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人災派遣会社シリーズ   製作者:紫電改


小説 『人災派遣のフレイムアップ』Ex 
『企業戦士 東野』
(from リプレイ:人材派遣のCCC)



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◆◇◆ 9 ◇◆◇

 
 
  さいたま新都心は、近代的な高層ビルとその周囲を壕のように埋める公共スペースによって構成されている。その北端は、今やイベント会場としてすっかり名高くなったさいたまスーパーアリーナと、そこまでの交通手段を供給するさいたま新都心駅。大型ショッピングセンターが併設されたこともあり、この一帯は、たとえ日付が変わる程の深夜でもネオンと人通りが絶える事は無い。
  しかし、そこから少々南に進むと、様相はがらりと異なる。聳え立つビルのほとんどが官公庁のオフィスであるため、真面目に働く公務員の方々がオフィスを後にすると、後には最新だが無人の高層建築と、誰もいない公園や庭園が取り残されるのだ。もちろん、景観と防犯の都合上ライトアップはされている。しかし、華やかな彩られた真新しい建築物に囲まれているというのに、そこに人は誰もいない。違法駐車されたと思わしき乗用車、二輪車がいくつか路肩に止められているだけである。普段は大して意識もしないが、ふとした拍子にそれに違和感を覚えてしまい、まるで自分が山の中に置き去りにされたような不安に駆られる事も、時にはある。
 
 
「それにしても。あのシーンは傑作だったよね」
「えー。あー、うん。あはははー」
  篠宮の声が、亜紀の思考を現実の時間と場所に引き戻す。時刻は深夜零時過ぎ。彼女達は、そんな官公庁のビルを繋ぐライトアップされた通路を歩んでいた。激務の中、久しぶりに時間のとれた亜紀と篠宮は、職場からほど近いショッピングセンター内のレストランで食事をし、シネマシアターの最終上演を見終えたところだった。そのまま篠宮の車でそれなりにしかるべき場所に移動しても良かったのだが、亜紀がなんとなく歩きたい気分だとごねたため、こうして綺麗だが人通りの無い道を二人して歩いている次第である。
「後半の槍使いと棍使いの格闘シーン、特撮使って無いんだって」
「そうなんだ。あはははははは」
  夕食の際になめた酒がようやく周って来たのか、篠宮も上機嫌で先ほど鑑賞したアクション映画について評論を述べている。篠宮は存外に映画通だったらしく、亜紀が名前も知らないような作品や俳優の名前を挙げてはしきりに唸っている。
「ま、第二部の重厚なストーリーに裏打ちされた魅力に気づかず、登場人物のアクの強さが際立った第三部を崇める連中は、僕に言わせればとんだ素人だよ……って、亜紀ちゃん?」
  不思議そうにこちらを覗きこむ篠宮。
「ん?どーしたのー?」
「いや。だって、さっきから心ここに在らずって感じだもの。そう言えばさっきのご飯の時、亜紀ちゃんも結構飲んでたような」
「あっはっはー。あれくらいは飲んだウチにも入りません。ちょっとびっくりしただけ。篠宮君がそんなに映画好きだったたたなんてねー」
  掛け値なしの事実だ。四ヵ月ばかりのつき合いだが、映画を饒舌に語る篠宮は、亜紀が始めて観るものだった。篠宮はちょっと拗ねた表情をした。、
「前からずっと誘ってたんだけどな」
「うー、確かにそう言われるとそうだったかもー」
  そうコメントして、亜紀は篠宮と映画を観たのは今日が初めてだった事を思い出した。いつぞやの『ニースの奇跡2』も結局、それから猛烈に忙しくなった仕事に追われて観にいけなかったのだ。
「ま、こりゃショーガナイ!すべてはあの東野のオッサーンがいけないのです!燻ってたあたしのケツに蹴りを入れやがったあのチューネンが!私はホコリまみれでもホコリは捨ててはいなかったのデス!あはははー」
「――そうなんだ。その東野、っておっさんか」
  いい加減に呂律の周らなくなった亜紀は、備え付けのベンチに吸いつくようにもたれかかるとずるずると座りこんだ。その様子を気遣わしげに見守っていた篠宮が、
「亜紀ちゃん、そう言えばさ」
「んー、なーに?」
  激務の反動が一気に来たのか、亜紀は眠たげな声を返す。
「――この間お願いした、カペラの試作機。持ってきてくれたかな」
  そう問うた。
「んー。バッグの中。これー」
  亜紀が自分のハンドバッグの中から、イヤホンが接続された煙草ケースより一回り大きいくらいの、クロームと透き通った緑色とで構成された機器を取り出す。
「へー。ちょっと見せて」
「あいあい。見終わったら返してね」
  大丈夫、ちょっと見るだけ、と断って、篠宮はライトアップの照明に数歩歩み寄った。 
 
 
 
  背を向ける。
  背後の亜紀が規則正しい息を立てはじめたのを振り返らずに確認して、篠宮浩助は手早く照明にカペラ試作を透かす。
  ――こんなものか。
  表情を変えずに、篠宮はネクタイに仕込まれたCCDカメラのシャッターを押す。ここ数年の技術の進歩でCCDカメラは馬鹿みたいに小型、高性能になったが、その分クライアントの要求する写真の画質も上がっており、この手のカメラの隠し場所は、ここ五十年ほど大して変わってはいなかった。手早く上下前後左右の撮影を行う。問題なく成功。そのまま篠宮は内ポケットから、カペラに良く似た煙草ケース大の四角い金属の塊を取り出した。カペラと同じ、HDDタイプの携帯音楽プレーヤーに良く似ているが、それは音楽プレーヤーにしてはいささか無骨な取りまわしだった。篠宮はそこからケーブルを引き出すと、カペラの電源を入れ、PCとの通信を行うためのUSBコネクタに差し込んだ。双方のハードディスクがアクセスを始める。
  このケースは携帯音楽プレーヤーではない。小型のハードディスクに、ごく簡単なハッキングのプログラムが記述されているだけの代物だ。カペラの基盤とフラッシュメモリーにに焼き付けられた基本ソフトウェア。それをそっくり丸ごとコピーしているのである。その中には――この女が開発したシャッフルプログラムも含まれているはずだった。
 
