなく、ポータブルの奴だったが。
「あー確かに。アッちゃんの子供時代ってことは昭和がががっ」
  オフィススキルLV2(女性限定)、テーブルの下の足の甲を正確に踏み抜く技を使用して雑音を遮断する。
「やがて、MDとMDプレイヤーが開発されましたが、これは音質と容量こそ向上したものの、カセットテープと概念的に大きく異なるものではありませんでした。以後、携帯音楽プレイヤーは停滞期に入り、機能拡張や、小型化、装飾性を充足していく事になります」
  東野のプレゼンは続く。
「一方、九十年代後半のインターネットの爆発的普及は、新たな音楽文化を生み出す事になります。それはつまり、MP3等によってファイルを圧縮し『音楽をネットでやりとりする』ことと、『パソコンで音楽を聞く』事です」
  しかし、ユーザーに着実に広まっていったこのスタイルを、音楽業界は長らく無視し続ける事になる。何故なら、彼等の利益の主要な源泉は販売されるCDによるものである。パソコンに取り込んで音楽を聞くという行為は、彼等にしてみれば不正コピーと同義語だった。そんな事を認めては、彼等の利益の大半をドブに捨てる事になる。断じて承認するわけにはいかなかったのだ。果敢なメーカーが、スマートメディアなどの記憶媒体を利用したプレーヤーを幾つか開発したが、転送速度の遅さもあり、売れ行きは今ひとつだった。
「しかし、そんな因習をいともあっさりと打ち破ったのが、PCメーカーであるアップル社のiPodだったというわけです。圧縮した音楽を、内蔵した大容量小型ハードディスクに記録する事で、『大量に』『かさばらず』音楽を持ち運べる。これにより、手持ちの曲を全て持ち運ぶ事が出来るようになり、『手元に無い』という事態が無くなった。そして、ユーザーに配慮した使いやすいインターフェースで、『音楽をネットでやりとりし』、『パソコンで音楽を聞く』。従来のニーズと現在のスタイルに、まさにマッチしたアイテムでした」
  それが正解だったことは、iPodの爆発的な売れ行きと、それから一年の間に各メーカーが類似品を一斉に売り出した事からも明らかである。
「ノートパソコンの普及によって、ハードディスクの小型化の技術はすでに陳腐化していました。iPodはどのメーカーにとっても、技術的には決して難しいハードルではなかったのです。では何故、アップルにはiPodを開発できて、あなた方を含む音響メーカーには開発出来なかったのか」
「どいつもこいつも古臭い常識から抜け出せなかったからよ」
  自分では小声で呟いたつもりだったのだが、東野が言葉を切ったタイミングに合う形になったためか、それは予想以上に会議室に響いてしまった。こちらを向いた東野と視線が合う。亜紀は真っ向からにらみ返してやった。理由は特に無い。理系硬派女三十歳(四捨五入すれば)、堂の入ったガンつけである。東野はガンつけをしてるはずの亜紀の表情を見て、僅かに口元を緩ませた。
  笑った、のか。
「――まさしく。そして貴方がたは、結果としてまたも苦しい後追いレースを続けさせられている事になる」
  そう。ハードディスクを利用したサウンドプレイヤーとなれば、PCの大手たるアップルのアドバンテージは絶大だ。大手音響メーカーも、負けじと自分達の持つリソースを駆使して猛追に出た。今や電気店の店頭では各社入魂の音楽プレーヤーが毎月のように入れ替わりながら火花を散らしている。だが悲しいかな、ゲンキョウのような中規模メーカーには、急に方針転換する体力も、猛追するだけの馬力もない。マラソンで、速度もスタミナも劣る選手が後発でスタートするようなものであり……結局の所、どうやっても勝算はないのだ。
「我々も現状は痛いほど認識している。だからこそのプロジェクトだよ東野君。私が聞きたいのは、君の説明ではなく、君の提案だ」
「そうだよ東野君!!もってまわった言い方はやめたまえ!みんな忙しいんだから!」
  苦虫を噛み潰した源田社長と、横で喚く油スマシの声に、頷く一同。彼等とて、別に朝からわかり切ったオセッキョウを一から聞き直したいワケではないのだ。東野は恐縮して頭を下げる。
「失礼いたしました。私が申し上げたい事は、単純に小型化、高速化、コストと言った点で競い続けては勝算はないと言うことです。となれば、御社独自の『何か』を付け加えたものを生み出さなくてはならない」
  会議に居合わせたメンバーに、露骨に失望が広がっていく。
「すまないが東野さん、そんな問答は、開発会議で毎週のように検討されているネタだよ」
  音響部長の発言が全員の意見を代弁していた。CCCの派遣社員と言えど、この程度か――そんな声無き声。出席者達は一同に身じろぎする。すなわち、早くこの会議を終わりにして外に出たいという意思表示だ。だが東野は、動じていないようだった。穏やかに返答する。
「しかしまだ、試していないモノがあるかも知れない」
「試したさ。それこそ総当りでな。パソコンを使わずともMDから取り込めるとか。音質の可能な限りの向上をはかるとか。外装を若い女性向けにするとか。およそ音響部門の持っている技術は全て検討したんだ」
 