  ……機密のプログラムと言っても、容量自体はさして大きいわけでもない。三分と待たず、ハードディスクがアクセスを終了した。
「ふん、無様なことだ」
  コネクタを引き抜きながらの篠宮の台詞は誰に向けられたものだったのか。ケーブルが巻き取られた、到底ハッキングのツールには見えないそれを内ポケットに仕舞いこむ。カペラの試作機をぶらさげたまま、実直な営業マン篠宮浩助の表情を取り繕う。あとはあの女に何食わぬ顔をしてこれを返すだけの事だ。
  そうして振り返り。
  篠宮浩助の動作が止まる。
  ベンチにもたれて泥酔しているはずの兵頭亜紀が、立ち上がって真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「やっぱり、篠宮クンだったんだ」
 
 
 
「なんの――ことかな」
  篠宮の声には驚きも、焦りもなかった。ただ純粋に疑問を述べている、そういう類の声を発してのける。多少酔いが早く周るよう、小細工をした夕食の酒に手はつけていたはずだが。
「源田社長が赤山専務を査問したの。彼が全て白状したわ」
「良く……わからないんだけど」
「赤山専務が持ち出した機密は、第三者に手渡されていたわ。今週いっぱい、私と東野さんと源田社長とで、こっそりその人物の特定を進めていたの」
「……」
「東野さんは最初から情報の管理に気を使っていたんだって。発足した当初からプロジェクトの事を知っていた人間は、メンバーを除いたら」
  亜紀は篠宮を見る。
「貴方しかいないのよ。篠宮クン」
  篠宮は表情を消す。赤山が自分を脅迫していた人間の正体を知るはずはない。また、気づくとも思えない。その程度のカマに引っ掛かるようでは、到底この業界を渡ってはいけない。掌に収まっているカペラを弄ぶ。
「嫌だなあ。亜紀ちゃん。何を疑ってるのかは知らないけど。僕は本当にただの好奇心でこれを見せてもらおうと思っただけだよ」
「つまらない芝居はそこら辺にしておいた方が良いと思うよ」
  横合いからかけられる声。見れば、分厚いコンクリートの柱に背を預けて、一人の男が佇んでいた。何時からそこに居たのか。冬の気配が漂いはじめた空気の中、背広にコートを纏った影の薄い、草臥れた雰囲気の中年サラリーマン。あまりにありふれた特徴のその男は、昼日中のオフィス街でも存在感を発揮する事は無いだろう。だが。人気の無い夜闇の中、実際に視界に収めてなお一切の気配を感じさせぬその佇まいは、断じて凡百の男に為しえるものではなかった。
「篠宮浩助、だったね。本名も」
  淡々と言葉を紡ぎながら、懐から取り出したマニラ封筒を無造作に放りやる。己に向かってきたそれを篠宮は受け止めようとはしなかった。足元に転がった封筒から、幾つかの書類と写真がこぼれ出る。そこに写されていたのは、まさしく篠宮の顔だった。
「身元の照合に関してはかなり悩んだけどね。実際に保険会社に勤務しており、成績も優秀。大学から小学校まで過去の履歴を遡ってみても、これと言った怪しい経歴は見つけられなかった。CCCの海外支店まで照会の範囲を伸ばしてようやく該当者が割り出せたというわけだ」
  篠宮がカペラを弄ぶ手を止めた。
「大学時代に海外に留学した時に、こっちの世界に入門。その若さで大した物だよ。しごくまっとうな保険会社員と、フリーで仕事を請負う産業スパイを兼業しているとはね」
  亜紀は微動だにせず、二人の男のやり取りを見守っている。
「新製品の開発は急務だったが――もともと、ここ数年のゲンキョウの営業不振の理由として、産業スパイによる情報流出の疑惑があった。一連の産業スパイ網の根絶はゲンキョウの復活には欠かせない事だったんだ。赤山専務の背任は容易く調べがついたが、その喉に引っ掛かった釣り糸の先を辿るのは難儀してね。だからこそ、敢えて虎の子のカペラを餌に食いつかせた」
「ははは、――ははははは」
  篠宮は機械的に笑い、肺の中の空気を吐き出す。それは彼が仮面を外す際のちょっとした儀式だった。息を吸い込む時には、育ちの良いエリート社員の顔はどこかに失せてしまっている。今、若々しいはずのその顔には、生涯を高利貸に費やした老人のような、猜疑心が深く刻まれた表情が浮かんでいた。東野には見慣れた表情だった。軍事、産業に限らず、スパイ活動に従事した者は、表情を取り繕う術を叩きこまれ――その代償として、少なからず本当の表情が悲しいほど猜疑心に歪んでゆく。
「何の事は無い。最初から僕を狩り出すのが目的だったということか」
  口元を歪め、ネクタイを緩める。
「篠宮クン――」
  亜紀の声に非難は無い。ただ、理由を問うている。何故貴方なのか、そして何故私だったのか、と。その問いに篠宮は、うんざりするような視線を向けた。
「ああ。君と接触を持ったのは別に偶然でもなんでもない。かつて君が提案した製品は、競合メーカーの間では密かに注目されていたのさ。君や、他の有望な技術者には、時期が来ればいつでも接触出来るように網は張ってあったんだ。皮肉なもんだね。君の会社と君自身が思い込んでいるよりはずっと、周囲の評価は高かったって事さ」
  がりがりと、かすかな音がする。
「そして君は兵頭君に接触した。我々の新製品についてある程度の情報を掴むと、かねてから構築してあった赤山専務のコネクションを動かした」
「当初は僕自身が接触をするつもりもなかったけどね。ゲンキョウの情報については放っておいても赤山が報酬目当てに流してくれたし。結局機密保持が予想より堅くて赤山があっさりコケた分僕が出張ってきたというわけだけど――とんだ無様だ」
  亜紀に再び顔を向ける。
「直接試作品のデータを入手しようと思ったんだけどね。結局亜紀ちゃんは、僕よりそこのオジサンを信用したってわけだ」
「それは、貴方についての情報が、」
「その情報を信じたんだろう?――悲しいなあ僕は」
  表情は、さっきまでの無邪気な篠宮青年のものだった。だと言うのに、その表情に亜紀は悪寒を禁じえなかった。
  がりがりと音がする。その音は次第に、ギシギシと何かが揺れる音へと変化していった。
「ああ、それから僕の事だけどね。何、もともと僕は普通じゃなかった。その力をどう使えばいいか長年悩んでいたところで、海外でその力の使い方と、それを生かした適職を教えてもらったわけ。ごくごくシンプルさ。長身でジャンプ力のある少年がバスケットボールをはじめるようなもの」
「普通じゃない?」
  篠宮は肩をすくめた。
「能力自体にはさして独創性があるわけでもない。ただの念動力さ。それも対物専門の」 
「ねん……?」
  亜紀が聞き返したのは、聞き取れなかったからではない。
「『不可視の破城槌ラム・インビジブル』……こんなものだよ」
  ばきん、と背後から硬い金属音。振り返った亜紀は、そこにありえないものを見た。停められていたはずの二輪車、乗用車、自転車。そういったものが、重力の無いもののように舞い上がり、静止していた。それはもはや乗り物ではなく、それぞれが巨大な凶器だった。そしてそれが鉾先を定める先に居るのは――
「東野サンっ!!」
  亜紀の警告は遅すぎた。篠宮が指を鳴らすと、空中に設置された無数の鉄塊は弾丸と化し、柱に背を預けたままの、東野進に猛然と襲いかかったのだ。反応など出来るはずが無い。炸裂する無数の弾丸。交通事故の際に耳にする、大質量の鋼鉄が高速でコンクリートに衝突する莫大な衝突音。日本でまっとうな人生を送っていればそう何度も聞く機会はないはずのその音が、まるで壊れたCDプレーヤーのように断続的に鳴り響いた。
「……君は知らないかな。こういった業界では、僕みたいな能力の持ち主がスカウトされるんだ。危険が多い闇の稼業。だがそれは裏を返せば、おおっぴらに使えない能力を余すところなく振るえる仕事ってこと」
 
 
 
 

◆◇◆ 10 ◇◆◇

 
 
  亜紀は自分が今見ている光景が信じられなかった。つい三分前まで、人の温度が感じられなかったコンクリートのジャングルは今や、無残に燃え続ける数台の乗用車、二輪車が吐き出す炎、黒煙、轟音によって極彩色に塗りたくられていた。前と左右から同時に突っ込んだ車。柱を背にしていた東野には身をかわす場所など無かったはずだ。
「……なんて、事を」
  気がつけば、両膝を地面についていた。共に仕事をした同僚が一瞬にして灰になったという事、そして、それをやってのけたのが今自分の傍らに立っている男だという事が、どうしても納得できなかった。
「仕方が無いんだよね。僕の顧客も彼の事を痛く目障りに思っていたし。僕自身も経歴を調べ上げられたとなれば、この後何かと営業に差し支える」
  篠宮は仕方ない仕方ない、と繰り返す。足元のマニラ封筒を拾い上げ、写真と資料をその中に収めると、火中に投じた。
「正気なの!?殺したんだよ!」
「到って正気さ。僕も、そこで燃えている男も、この程度の事態は常に覚悟した上で仕事に臨んでいる。それが僕達『派遣社員』――現代経済の暗部に所属する者のデファクト・スタンダードという奴」
  何しろ死んだらそれまでだしねぇ、と呟いていた東野の顔が浮かんだ。
「明日の一面には、サイドブレーキを充分に引いていなかったトラックが、不幸にも側にいた会社員をまき込んで壁に衝突、とでも出るだろうね。さて」
  亜紀に向き直る。
「私も、殺すの……?」
  ゆっくりと首を横に振る。
「君は運がいい。こんな話は人に話したところで信じるわけもないし、あくまでこれは業界人同士の交渉の一種に過ぎない。一般人の君に危害を加えるわけにはいかない」
  これはもらって行くけどね、とカペラの試作品を掲げ、懐に仕舞いこむ。
「何、どうせこのプロジェクトは東野あってのもの。所詮君達だけでは発売日に間に合わせる事もろくに出来ないだろう?」
  にこやかに差し出される手。
「見逃してあげるよ」
 