 
「――そこに大きな誤解がある」
 
 
  す、と東野の声が響いた。先ほどとは違う。いや、確かに先ほど同様穏やかではあるが、何と言うのか、芯の通った声。今までの人当たりの良い物腰とは少し違う、明確な意志を持って人を動かす人間の声だ。緩みかけていた一同の視線が、再び東野に集中する。
「貴方達の大きな不幸は、自分の本当の力を知らない事にあります。部長、貴方はまだ、自社のリソースを半分しか試していないのです。ゲンキョウ社には、まだもう一つ技術の宝庫があると言うのに」
「……半分?」
  そこで一旦言葉を切り、再びノートPCを操作しプレゼンを再開させる。
「――さて。iPodの成功の大きな要因は『聞きたい音楽を全部手元に置いておける』。これに尽きます。しかしながら当然、曲数が増えれば増えるほど、それを管理するのは大変な事になってくる。現在、各社の製品では、お気に入りの曲をリスト化してあらかじめユーザーが設定しておくプレイリスト機能や、演奏履歴などからユーザーの嗜好を推測した上でランダム演奏をしてくれるシャッフル機能があります。しかし、これはいずれも、定められたプログラムや機械的なルーチンによる再生に過ぎない」
「あー、確かにそれ思うよな。音楽をBGMで流してるとさ、何ていうのか。毎回決まった順序で曲が流れるのは単調でイヤなんだけど、シャッフル再生すると、ノリのいい曲とテンション低い曲が交互に流れてきて、それはそれでムカつく、みたいな奴」
  亜紀の隣の先輩が発言すると、何人かの社員が頷いた。
「俺は今、テンション高い曲で突っ走りてーんだよ!!タルい曲流してんじゃねー、ってのはあるよな」
「だが、機械だししょうがないんだろう。こっちのフィーリングなんてわかるわけもないし」
「では、例えば。――機械がそのフィーリングを理解して、音楽の順序を決めてくれるとしたら如何でしょう?」
「へ?」
  呆気に取られる一同。
「そりゃ無理ですよ東野さん。ユーザーの状態を検知するなんて。人工知能でもつけろっていうんですか?」
「おや?でも貴方達は、そういったモノをずっと作って来たのでしょう?」
  東野の質問に、皆が怪訝な表情を浮かべる。と、
「……モニタリング機能か!」
  一際大きな声が上がったのは、テーブルの反対側だった。声の主は、今まで何のためにここに居るのかと思われていた医療機器部長だった。
「小型の携帯プレイヤーに、脈拍や血圧、歩数の検知機能を取りつけ、ユーザーの状態を推測する。それを元に、プレイヤーが自動的にその状況に適したジャンルの曲を演奏する――そういうことじゃないか、東野さん!?」
  医療機器部長の発言の意味するところに、何人かが気づきはじめた。
「もしそんなものが出来れば……。それは音楽を携帯するだけじゃない。必要なときに必要な音楽を供給してくれるプレイヤーという事になるぞ!?」
「これは……携帯プレイヤーの新たな革命になるかも知れん!」
  東野の顔に会心の笑みが浮かぶ。そのままノートPCのキーが叩かれた。
「……それでは、遅くなりましたが、私の提案を説明させていただきます。医療機器の技術を応用した、ユーザーと相互リンクする携帯音楽プレイヤー。コードネーム『カペラ宮廷楽団』です」
  映し出されたのは、二本の細いケーブルが伸びた音楽プレイヤーだった。
 
 
 
  それから三十分ほど、会議は過熱状態だった。技術的な可否についての質問が営業部から飛べば、東野より先に医療機器部が、既存の技術の流用であり問題ない事を回答する。医療部がデータのリンク形式を述べ、音響部がそれに対応出来る事を即答した。源田社長がこの製品を発売した場合に狙いうるシェアを聞きたがれば、営業課長が大雑把にだが市場データを試算する。既存シェアの三割奪取、さらなる新規顧客の開発の可能性と言う結果は、一同を驚嘆せしめた。
  年末までのスケジュールが組まれ、担当者が割り振られてゆく様を、亜紀はぼんやりと眺めやっていた。この会社がこんなに熱意に溢れているのを見るのは、初めての事では無いだろうか。いや、数年前にも一人いた。だが、そいつは一人だけで空まわって、独走した挙句……。
「CCCの社員ってのはやっぱスゲェなあ」
「そう?目のつけ所はいいかも知れないけど。それだけじゃない」
  先輩のコメントに、亜紀は気の無い声を返す。
「――それでは、本プロジェクトのメンバーを選定させていただきます」
  そうこうしているうちにも、東野の議事は進んでゆく。まあ、多少惹かれるものがあった事は否定しない。だが、それだけだ。あたしには何の関係も無い。ここ数年、ずっと閑職で冷や飯を食わされてきた身である。仕事に何かを期待するような若さは、とうに飲んだヤケ酒と吐いたヘドに紛れてどこかへ流れてしまっていた。
 
「ポータブル音楽プレーヤー開発課、兵頭亜紀さん」
 
  だから、東野のそんな声が飛んだ時。
 
「あたし?」
 
  思わず、素で叫んでしまっていた。
 
 
 
 

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