  ――そうか、アタシは使えない連中か。
 
  どこかで聞いたような声がした。そう、遠い昔のように思えて、ついこの間の事。あの時もそうだった。結局、アタシの作るものは、世に出る物ではないのだ。ここ数ヵ月は夢みたいなもので、こんな光景もまた夢。
  手を伸ばす。
「それでいい。君は適当にやっているだけでいいのさ。楽なものだろう?」
  この手を取れば、また何もかも元通りだ。退屈だが、不自由しない窓際生活。別にそれでも私は
 
  ――君は、まだ自分の誇りを――
 
  どこかで聞いたような、声がした。だから、亜紀は、篠宮の腕に手を伸ばし。
  思い切り、手のひらで打ち払った。
「……っ」
「お生憎様。それは逆。適当にやってたら、とてもじゃーないけど耐えらンないのよ」
  両手を腰につけて思いっきり胸を反らす。そこには、異常事態に戸惑っている一般人の女性はもう居らず。己の仕事に誇りを持つ、一人の技術者がいた。篠宮の豹変と東野の死によってうろたえきっていた様は消えて失せ、持ち前の負けん気と冷静さが急速に回復してゆく。そう、自分が自分であるためにやるべき事。それはもう定まっている。ならば。目の前に繰り広げられている障害が、いかに強大で暴力的であろうとも、尻尾を巻いて逃げるとか、屈して和を請うことは兵頭亜紀の人生の敗北を意味する。こんなものは勇気以前の問題だ。最初から戦わねばならない相手ならば、戦うだけの事である。
「――あっそ」
  篠宮が上げた声は、乾いていた。子供が遊びつくして興味をなくした玩具に向けるものと同様の素っ気無さだった。だが。炎を背負って影となったその表情は、先ほど見せたあの、歪んだ物悲しい表情をしている。そんな風に何故か亜紀は思った。
「じゃあ、このまま返すわけにはいかないな」
  左手はポケットに突っ込み、右手を振り上げる。見えない糸に引きずられるように、爆発して四散した車の残骸が、いくつか宙に浮く。
「もうすぐ人が来る。悪いね。あまり時間はかけられないんだ」
  穏やかな脅迫は、だが過剰な戦意に満ちた答礼で返された。
「ふうん。そっちも時間制限つきってことね。何だ、ならアタシにも充分チャンスがあるってことじゃない。お生憎様。そこらのサラリーマンみたいにアタシを消せると思うなよ!」
  言うや、パンプスを甲高く打ち鳴らして猛然と走り出す。呆気に取られた分、篠宮の反応は明らかに遅れた。
「ま、待てっ!」
  動揺も一瞬の事。腕が振り下ろされる。篠宮浩助に生まれつき備わった念動能力。天分に恵まれ、海外での様々な任務で鍛え上げられたその能力は、大質量を伴った残骸をまるで銛のように無数に打ち出す。それは亜紀が僅かに稼いだ十数メートルの距離を一瞬で無にし――
 
「そう。アナタは正しい」
 
  そんな声が響くと同時に、無数の残骸は消えて失せた。
  蹴り飛ばされたのではない。撃ち割られたのでもない。
  粉々に。
  砕かれて消えた。
 
 
  音はしなかった。
  強いて言えば、ざあっ、であろうか。そのあまりの非現実感。急速に晴れてゆく炎と黒煙の中から、原型を留めない肉塊となったはずの、背広を着込んだ中年男が姿を現した。気がつけば、東野を押しつぶしたはずの鉄の固まりも、波にさらわれた砂の城のように消えて失せていた。広がる沈黙。それはさながら、残骸を消すときに、周囲の音までも消し去ってしまったかのようだ。
「――――」
  篠宮と亜紀が目を瞠る。東野は全くの無傷だった。ライトアップされた夜を背負い、纏いつく黒煙を払った男は、コートを翻し、
「裾がほつれた。女房に怒られてしまう」
  などと呟いた。
  沈黙を破ったのは篠宮だった。ようやく得心が行ったと東野を睨め付ける。
「成程な。CCCには多種多様な人材が揃っているとは聞いているが、アンタは卓越したビジネス能力だけでなく、戦闘能力も備えているというわけだ。大した二役だ。もっとも、正業、スパイ、戦闘能力と三役な分だけ、僕の方が上かな?」
  凄絶な笑みを浮かべる篠宮に、東野は人差し指を立てて振ってみせる。
「いいや。君では到底私には追いつけないよ。何せ、父と夫を入れれば四役だ」
  不敵な笑みを浮かべる東野。呼応して、篠宮が右手を挙げる。車両、鉢植え、鉄柵。見えない念動力につかまれた物体が、再び宙に浮かび上がる。
「『不可視の破城槌』――篠宮浩助。改めてお相手願おう」
  打ち鳴らされる指。意志ある獣の群れの如く、無数の塊が踊りかかる。
「仁義ある名乗り、畏れ入る」
  見据える東野の瞳は、深い冬の湖のように静謐。篠宮に向けて懐から取り出した一片の紙片を放つ。咄嗟に警戒した篠宮は、並外れた反射神経でそれをつかみ捕る。だが、それは武器ではなかった。トランプのカードより一回り小さいその紙片には、東野の所属と、そして名前が書かれていた。
  ネクタイに手を添え、わずかに締めなおす。
「人材派遣会社CCC第一営業部。『企業戦士サムライ』――東野進、参る」
  名刺を渡し終えた会社員は、今夜最後の死闘ビジネスに取りかかった。
 
 
 
 

◆◇◆ 11 ◇◆◇

 
 
  頭、喉元、鳩尾、足首手首。人体の急所に吸い込まれるように突っ込んでゆく無数の塊は、だがそれは一弾たりとも東野に掠る事は出来なかった。まるであらかじめプログラムされた精密機械のような東野の動きは、紙一重、いや、その半分で高速で着弾する塊を避けてゆく。
  東野は左右や後ろに避けているのではない。わずかに上体を揺らしながら、前方に進みつつかわしているのだ。無造作に歩み拠るかに見えて、その速度は疾風――否、朔風。疾風よりも静かで冷ややかな風は、容易く篠宮の間合いにまで入り込んだ。
「ちぃっ!!」
  反射的にポケットに突っ込んでいた左手を抜き放つ。足元の地面が弾け、東野に向けてコンクリート片のシャワーを撒き散らした。こればかりは東野も横に飛び退る。かたや篠宮は、その一撃の反動を利して高く飛んだ。そのまま、自らの念動力を自分自身に作用させてか、凄まじい勢いで滑るように後方へ移動する。東野の身のこなしの鋭さは、篠宮の想像以上のものだった。だが、反面安堵もした。あの状況で自分に近づかなければならないという事は、奴に遠距離からの攻撃手段は無いと言うことだ。距離を取って、回避できないほどの集中砲火を浴びせれば容易く勝てる。とすれば。
  両手を円を描くように大きく回す。と、地面に突き立った残骸達が再び浮き上がり、東野を取り囲むように展開する。
  ここで東野が構えた。右掌をゆるやかに掲げ、軽く握った左拳を脇腹に引きつける。
「――潰れろ!」
  両腕を振り下ろす。開いた巨大なてのひらを握りこむように、展開された残骸が一斉に中心部の東野に向けて殺到した。
  勝利を確信した篠宮の笑みは、だがたちまち凍りつく。彼はそこにありえないものを見た。殺到する残骸とて、完全に同時に発射されるわけはない。篠宮の意志によって撃ちだされる以上、個々の残骸の着弾には僅かなタイムラグが生じる。一瞬と表現することすら躊躇われるほどの時間の間――だが、この草臥れた風の中年サラリーマンには、それだけの時間があれば充分だった。ゆるく掲げた右掌を僅かに動かし、着弾せんとする残骸に触れる。いかなる原理によるものか、それは触れると同時に極小の微粒子となり、その破壊力を失う。そうして開いたわずかな安全圏に身をねじ込み、次弾を迎撃する――その繰り返し。
  一流の奇術のように。はたまた安っぽい特撮映画のように。無数の鉄塊の全方向からの攻撃を通り抜けて・・・・・、東野は歩を進めた。己の必勝の手段をいとも容易く破られた事に、いや、東野のあまりの人間離れした挙動に、愕然とする篠宮。
「馬鹿な。あれだけの全包囲攻撃、例え視認出来る反射神経があったとしても、攻撃の順位と位置を予測することなど出来るはずがない。マインドリードか、未来予知か、因果干渉か――貴様、まだ能力を隠し持っているのか!?」
  搾り出すようなその声に、東野が応じる。
「そんなものは仕事の初歩だよ篠宮君。商談の場でお客様の要求を把握するのは」
  驕りなく、淡々と事実を述べるその口調に、篠宮は今度こそ絶句した。
「相手の顔、態度、仕草、何気ない一言――それらには常に気を配り、お客様が欲しいもの、サービスを適切にお届けする。時として、何かが欲しい、だが何が欲しいかよくわからない、というお客様もいらっしゃる。その方々が喜ぶものを見つけ出す事に比べれば、殺気に溢れた攻撃箇所とタイミングの予測など、瞬時に把握できて当たり前。こんなものは能力どころか、スキルでもない。ビジネスに身を置きたる者、最初に身につける基本だよ」
  後輩に職務上の注意を促す何気なさ。不意に、目の前の男の正体をはかりかねていた篠宮の表情に唐突に一つの疑惑が浮かんだ。
「…………まさか、貴様は、あの伝説の……」
  東野は沈黙を持って応える。そこに含まれた肯定の意志に、篠宮の疑惑は焦燥に変わった。
「……『眠らずの戦士24H・ウォリアー』、『群れなす凶蜂キラービー』、『昇る太陽ライジング・サン』、『黄禍の再臨イエロウ・ストーム』……!」
「そんな呼ばれ方をした事も前にはあったかな」
  焦燥は今や、戦慄になった。
 
 
  近代以後、経済活動の暗部に形勢された異能者達の世界……『派遣業界』。数多くの情報が行き交うこの世界では、常に無数の逸話と伝説が紡がれる。が、実際にその場、その異能者に出会えた者はごく僅かであり、逸話のほとんどは誇張か、単なる虚構に過ぎない。 そんな中、誰もがその実力と実績を確固たる事実と認めている、とある集団がある。善悪の評価はどうであれ、彼等の実力を疑うものは誰もいない――裏の世界のみならず、表の世界でも。なぜなら彼等の成し遂げた事は、歴史の一ページとして刻まれているのだから。
  彼等、無個性な背広に身を包んだ男達は、いずれも己が所属する企業に高い忠誠心を捧げ、鋼鉄の目的意識と冷徹無比の業務遂行能力とを持ち合わせ、またその多くが任務達成のための『必要十分の』戦闘能力を有していたとされる。日本に生まれ出でた彼等は、WWIIに於いて焦土と化した郷土をたちまち高度経済成長によって復興させた。その後使命を受け欧州、北南米、亜細亜、中東、アフリカ――七大陸に散った彼等は、『不屈の向上心カイゼン』、『鉄の絆ケイレツ』、『無償の献身ザンギョウ』などを武器に、たちまち世界経済の勢力図をジャパンへと塗り替えてゆく事になる。
  もちろん、これに対する抵抗も苛烈を極めた。特に世界経済の暗部に組み込まれた各国の異能力者達は彼等と何度となく刃を交えたものだ。だが、異能力者達が優勢に戦いを進めていられたのは序盤だけであった。相手の長所を臆面もなくコピーし、よりカイゼンされたものを生み出す――彼等の特技は、この業界においても遺憾なく発揮された。やがて各国の能力者達は、自分達に良く似た、しかも最高の品質メイド・イン・ジャパンの能力を備えた彼等に苦杯を何度となく舐めさせられる事となる。二十世紀後半に現れた、魔物あるいは奇跡とも称えられる伝説の男達。――人は彼等を『ジャパニーズ・ビジネスマン』と呼ぶ。
 
 
「馬鹿な。奴等はバブル経済の崩壊とともに全て滅びたはずだ!!」
  そう。篠宮に産業スパイのイロハを叩きこんだアメリカ人は、畏怖を込めて語ったものだ。彼等の末路は、多くは哀れなものだった――全てを捧げた企業に裏切られたもの。全てを捧げたために家庭を失ったもの。死闘の果てに体を蝕まれてしまったもの。他国から見れば狂気とも取れる戦いに身を投じた彼等は、日本経済の斜陽とともに、決して報われないままその姿を消した。――それが欧米の、いや、世界の共通認識のはず。
「失敗を反省し、改善する事にこそ人の本質がある。バブルという虚栄の塔が崩れ去った後、我々は己の歩んできた過ちを認めた。何の事はない、我々はジャパニーズ・ビジネスマンというその称号に浮かれて驕り、初心を見失ったのさ。そして我々は表舞台から姿を消した。己の仕事を全うする――今は、それだけだ。もっとも、私も彼等の中では一番若輩の世代だけどね」
  さりげなく、若輩、の部分に力がこもっている。
  他方、生きた伝説を前にして、篠宮の焦燥は頂点に達した。彼が生まれ落ちて、そして就職して今現在まで目にして来たのはすべて、生活に追われ、疲れきった目をしたサラリーマンだった。だが、この男は……。
「二十世紀の亡霊め……消えて失せろっ!!」
  もはや言葉を取り繕う余裕もなく、篠宮は残弾を掃射。同時に再び後方へ飛ぶ。奴を仕留めるためにはこれでは足りぬ。遮蔽物が多く、に乏しいここは相応しくないと判断した彼は無人のビルの谷間を飛ぶ。先ほど同様に弾を交わし、影のように音を立てずそれを追う東野。両者は十秒足らずで実に百メートルを駆け抜ける。
「そろそろ終わりにしよう篠宮君。『カペラ』は彼女達のものだ。正しい努力をした者が正当な対価を得るのでなければ、ビジネスは成り立たない」
「それはどうかな。辺りを見てみろ」
「!」
  東野の表情が始めて緊張する。両者が今いる場所は、橋だった。
  さいたま新都心の南端には巨大な郵政庁舎のビルが置かれており、そのさらに南には、西口と東口を結ぶ陸橋がある。東野は今、そこにいた。そして篠宮は、己を念動力で引き上げ、橋の上空十メートルに浮いている。
「直線攻撃も範囲攻撃も無効。だが、貴様には跳躍や飛行の能力はあるまい。崩壊する足場では、精密な動きも出来まい」
  そう呟く篠宮の額に、音を立てて無数の血管が浮き上がる。自らの脳に眠る破壊の力を最大限まで引き出してゆく。
「ふん、何が正しい努力だ。派遣会社の中途採用となれば――どうせ貴様もリストラ組だろう。会社に尻尾を振るだけの貴様に、何の対価があったというのだ!!」
  裂帛の気合。絞り出された念動力の全てが眼下の橋梁に叩きつけた。強固なはずのコンクリートの建造物は瞬く間にひびが入り、たちまち崩落する。
 
  その一瞬。
 
  時間は止まる。
  東野は微量の空気を口に含み肺腑に落とす。膨らむ肺腑を知覚する。それによって押し下げられる臓腑を知覚する。酸素を取り込んで再び全身に流れてゆく血管を知覚する。血液が運搬したグルコースを筋細胞が貪る様を知覚する。振動する空気を触覚する皮膚を知覚する。それらを知覚する神経網を知覚する。たちまち東野は、東野という肉体の操縦者と化す。
  視神経を強く知覚する。研ぎ澄まされた動体視力が、崩れ落ちる橋をまるでコマ送りのように捕らえる。演算――通常移動での脱出は不可。足を強く知覚する。通常の歩行、走行では使用しない領域の筋肉と腱を動員。跳躍力を飛躍的に上昇させる。空間認識力を知覚する。演算――最適経路の算出完了。危機にあって、東野は瞬時に己が肉体を最適化してゆく。
  これこそが中国拳法における内功――呼吸を起点とする体内の知覚及び操作術である。
  どんな人体も、食う、寝る、歩くと行った当たり前の行為の裏に、実に芸術的なまでの精密な身体操作を行っている。その無意識の動作を再認識、分析――『気を巡らす』――ことで把握し、それらをすべからく戦闘における最適状態として使用する――『気を込める』――事により、人体に眠る能力を限界まで引き出す技術。東野が今まで見せた戦闘技術に、神秘的な事象は何一つない。ただ、一つ一つが人体の限界を要求されるはずの動作を、当たり前のように連続して行うために神懸って見えるというだけの事である。
  この身体操作術を極めれば、睡眠、食事、新陳代謝などの生物としての本能すら認識・分解・操作が可能となる。かつてはこの術により飛躍的な長命を得た者もいるとされ、故に、『仙術』とも呼ばれていた。だが、例えば、慣れない者が、手を開いた状態で薬指の第一関節だけを動かすためには相当な訓練が必要である。同様に、肺腑、内臓、あるいは脳と行った箇所を認識し操作するには、並外れた集中力と精神力が要求される。よって、かつて仙術を学ぶ者には、その前提条件として、厳しい精神修行が課せられたものである。
  彼が――否、彼がかつて職を奉じた企業がどのような経緯でこの技術を入手したかはもはや知るものはいない。だが、往時のジャパニーズ・ビジネスマン達は、この技術のうち必要な箇所を貪欲に取り込み、彼等の任務達成のためのツールへとカイゼンした。純粋な戦闘技能に特化したその技術は、未来予知に匹敵する戦闘即応、電磁発勁、気配遮断、精密打撃による物質粉砕、音速までの打撃に対しての見切りと逆撃、等を可能とする。マイナーダウンされたとは言え、これらの動作の修得にもやはり並外れた精神力が要求される。だが、彼等には容易な事だった。職場は戦場。背広は甲冑。常在戦場を当然のように体現する男達の愛社精神にとっては。ゆえに。私生活では一介の中年男に過ぎぬ東野進は、背広を纏うことによって意識をビジネスマンのそれへと切り替える。これにより、強靭な精神力と、それに裏打ちされた絶大な戦闘能力とが解放されるのだ――
 
  時間が解凍された。
 
  崩落する橋、消失する足場、舞い上がりまた舞い落ちる巨大なコンクリートの欠片。だが、足場が消失する直前に、東野は跳躍していた。上空のコンクリート片に足をかけ、そこに蓄えられた上方へのベクトルを反動としてさらに跳躍。それを三度繰り返すことで、十メートルの上空の篠宮の間合いへと易々と踏み込む。
「……!!」
「君は一つ、誤解をしている」
  篠宮が気づいた時、既にその男は上空の位置を占めていた。その右拳が振り上げられ、肩の後ろまで引かれる。今までの洗練された戦闘動作からすれば、随分と無骨な動きだ。だが、それが何よりも恐ろしい一撃である事を篠宮は直感した。
「企業に忠誠を誓うのは、ひとえに家族を養うため」
  握り締められた拳が軋みを上げる。
「……毎日の家族の笑顔。全存在を賭けるに値しうる対価だ。例え己が……その傍に居ることが……無いとしても!!」
  そこに握られたものは、愛か、誇りか、怒りか……あるいは哀愁か。
「待――」
  咄嗟にガードする。そんなもので防ぎきれる筈がないと本能が叫んでいても。
  拳が振り下ろされる。
  ずん、と。
  およそ余人には計り知れぬ、重い、とても重い鉄拳が篠宮に叩きつけられた。『サラリーマンの拳』。物理現象にまで干渉しうる意志が込められた東野の一撃は、紙よりも容易く篠宮のガードを弾き、その腹に深々とめり込んだ。同時に、東野の体内に蓄積されている位置エネルギーが、極めて効率よく篠宮の体内に衝撃波として伝播する。
 
  決着の一撃だった。
 
「見事……『ジャパニーズ・ビジネスマン』。どうすれば、そこまで強く……?」
「単純だよ篠宮君。信じる人、愛する人のために仕事をするんだ」
「……信じる人、か……だが、もう、僕には……」
「出来るだろう。裏切る事に呵責を感じる事が出来るのだから」
  篠宮は目を閉じた。人生に疲れた老人の表情は消え――本来の若々しい面立ちが蘇る。
「完敗です……どうか、彼女に……いや。自分で言うべきですね……」
  彼を上空に縛り付けていた念動力が失せてゆく。篠宮浩助は眼下の橋の残骸の中に緩やかに落下し――残骸の中に崩れ落ちた。
「またどこかで会おう、未来のビジネスマン」
  橋の対岸に下り立った東野の呟きは、誰にも聞かれることがなかった。
 
 
「東野サン――」
  脱いだコートを肩に担いで一服していると、ようやく追いついた亜紀が駆けよって来た。その姿を前にして、東野は、この男にしては珍しく表情の選択に戸惑った。彼女が篠宮と出会い、そして別れた原因は結局の所彼にある。非難されるのは仕方がないし、当然の事でもある。だが、それだけで彼女の問題が解決するはずもない。
  しょせん男と言うものは、幾歳になろうが失恋した女の子に気の利いた言葉をかけられる器用な生き物にはなれないのだ。
  東野のそんな様子を見て――亜紀は一つ鼻をかんで、すっきりと笑った。惚れ惚れとするいい笑みだった。亜紀は無遠慮にばんばんと東野を叩くと、
「帰りましょ、東野サン。アタシ達の仕事は、まだ終わってない」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  ※十二月二十日、日経新聞HPより。
 
  ――ゲンキョウの『カペラ』好調 携帯音楽プレーヤーのダークホース登場――
 
  今月初旬、クリスマス商戦用に投入された各社のHDD内蔵音楽プレーヤーの売り上げは、ゲンキョウの『カペラ』の一人勝ちの様相を呈している。発売当初こそ『JukeBox』に押され売れ行きが鈍かったものの、同製品の売りである、ユーザーの状態を検知して選曲するシステムが口コミを通じて広まり、翌週に火がつく事となった。発売にあたり、ゲンキョウ社は従来の倍の生産ラインと在庫を確保するという強気の戦略に出ていたが、売れ行きはこの予測をも上回る見込み。クリスマスを前に増産体制の再強化が計画されている。
(リンク:ゲンキョウの株価/ホームページ)
 
 
 
 

◆◇◆ 12 ◇◆◇

 
 
  『師走』の文字通り、まさに12月を走りぬけ、短い正月が過ぎて松が取れると、熾烈を極めたゲンキョウの社内にも僅かなりとも落ち着きが戻ってきた。まったく大変だった。『カペラ』は確かに自信作だったが、ユーザーの反響は予想以上に大きく、ゲンキョウは全社を挙げて、生産とサポートに追いまくられた。亜紀を含めた開発チームもユーザーサポートに追いまくられ、殆ど他の事を考える暇も無かった。亜紀にとっては、それは少し救いでもあったのだが。年が明けてもまだまだ戦いは続く。若者のみならず、大人やお年玉を握り締めた子供も、カペラを買いに来るのだから。
  さいたま新都心にあるオフィスから、コーヒーを片手に窓の外を見下ろす。けやき広場には、正月早々に降った雪の名残がコンクリートの街並みに白を添えている。と、そこに一つ、今ではすっかり馴染みになった紺色の背広姿を見つけて、亜紀は一つ肩を竦めた。そして、おもむろに、オフィスを出た。
 
 
 
「黙って出てっちゃうワケ?」
  けやき広場を通って、駅の改札に向かおうとしていた東野の歩みが止まった。振り返ると、そこには予想通り、腕を組んで仁王立ちした兵頭亜紀の姿があった。
「新年会の席でお別れの挨拶はみんなにしたつもりだったんだけどね」
「本気で言ってんのソレ?……あ、ちっくしょ。煙草もってる?」
  東野が懐から煙草を取り出す。未練がましい視線に気づかないふりをして、亜紀はそこから三本抜き取った。どちらからともなく、二人はけやき広場のベンチにかけて火をつける。寒くて澄んだ空気の中で吸う煙草はそれなりに美味かった。
「――また、別の会社に行くワケ?」
  亜紀は問う。東野は本日付で派遣を解かれ、CCCに戻る。そしてすぐまた別の会社の建て直しをはかるために派遣されるのだろう。
「それが仕事だからね」
  気負ったわけでも諦めているわけでもなく、淡々と事実を述べている。半年近い付き合いでそれくらいは亜紀にもわかるようになっていた。そうだ、こういう男なのだ。紫煙を吹き出し、次の質問に移る。
「いつぞや、夜のオフィスで約束した事覚えてる?」
  解釈の仕方によっては随分と艶っぽく聞こえる質問だが、生憎と両者ともそういった観点には欠片も思い到らなかった。
「覚えてるよ。……ほら。『可能な限り家庭を優先させる事を誓います』」
「『いかなる時も』」
「そうだったっけ?」
「そーよ」
  亜紀はやれやれと足を投げ出し、ぞんざいに組む。
「心配ねー娘さんの将来。アタシみたいになっちまいますよー?親父と和解するのに十年以上もかかっちゃうようなヒネクレ者に」
「……和解したんだ」
  東野も知らない情報である。任務開始時はともかく、任務中に部下のプライベートに干渉するのは、本来彼の望むところではない。
「年末にね。帰省して出来上がったカペラをくれてやったんよ。そしたらあのオヤジ、言うに事欠いて『驚いた。オマエにもまっとうなモノが作れたのか』だっとさー。十年ぶりにマトモに交わした言葉がソレよ?あとはもう包丁持ち出しての大乱闘よ」
  げらげらと亜紀は笑った。
「まー小難しいこと並べて見ても、結局アタシはあのオヤジと対等な場所に立ちたかっただけなんかもしんない。一人前になって、やっとアタシも、オヤジも、お互いに遠慮なく話す事が出来るようになったってワケ」
  それは良かった、などと月並みな言葉を述べる中年男の顔に、亜紀はベンチの隅に積もった雪を指で弾いて叩きつけた。
「アタシの事はいーのよ。別に。アタシが言いたいのはね、手遅れになる前にちゃんと娘さんに会う機会を確保しろってこと」
「……いつぞやも言われたね」
「何度言っても足りないわよ、アンタみたいな仕事バカには。そーすっとね、子供は誤解すんのよ。アンタが誰の為にそんなんなって働いてンのか」
  亜紀の言葉に、東野はビジネスの場では滅多に見せない、曖昧なままの沈黙の表情を保った。
「……ま、いずれにせよ、アタシが出来るのは忠告だけ。――だから。必ず忘れないで。いい?」
  東野は苦笑する。
「はいはい、わかりました」
  微笑も浮かべず亜紀が返す。
「はい、は一度で」
「……はい」
「よろしい」
  亜紀は快活に笑った。
「アンタには随分色々なモノを貰ったからね。これくらいはアタシが渡してやんないと」 
 
  どこからか流れる電子音のチャイム。けやき広場の時計が十七時を刻んだ。ゲンキョウ社での東野の仕事は、ここに終わったのだ。亜紀が言う。
「――じゃあ、さよなら」
  様々な想いも挨拶にすれば、なんと味気の無い事か。対する東野の返答は僅かに異なっていた。
「――また、どこかで」
  差し出される右手。半年前のように、面食らった表情でそれを見つめた亜紀は、やがておずおずと右手を伸ばした。
「会えるかな?」
「会えるさ。お互い、戦場にいるのだから」
  二人は、握手を交わした。色気は無いが、多分、これでいい。
 
  歩み去る背中がもうこちらに振り向くことがない事を確認する。その背に向けて、亜紀は一つ、深々と礼をした。
  さあ。私には私の仕事がある。腕まくりをすると、亜紀は胸を張って自らの戦場と戻って行った。
 
 

[了]ID:SFN00E1v101

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